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すし検定

目次 第26章 カウンターに立つ ― 接客・おもてなしと職人の責任
    1. 序章本書の使い方 ― 二級と一級の範囲
  1. 第I部 食の安全

    1. 第1章世界に広がる寿司と衛生の現実
    2. 第2章微生物と腐敗のしくみ
    3. 第3章寿司屋で起きる食中毒
    4. 第4章洗浄・消毒・異物混入を防ぐ
    5. 第5章温度管理と在庫管理
    6. 第6章なぜ素手で握れるのか
  2. 第II部 シャリ

    1. 第7章米を知る ― 米と炊飯
    2. 第8章合わせ酢と調味
    3. 第9章シャリ切りと温度
  3. 第III部 魚を知る

    1. 第10章魚の死後に起きること ― 死後硬直・熟成・腐敗
    2. 第11章目利きと仕入れ
    3. 第12章冷凍と解凍
    4. 第13章下処理 ― 塩・酢・昆布・皮・骨
  4. 第IV部 ネタ

    1. 第14章マグロ
    2. 第15章白身魚
    3. 第16章光り物
    4. 第17章海老・蟹・イカ・タコ
    5. 第18章貝類
    6. 第19章煮物・玉子・ウニ・イクラ
  5. 第V部 調味料と薬味

    1. 第20章醤油・煮切り・ツメ・出汁と旨味
    2. 第21章わさび・海苔・ガリ・茶
  6. 第VI部 技術と道具

    1. 第22章包丁と砥石
    2. 第23章おろし方と切り付け
    3. 第24章握りと巻き
  7. 第VII部 歴史と職人の心得

    1. 第25章寿司の歴史 ― 屋台から世界へ
    2. 第26章カウンターに立つ ― 接客・おもてなしと職人の責任
      1. 26.1 信用は最初の一言から ― 挨拶・笑顔・電話
      2. 26.2 カウンターの所作
      3. 26.3 おもてなし ― 自分の家に客を招くように
      4. 26.4 おまかせとお好み
      5. 26.5 アレルギーと、食の制限のある客
      6. 26.6 テイクアウトの温度と時間
      7. 26.7 表示の意味を客に正しく伝える一級
      8. 26.8 事故が起きたとき
      9. 26.9 職人の健康管理
      10. 26.10 海外で店を持つとき
      11. 26.11 「お客様は神様」と、信用という貯金
  8. 第VIII部 経営

    1. 第27章お金の流れ ― 原価・歩留まり・値決め一級
    2. 第28章仕入れ・在庫・ロス一級
    3. 第29章開業の準備一級
    4. 第30章お客を集め、常連を育てる一級
    5. 第31章人と店の仕組み一級
  9. 付録 資料編

    1. 付録A覚えておきたい数字と温度・時間の早見表
    2. 付録B食中毒一覧表
    3. 付録C寿司ことばと用語集
    4. 付録D旬のカレンダー
    5. 付録E出題範囲と出題の目安

朗読は本文・コラム・まとめを読みます。表・図・確認問題は読みません。再生中は段落を押すと、そこから聴けます。

第VII部 歴史と職人の心得

第26章

カウンターに立つ ― 接客・おもてなしと職人の責任

寿司職人は、客の目の前で生の魚を素手で扱い、その場で食べてもらいます。この章では、信用を生む挨拶とおもてなし、おいしく出す所作、客の命を守る約束事を、一続きの「職人の責任」として学びます。

この章で学ぶこと

  • 挨拶・笑顔・電話の対応が、なぜ店の信用を決めるのかを説明できる
  • カウンターの所作と、客の好みを感じ取るおもてなしを実践できる
  • おまかせを組み立て、始める前にアレルギーと苦手な食材を聞き取れる。特定原材料 9 品目を挙げられる
  • テイクアウトの温度と時間、事故の初動、ノロウイルスからの復帰の考え方を説明できる
  • 表示の意味、アレルゲンの国ごとの違い、海外で守る記録と倫理を説明できる(一級)

26.1 信用は最初の一言から ― 挨拶・笑顔・電話

店に入ったのに、誰も気づかず放っておかれたら、来たことを後悔するはずです。目を見て、笑顔で挨拶する。それだけで、客は迎えられたと感じます。

目も見ずに張り上げる大声は、威勢を見せる演出で、挨拶ではありません。伝えるべきは「ご来店ありがとうございます」という感謝と、「今日は精一杯おもてなしします」という気持ちです。

