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すし検定

目次 第25章 寿司の歴史 ― 屋台から世界へ
    1. 序章本書の使い方 ― 二級と一級の範囲
  1. 第I部 食の安全

    1. 第1章世界に広がる寿司と衛生の現実
    2. 第2章微生物と腐敗のしくみ
    3. 第3章寿司屋で起きる食中毒
    4. 第4章洗浄・消毒・異物混入を防ぐ
    5. 第5章温度管理と在庫管理
    6. 第6章なぜ素手で握れるのか
  2. 第II部 シャリ

    1. 第7章米を知る ― 米と炊飯
    2. 第8章合わせ酢と調味
    3. 第9章シャリ切りと温度
  3. 第III部 魚を知る

    1. 第10章魚の死後に起きること ― 死後硬直・熟成・腐敗
    2. 第11章目利きと仕入れ
    3. 第12章冷凍と解凍
    4. 第13章下処理 ― 塩・酢・昆布・皮・骨
  4. 第IV部 ネタ

    1. 第14章マグロ
    2. 第15章白身魚
    3. 第16章光り物
    4. 第17章海老・蟹・イカ・タコ
    5. 第18章貝類
    6. 第19章煮物・玉子・ウニ・イクラ
  5. 第V部 調味料と薬味

    1. 第20章醤油・煮切り・ツメ・出汁と旨味
    2. 第21章わさび・海苔・ガリ・茶
  6. 第VI部 技術と道具

    1. 第22章包丁と砥石
    2. 第23章おろし方と切り付け
    3. 第24章握りと巻き
  7. 第VII部 歴史と職人の心得

    1. 第25章寿司の歴史 ― 屋台から世界へ
      1. 25.1 はじまりは「米を食べない」寿司
      2. 25.2 都へ運ばれた鮓と、米も食べる「生なれ」
      3. 25.3 酢の登場 ― 早ずしと粕酢
      4. 25.4 江戸の屋台と握り寿司の誕生
      5. 25.5 明治から関東大震災へ
      6. 25.6 戦後 ― 委託加工と冷蔵庫
      7. 25.7 回転寿司 ― ビール工場からのひらめき
      8. 25.8 海を渡る寿司
      9. 25.9 いま、そしてこれから
      10. 25.10 保存の原理で歴史を読み直す一級
    2. 第26章カウンターに立つ ― 接客・おもてなしと職人の責任
  8. 第VIII部 経営

    1. 第27章お金の流れ ― 原価・歩留まり・値決め一級
    2. 第28章仕入れ・在庫・ロス一級
    3. 第29章開業の準備一級
    4. 第30章お客を集め、常連を育てる一級
    5. 第31章人と店の仕組み一級
  9. 付録 資料編

    1. 付録A覚えておきたい数字と温度・時間の早見表
    2. 付録B食中毒一覧表
    3. 付録C寿司ことばと用語集
    4. 付録D旬のカレンダー
    5. 付録E出題範囲と出題の目安

第VII部

歴史と職人の心得

朗読は本文・コラム・まとめを読みます。表・図・確認問題は読みません。再生中は段落を押すと、そこから聴けます。

第VII部 歴史と職人の心得

第25章

寿司の歴史 ― 屋台から世界へ

寿司は、はじめから今の形だったわけではありません。魚を腐らせずに食べる保存食として生まれ、江戸の屋台で手早い食事になり、いまでは世界中で握られています。この章は読み物として、寿司の千年を超える旅をたどります。カウンターで客に聞かれたとき、正しく、そして楽しく話せることが目標です。

この章で学ぶこと

  • なれずし・生なれ・早ずし・握りの違いを、魚を守るしくみと結びつけて説明できる
  • 握り寿司の誕生について、確かな時代と、諸説ある考案者を区別して話せる
  • 関東大震災、戦後の委託加工、冷蔵庫、回転寿司が寿司をどう変えたかを説明できる
  • 寿司が海外に広がった主な出来事を、年代とともに挙げられる
  • 寿司の形の移り変わりを、酸・水分・温度という保存の原理から説明できる(一級)