笑顔は信用の土台

協会は、笑顔を「あなたの味方です、信用してください」という合図だと考えています。言葉のない大昔、他の家族と暮らすのは危険でした。笑顔でこの合図を送れるようになって、人は共に暮らせるようになった、という考え方です。

人は本物の笑顔を見抜く力を磨いてきたので、笑顔のない人を本能的に避けます。広告で評判を作れる時代でも、一番大事なのは現場の人の心からの笑顔です。笑顔は信用を得る最初の一歩です。「安全な食材です。安心して召し上がってください」と、笑顔で伝えるつもりで立ちます。

電話の対応が店の評判を作る

初めての客は、紹介やネットの評判という、他人から借りた「仮の信用」を頼りに予約をします。最初に店と話すのが電話です。顔が見えない分、全身を耳にして声を聞いています。面倒そうに応じれば、当日もぞんざいに扱われると想像されます。直前の取り消しが多い店は、たいてい電話の対応が悪い店です。

電話では、ふだんよりゆっくり、大きめの声で明るく話します。ゆっくり話すと、丁寧な店だと感じてもらえます。小さな声は、暗い店だと思われます。店の全員で練習します。

「ブランド」は、焼き印を意味する「バーンド」から来たと言われ、信用の証です。小さな店がその焼き印を客の心に押す最初の機会が、挨拶と電話です。清潔さと店の信用の関係は、第31章で扱います。

26.2 カウンターの所作

職人の身なりは、客が最初に目にする「この店の衛生」です。白衣は毎日替え、髪は帽子や鉢巻きで覆います。爪は短く切り、指輪・腕時計・マニキュアは着けません。爪の裏や指輪の下は、洗い残しが最も多い場所です。石鹸が届かなければ、黄色ブドウ球菌(第3章)がそこに残ります。

手洗い(2度洗い。第4章)は、客から見える場所で行います。素手で握る職人を初めて見る海外の客ほど、目で確かめて安心します。見られている手洗いは省けません。客への無言の説明であり、自分への約束でもあります。

客の前のつけ台(握りを置く台)は、一組の客が帰るたびに清潔な布巾で拭き、乾いた布で仕上げます。布巾は用途ごとに分けます。ネタケースは飾り棚ではなく冷蔵庫です。開け閉めを少なくし、切り置きのネタを並べて見栄えを作ることはしません(第5章)。ガリはトングや専用の箸で盛ります。客席から下げたガリを容器に戻すことは、決してしません。

客の食べる速さを見ることが、提供の技術の中心です。握りは置かれた瞬間から、温度と水分が変わり始めます。前の一貫が口に入るのを見届けてから、次を握ります(第24章)。

間合い・声・上がり

握ってから口に入るまでは短いほどよく、理想は 10 秒以内です(第24章)。ネタケースの中は 5℃以下を目標に保ちます。声は、隣の席には届いても、店の端までは届かない大きさにします。上がり(お茶)は熱いものを少しずつ出し、冷めたら替えます。お茶のカテキンは、熱い湯で淹れるほどよく溶け出します(第21章)。

26.3 おもてなし ― 自分の家に客を招くように

よいサービスに迷ったら、大事な人を自宅に招いて、得意料理でもてなす場面を想像してください。

玄関まで迎えに行って礼を言い、席へ案内し、お手洗いの場所を伝えます。料理がまだなら、先に飲み物や前菜を出すはずです。

悪い店は逆です。目も合わせず、黙って案内し、あとは放ったらかし。招いた相手が台所にこもって料理に没頭したら、客はどう感じるでしょうか。

料理人が陥りやすいのは、おいしい料理を出したいあまり、もてなしが行き届かないという誤りです。飲み物が空いていないかに気を配り、顔色を見て、相手の望みを読み取って応えることが、おもてなしです。

相手の好みを感じ取る

職人は全員に同じ料理を出しがちです。しかしカウンターでは、相手の好きな味を見抜くことが大事です。最初に好きなネタ、味の好み、食べられる量を聞きます。

寿司では、とくに塩味と酸味の好みがはっきり分かれます。最初に煮切りを少し多めに塗って、表情を見る。スダチを多めに搾って、反応を見る。こうして、濃い味が好きか、酸っぱいものが好きか苦手かをつかみます。

酸味の働きを知り、加減する

基本の五つの味のうち、甘味とうま味は生まれつき好まれ、苦味・塩味・酸味は経験で好みを学ぶ味だと言われます。腐ったものの多くは酸っぱくなるので、昔は酸味を避けることが食中毒から身を守る力でした。一方で酸味は食欲を高め、ほかの味の輪郭をはっきりさせます。

ご飯を茶碗一杯、約 150g 食べられない人でも、寿司なら 10 貫以上食べられることがあるのは、酢が食欲を高めるからです。刺身だけよりシャリと一緒のほうがおいしいと感じるのも、酢の働きです。協会は、酸味の加減が寿司屋の人気を左右する最も大事な要素だと考えています。

酸味は客ごとに変えられます。酸味の好きな客には、酢を加えた煮切りを別に用意して使います。手酢を少し多めにつける、柑橘を搾る、という方法もあります(酢は第8章、煮切りは第20章)。

帰りの見送りまでが、おもてなし

家に招いた客は、玄関の外まで見送るはずです。店でも同じです。客が食べている途中で洗い物や掃除、休憩を始めるのは、「早く帰ってほしい」と言うのと同じです。おもてなしの心は、帰りの見送りにまで表れます。

26.4 おまかせとお好み

客が一貫ずつ頼むのがお好み、職人が順番を決めて出すのがおまかせです。もとはお好みでしたが、高級店からおまかせが主流になりました。

おまかせの基本の流れはこうです。淡白な白身から始めて脂の乗ったものへ進み、酢で締めた光り物で口を切り替え、煮物で温度と甘みを変え、巻物と玉子で締めます。これは舌の性質に合った順番です。舌は、強い味の後に弱い味を感じにくくなります。トロの後にヒラメを出しても、ヒラメの味は立ちません。この骨組みに季節の旬を重ね、量は 10〜15 貫を軸に、客を見て加減します。

協会は、おまかせを決まったコース料理とは考えません。客は、職人に任せたほうがおいしいものが出ると信じて、文字どおり任せてくれています。「今日はすべてを自分に預けてくれた」という気持ちで臨みます。そうでなければ、職人の自分本位になります。

マグロ好きの客がマグロを多く食べたいと言えば応え、味が引き立つよう間に締めた寿司を挟みます。握りとつまみの量も先に聞き、一人ひとりに仕立てます。出し終えたら、お腹がいっぱいかを確かめ、足りなければ追加を出します。物足りないまま帰すと、「値段の割に少ない」と言われます。

客に合わせると金額が高くなりがちなので、コースの金額、追加の有無、予想額を最初に伝えます。

お好みでは、注文を復唱し、そのネタの今日の状態を一言添えます。「今日のサバは締めが浅めです」と言えるのが、仕込みを分かっている証です。品切れは正直に伝えて、代わりを提案します。別の魚で黙って代用することは表示の偽りであり、アレルギーの事故にも直結します。

流れの理由と、量の加減

酸味は脂を切るので、締め物は脂の後に置きます。ツメの甘い煮物は、終盤で満足感を作ります。玉子は、江戸前では店の仕事の総決算とされ、最後に出して余韻を残します。女性や高齢の客には、シャリ玉を一回り小さくします。「時価」だけでは、客は不安になります。生ものを控えていると言われたら、理由を詮索せず、加熱したネタを中心に組み替えます。

26.5 アレルギーと、食の制限のある客

おまかせでもお好みでも、始める前に全員に同じ言葉で聞きます。「アレルギーのある食材や、苦手な食材はございますか」。この一言を省く店は、客の命を運に任せています。答えがあれば、苦手かアレルギーかを確かめます。アレルギーは、出さないうえに、道具も分ける必要があります。

日本の食品表示の決まりでは、特定原材料(表示が義務になっているアレルゲン)として 9 品目が定められています。症状が重いか、発症する人が多いものです。えび、かに、くるみ、小麦、そば、卵、乳、落花生、カシューナッツです。カシューナッツは 2026 年 4 月に加わりました。これに準じて表示が勧められている品目が 20 あります。あわび、いか、いくら、さけ、さば、ごま、大豆など、寿司屋になじみの深いものが多く入っています。表示の義務の有無にかかわらず、聞かれたら答えられるのが職人の責任です。