25.1 はじまりは「米を食べない」寿司

寿司のふるさとは、日本ではないと考えられています。最も有力なのは、中国の西南部からラオス、タイの東北部にかけての地域で生まれたという説です。川や水田で稲を作る、海から遠い土地です。田や川でとれる魚を長く保存するための知恵でした。それが稲作と一緒に東アジアへ広がり、日本にも伝わったとみられています。

その最初の形がなれずし(馴れずし)です。作り方の骨組みは単純です。内臓を抜いた魚を塩に漬けて、水分を抜きます。炊いた米と一緒に桶に漬け込み、重石をして、数か月から年単位で置きます。

すると桶の中で、米のデンプンを餌にして乳酸菌が増えます。乳酸ができて、桶の中が酸っぱくなります。魚を腐らせる菌は酸に弱いので、増えることができません。魚はゆっくりと、独特の酸味と旨味を持つ保存食に変わっていきます。

驚くのは、米は食べなかったことです。米は発酵のための「餌」で、崩れた米は捨てていました。今の寿司では主役の一つであるシャリが、最初は食べ物ですらなかったのです。

なれずしは今も日本に残っています。代表は、滋賀県・琵琶湖の鮒ずしです。ニゴロブナを春に塩漬けにし、夏に飯に漬け直し、年を越してから食べます。冷蔵庫のない時代に、魚を年単位で保存できたのです。

なれずしを守っているのは「酸」です。鮒ずしでは、漬け込んでからおよそ 1 か月で、pH が 4 を下回ります。pH が 4 前後まで下がると、多くの食中毒菌は増えることができません。塩で水分が抜けていることも、助けになっています。寿司は千年以上、酸で安全を守ってきた食べ物なのです。

25.2 都へ運ばれた鮓と、米も食べる「生なれ」

日本の記録に寿司が出てくるのは、奈良時代です。8 世紀の律令である養老令には、地方から都へ納める税の品として、アワビや貝の鮓(すし)が見えます。10 世紀の『延喜式(えんぎしき)』にも、各地からアユ・フナ・アワビなどの鮓が都へ納められた記録が残っています。なれずしは長くもつので、遠い国から都へ運ぶ品にできたのです。

室町時代、14〜16 世紀になると、大きな変化が起きます。発酵の期間を数日から数週間に縮め、米がまだ形を残しているうちに、魚と一緒に食べるようになりました。これを生なれ(なまなれ)といいます。

発酵が浅いので、魚の味は生に近くなります。ほんのり酸っぱい米も、おいしく食べられます。そのかわり酸が弱く、長くは保存できません。「保存」より「味」を選んだのです。寿司の性格が変わった、大きな転換点でした。

宮廷の鮓

都に納められた鮓は、宮廷や貴族の宴にも出されました。ただしそれは、ぜいたくな料理というより、酸で守られた高級な保存食という位置づけでした。米を捨てるなれずしから、米と魚を一緒に食べる料理へ。生なれは、保存性を手放して味を取る選択が、初めてなされた形だといえます。

25.3 酢の登場 ― 早ずしと粕酢

江戸時代に入ると、発酵を待たずに、はじめから酢を飯に混ぜて酸っぱくする作り方が広まりました。これが早ずしです。何か月も待つ必要がなくなり、一晩で作れることから「一夜ずし」とも呼ばれました。

木の箱に酢飯と魚を詰めて押す、箱寿司・押し寿司は、大坂を中心に発達しました。今も関西の寿司の柱になっています。酢飯の上に具を散らす、巻く、押す。いろいろな形が生まれたのもこの時期です。酢が広まらなければ、今日の寿司はありません。

酢は古くから米で造られていました。けれども庶民が気軽に使うには、安い酢が必要でした。そこで登場したのが粕酢(かすず)、酒粕から造る酢です。1804 年、文化元年に、尾張国の知多半島にある半田で、酒造りをしていた中野又左衛門が粕酢づくりを始めました。現在のミツカンの始まりです。