表26-1 寿司店で見落としやすいアレルゲン
品目寿司店での主な例
えび・かに車海老、蟹、海老の殻でとった出汁
卵玉子焼き、おぼろ、マヨネーズを使った巻物
小麦醤油、ツメ、天ぷらの衣
そば茶そば、そば粉を使った衣
乳・くるみ・落花生・カシューナッツ創作巻きのチーズやナッツ
大豆・ごま(推奨品目)醤油、味噌、湯葉、ごまを使った巻物

醤油やツメには小麦が、玉子やマヨネーズには卵が入ります。アレルギーの事故は、原因の食材を「出した」ときより、「混じった」ときに起きます。海老を切ったまな板や、蟹を触った手から移る、目に見えない量でも重い反応は起きます。申告のあった客には、洗っただけの道具ではなく、専用の清潔なまな板と包丁を使います。手を洗い直し、調味料も別に取ります。洗っても、食材のタンパク質はゼロにならないからです。そして最も大事な原則は、分からないときは出さないことです。原材料を自分で確かめられないものを、「たぶん大丈夫」で出してはいけません。

イスラム教の客が求めるハラール(イスラムの教えで許された食べ物)では、煮切りやツメ、合わせ酢に入る酒やみりんが問題になります。対応できないなら正直に伝え、認証のない店が「ハラール対応」を名乗ってはいけません。菜食の客には、鰹節の出汁と玉子が落とし穴です。妊娠中の客には、冷蔵庫でも増えるリステリア菌のため生ものを勧めず、大型の魚に多いメチル水銀にも気を配ります(第14章)。幼い子どもや高齢の人にも、加熱したネタで組み立てられることを伝えます。

表示の決まりと、推奨 20 品目

推奨の 20 品目は、アーモンド、あわび、いか、いくら、オレンジ、キウイフルーツ、牛肉、ごま、さけ、さば、大豆、鶏肉、バナナ、ピスタチオ、豚肉、マカダミアナッツ、もも、やまいも、りんご、ゼラチンです。法律上の表示の義務は、容器包装に入った加工食品が対象です。それでも、メニューと持ち帰り品にはアレルゲンを書いておきます。

アレルゲンは国によって違う

EU の 14 品目は規則 1169/2011 で定められ、アメリカではごまが 2023 年に加わりました。表26-2 のとおり、日本で義務でない魚・大豆・ごまが、EU とアメリカでは対象です。

表26-2 主なアレルゲンの国ごとの違いと寿司店での例
区分日本(義務 9 品目)EU(14 品目)アメリカ(9 品目)寿司店での主な例
甲殻類えび・かに対象対象車海老、蟹、海老の殻の出汁
魚対象外(さけ・さばは推奨)対象対象ほぼすべてのネタ、鰹節の出汁
軟体動物対象外(いか・あわびは推奨)対象対象外イカ、タコ、赤貝、ホタテ、アワビ
卵対象対象対象玉子焼き、おぼろ
小麦・グルテン小麦グルテンを含む穀物小麦醤油、ツメ
大豆推奨対象対象醤油、味噌、湯葉
ごま推奨対象対象(2023 年から)ごまだれ
乳・落花生・木の実乳・落花生・くるみ・カシューナッツ(ほかの木の実 3 種は推奨)対象対象創作巻きのチーズやナッツ
そば対象対象外対象外茶そば
セロリ・からし・亜硫酸塩・ルピナス対象外対象対象外ワイン、輸入の加工品、からし和え

宗教と、体の弱い客への配慮の詳しいところ

ハラールでは、魚そのものは広く許されるとされますが、貝や甲殻類の扱いは学派で分かれるので本人に聞きます。菜食の客には、干瓢巻きやかっぱ巻きを昆布の出汁で作れます。リステリア菌は胎児に重い影響を及ぼすので、スモークサーモンなど加熱せず長く冷蔵された品はとくに避けます(第3章)。メチル水銀では、厚生労働省がクロマグロ、メバチ、キンメダイ、メカジキなど大型の魚に注意を呼びかけています。妊婦は 1 回 80g として、週 1 回程度が目安です。免疫が下がっている客も、重症になりやすい人たちです。

26.6 テイクアウトの温度と時間

持ち帰りの寿司は、渡した瞬間に温度の管理が店の手を離れますが、責任は店に残ります。渡す前に、次の四つを必ず行います(第5章)。

  1. 10℃以下を保つ ネタと容器を冷やして詰め、保冷剤で 10℃以下を保ちます。冷たい空気は下に沈むので、保冷剤は上に置きます。保冷バッグに入れます。酢飯の酸は菌が増えるのを遅らせますが、止めはしません。
  2. 時刻と期限を書く 作った時刻と「○時間以内にお召し上がりください」を容器に書き、口でも伝えます。これは消費期限(安全に食べられる期限)にあたるもので、過ぎたら食べないよう伝えます。
  3. 季節と条件で時間を縮める 冷蔵できない状態なら 2 時間以内、気温が 32℃(華氏 90 度)を超えるなら 1 時間以内、というアメリカの一般的な目安があります。夏場は時間を短くし、生ものの持ち帰りを断ることもあります。
  4. 中身を書く 使ったネタ、調味料、アレルゲンを書いた紙を添えます。少なくとも特定原材料 9 品目は書きます。誰が食べるか分からないからです。

配達では、保冷バッグを条件にし、配達にかかる時間の上限を決めます。配達が他人任せでも、責任は店にあります。

10℃の理由と、配達の記録

腸炎ビブリオは、10℃以下で増え方が大きく鈍ります(第3章)。容器は密閉して、乾燥と結露を防ぎます。夏の車内は 50℃を超えることがあります。注文から配達完了までの時刻を記録します。

26.7 表示の意味を客に正しく伝える

消費期限は「安全に食べられる期限」です。刺身や寿司など、傷みやすく、期限を過ぎると危ないおそれのある食品に付けます。賞味期限は「おいしく食べられる期限」です。缶詰、乾物、酢、醤油など、日持ちする食品に付けます。賞味期限は少し過ぎてもすぐ危険ではありませんが、消費期限は安全の限界なので、1 日でも過ぎたものは捨てます。

期限は、微生物の試験などで求めた日数に、1 より小さい安全係数を掛けて決めます。国の指針はこの係数を 1 に近づけるよう求めており、余裕は大きくありません。客には、「期限は、開けずに表示どおり保存した場合の目安です。持ち帰って常温に置けば、その時点で無効です」と説明します。

日本では、生で食べる魚介類に、食品衛生法の規格基準があります。生食用の鮮魚介類は、腸炎ビブリオが 1g あたり 100 以下であることが求められます。飲める水か殺菌した海水で処理し、10℃以下で保存することなども定められています。基準を満たしたものだけが「生食用」と表示できます。「加熱用」の貝を生で出すことは法令違反で、食中毒の原因になります(第18章)。生鮮の水産物では、解凍したものは「解凍」、養殖したものは「養殖」と書く義務があります。「天然」は書かなくてよいのですが、書くなら事実でなければなりません。

「解凍」「養殖」を隠す必要はありません。とても低い温度で凍らせたマグロは、寄生虫の危険が事実上ありません(第12章)。管理された餌の養殖魚は、脂が安定しています。説明できれば、正直に書いても信頼は失いません。

26.8 事故が起きたとき

「お宅で食べてから具合が悪い」という連絡は、いつか来ます。最初の動き方で、被害の広がりと店の行方が決まります。原則は一つ、隠さないことです。

  1. 聞いて書き留める 否定も言い訳もせず、来店日時、人数、食べた品、具合が悪くなった時刻、症状、病院にかかったか、連絡先を聞いて記録します。「うちではありえない」は、事実が分かる前に口にしてはいけません。
  2. 受診を勧め、保健所へ自分から連絡する 症状が重ければ、すぐに受診を勧めます。医師が食中毒と診断すれば医師が保健所に届け出ますが、それを待たずに店から連絡し、調査に協力します。
  3. 検食と記録をそろえる 検食は、出した料理や材料を検査のために少し取り分けて冷凍したものです。検食、仕入れの伝票、冷蔵庫の温度の記録、従業員の体調の記録をそろえます。同じ品を食べた他の客も把握します。
  4. 営業を止めるか決める 原因が分からないうちは、自分から営業を止めます。行政の処分を待つ必要はありません。
  5. 謝罪と再発防止 店が原因かもしれないことを認めて、誠実に謝ります。仕入れ・温度・工程・従業員の健康を一つずつ調べて原因を突き止め、直したことを全員で共有します。

大量に調理する施設向けの決まりでは、検食は料理と材料ごとに 50g 程度を密封し、−20℃以下で 2 週間以上保存します。小さな店でも宴会や仕出しの日に冷凍しておけば、原因を探す手がかりにも、店が原因でない証明にもなります。

届け出・処分・保険と、クレームの受け方

医師は、食中毒と診断したら 24 時間以内に保健所へ届け出る義務があります。自分から連絡した店と通報された店では、その後の信頼が違います。営業停止の処分は都道府県知事などが行いますが、それを待たずに止めるのが店の責任です。治療費や見舞いは保険会社と連携します。開店前に、生産物賠償責任保険(PL 保険)、食中毒の見舞費用の保険、休業の補償の有無を確かめておきます。クレーム対応の基本は四つです。最後まで聞く。事実と感情を分ける。責任者が対応する。記録する。

26.9 職人の健康管理

店の中で最大の汚染源になりうるのは、職人自身の体です。毎朝、下痢・嘔吐・発熱がないかを確かめ、症状があれば生ものに触れません。

とくに気をつけるのがノロウイルスです(第3章)。わずか 10〜100 個で感染し、アルコールが効きにくいウイルスです。日本で患者数が最も多い食中毒の原因で、多くは調理する人の手を通ります。怖いのは、症状が治まった後も 1 週間ほど、長いと 1 か月ほど、便にウイルスが出続けることです。ですから、ノロウイルスにかかった職人は、検便でウイルスがないと確かめられるまで、食品に直接触れる作業をしません。大量調理施設の決まりに準じた考え方です。

検便は月 1 回以上を目安にし、10〜3 月はノロウイルスの検査を加えることが望ましいとされています。同居する家族の嘔吐や下痢も、本人がウイルスを運んでいるかもしれないので申告します。手に傷や化膿があるときは、黄色ブドウ球菌が増えていると考えます。防水の絆創膏と手袋で覆ったうえで、素手で食品に触れる仕事から外れます。

26.10 海外で店を持つとき

海外では、日本の常識はその土地の法律ではありません。守る順番は、一に現地の法令、二に科学、三に日本の流儀です。生の魚を出す店は、寄生虫対策の冷凍の記録や仕入れ先の証明をよく求められます。アメリカでは、メニューに生ものの注意書きを載せる決まりがあり、そのまま食べる食品に素手で触れることを原則禁じる州も多くあります。許可や届け出の進め方は、第29章で扱います。

「日本ではこうする」と言い返しても通りません。通るのは理由の説明です。素手で握りたいなら、手洗い、手酢、酢飯の酸と時間の管理を書類にまとめ、当局に認めてもらう道があります(第6章)。HACCP(ハサップ)は、食中毒などの危険を前もって考え、大事な工程に基準を決め、記録で確かめる衛生管理のやり方です。日本でも 2021 年 6 月から、原則としてすべての食品等事業者に義務づけられています。温度、冷凍の時間、消毒液の濃さ、従業員の体調を毎日記録します。現地の魚で作る寿司は、日本のネタの代わりと偽らず、「その土地の寿司」として正直に伝えます。

検査・教育と、現地の魚の倫理

多くの国では、開業前にも営業中にも保健当局の検査があり、HACCP は開業の条件です。冷凍の基準は第1章と第12章で扱います。従業員の教育は現地の言葉で、手順と理由を書いた文書で行います。寄生虫の多い淡水魚や、シガテラ毒のおそれがある熱帯のサンゴ礁の魚(付録B)を、日本の寿司と同じだと言って生で出してはいけません。安全な現地の魚を選び、必要なら冷凍と仕事を施します。同じでないものを同じと偽ることは、職人の名を汚します。

26.11 「お客様は神様」と、信用という貯金

「お客様は神様」を、客が一番偉いから無理難題にも従え、と受け取る人がいます。そのため、この言葉に賛成できない人もいます。

協会はこの考えを支持しますが、受け取り方が違います。客の声に耳を傾け、ヒントに気づき、示された方向へ努力すれば、客はいつか望みをかなえてくれます。客は一番偉い存在だから神様なのではなく、望みや夢をかなえてくれる存在だから神様なのです。

たとえば、月 30 万円の給料で、100 万円分の価値のある仕事をしているとします。お金で受け取るのは 30 万円でも、残りの 70 万円分は、信用という形で毎月貯金していることになります。

この貯金の返り方は人それぞれです。給料が増える、独立した先輩に呼ばれる、料理長を任される、ということもあります。カウンターでおもてなしを続ければ、客の中にファンが増えます。店を出すときに、資金や設計を手伝う人や、客を紹介してくれる人が現れるかもしれません。

給料が 30 万円だから 30 万円分だけ働けば、自分の価値も 30 万円分で止まります。客のために力を尽くせば、最高の仲間が集まり、人生は豊かになります。この意味で、協会はあらためて言います。「お客様は神様です」。

協会が職人に求める心得

日本寿司協会が職人に求める心得は三つです。第一に、一つの誤りが客の命を奪いうる、命を預かる仕事だと自覚することです。第二に、知らないものは出さないことです。断ることは誠実さの証です。第三に、学び続けることです。衛生の基準も表示の制度も、本書の数値も、年ごとに改められます。世界のどこで握るときも、同じ水準で客を守ることが職人の責任です。

この章のまとめ

  • 目を見て笑顔で挨拶し、電話はゆっくり大きめの声で明るく受けます。笑顔と電話の対応が、小さな店の信用と評判を作ります。
  • 身なり、客に見える手洗い、つけ台の拭き方、ネタケースの扱い、客の食べる速さを見ることは、すべて「安全においしく食べてもらう」ための所作です。
  • おもてなしは、自宅に客を招くときと同じです。料理に没頭せず相手の好みを感じ取り、量を確かめ、帰りの見送りまで心を配ります。酸味の加減は、煮切り・手酢・柑橘で客ごとに変えられます(一級)。
  • おまかせは淡白なものから脂、締め物、煮物、巻物・玉子へ。始める前に全員にアレルギーと苦手を聞き、値段をはっきり伝えます。
  • 特定原材料は 9 品目。申告のある客には専用の清潔なまな板と包丁を使い、分からないときは出しません。テイクアウトは 10℃以下と「○時間以内」の表示を守ります。
  • 事故の連絡には隠さず動き、ノロウイルスにかかった職人は検便で確かめられるまで食品に直接触れません。消費期限は 1 日でも過ぎたら捨て、「解凍」「養殖」は正直に書きます(一級)。
  • 「お客様は神様」とは、望みをかなえてくれる存在という意味です。給料以上の仕事は、信用という貯金になります。

確認問題

問1 アレルギーの申告をした客に寿司を出すときの扱いとして、最も適切なものはどれか。
a 海老を切ったまな板を水で流してから、同じまな板で白身を切って出す
b 原因の食材を使わなければ、道具は共用でよい
c 専用の清潔なまな板と包丁を使い、手を洗い直し、調味料も別に取り、原材料の分からないものは出さない
d 「少しなら大丈夫」と客が言えば、ふだんどおりに出してよい
e メニューに注意書きを載せていれば、店の責任はなくなる

答え:c

アレルギーの事故は、目に見えないほどの量が「混じった」ときにも起きます。洗っても食材のタンパク質は完全にはなくならないので、専用の清潔な道具を使い、手も調味料も分けます。原材料を確かめられないものは出しません。a と b は混じるのを防げません。d は危険を客の言葉に預けており、e の注意書きは混じるのを防ぎません。

問2 予約の電話の受け方として、協会が勧めるものはどれか。
a 忙しい時間は、早口で用件だけを聞いて切る
b ふだんより、ゆっくり、大きめの声で明るく話す
c 落ち着いた店に見えるよう、小さな声で話す
d 電話は予約の確認だけなので、誰が出ても練習はいらない
e ネットの評判がよければ、電話の対応は気にしなくてよい

答え:b

初めての客にとって、予約の電話は店との最初の接点です。顔が見えない分、客は声に集中しています。ゆっくり話すと丁寧だと感じてもらえ、小さな声は暗い店だと思われます。電話の対応が店の評判を作るので、店の全員で練習します。

問3 消費期限と賞味期限について、正しいものはどれか。
a 消費期限は「おいしく食べられる期限」で、少し過ぎても食べてよい
b 賞味期限は寿司や刺身など傷みやすい食品に付ける
c 消費期限は安全に食べられる期限なので、1 日でも過ぎたものは捨てる
d 期限は、開けた後に常温に置いても同じように有効である
e 期限を決めるときの安全係数は、できるだけ小さくするよう国が求めている

答え:c

消費期限は安全の限界で、寿司や刺身など傷みやすい食品に付けます。賞味期限はおいしさの目安で、缶詰や醤油など日持ちする食品に付けます。期限は、開けずに表示どおり保存した場合のものです。国の指針は安全係数を 1 に近づけるよう求めており、余裕は大きくありません。