粕酢は米酢より安く造れ、旨味が強く、色は赤茶色です。半田の粕酢は船で江戸へ運ばれ、このあと生まれる握り寿司の酢飯に使われました。赤みがかったシャリ、いわゆる赤シャリの由来はここにあります。

粕酢の旨味と色

粕酢の深い旨味と褐色は、もとになる酒粕から来ています。酒粕に含まれるアミノ酸と糖が、熟成の間に旨味と色を生みます。赤酢の化学は第8章で学びました。安く量産できる酢が手に入ったことが、江戸の町に寿司が広まる土台になりました。

25.4 江戸の屋台と握り寿司の誕生

いつ、誰が始めたのか

酢飯を手で握り、上に魚をのせる握り寿司は、文政年間、1818〜1830 年ごろの江戸で生まれたとするのが通説です。考え出した人として最もよく知られるのは、華屋与兵衛(はなやよへえ)です。1799 年に生まれ、1858 年に亡くなった人で、両国で「與兵衛鮓」を開きました。

一方で、深川安宅(あたけ)の「松が鮨」を開いた堺屋松五郎を、先がけとする見方もあります。同じころの江戸で、いくつもの店が握りの形を競い合って完成させた。そう考えるのが、実際に近いようです。

ですから、客に話すときは「与兵衛が発明した」と言い切らないことです。「文政のころの江戸で生まれ、与兵衛や松五郎の店が広めたと伝えられています。考えた人には諸説あります」。こう話すのが正確です。

屋台の握りは大きかった

握り寿司は、江戸の町の人が屋台で立ったまま食べる、手早い食べ物として広まりました。今でいえば、ファストフードです。一貫の大きさは今の 2〜3 倍、小ぶりのおにぎりほどあったと伝えられます。一つか二つで小腹を満たし、さっと次へ向かう。そんな食べ方でした。

ネタは、江戸城の前に広がる江戸湾、今の東京湾の魚介です。コハダ、アナゴ、車海老、ハマグリ、アワビ、白魚などが中心でした。マグロは格の低い魚とされ、醤油に漬けた「ヅケ」にして使われました。脂の多いトロは日持ちせず、ほとんど捨てられていたといいます。

「仕事」は保存の技術だった

江戸前の握りは、「生の魚をのせる料理」ではありませんでした。コハダは塩と酢で締めました。アナゴとハマグリは煮ました。マグロは醤油に漬け、海老は茹で、白身は昆布で締めました。こうした下ごしらえを、寿司屋では仕事と呼びます。

仕事は、味のためだけではありません。冷蔵庫のない時代に、魚を一日もたせるための保存の技術でした。塩は水分を抜きます。酢は酸で菌を増えにくくします。火は菌を殺し、醤油は塩分で守ります。第13章で学んだ下処理の多くは、江戸の屋台で生き残るために磨かれた技術なのです。

「江戸前」という言葉

「江戸前」は、もともと江戸の前の海、つまり江戸湾を指す言葉でした。江戸時代には「江戸前の鰻」のように、魚の産地を表していました。

ところが東京湾でとれる魚が減り、ネタが全国や世界から届くようになります。すると「江戸前」は、産地ではなく仕事の流儀を指す言葉に変わっていきました。締める、煮る、漬けるといった、一手間をかける技のことです。

なお 2005 年には、水産庁の委員会が、魚の呼び名としての「江戸前」を整理しました。「東京湾全体でとれた新鮮な魚介類」というものです。客と話すときは、産地のことか、流儀のことかを分けて使うと誤解がありません。

〜10世紀 なれずし 生なれ 室町 江戸前期 早ずし 握り寿司 文政年間 戦後 冷蔵庫と生ネタ 世界へ 1960年代〜 保存の原理 乳酸発酵の酸 酢の酸と塩・火・醤油 冷蔵・冷凍と衛生管理
図25-1 寿司の形態の変遷と、魚を守る原理の移り変わり

25.5 明治から関東大震災へ

明治に入ると、寿司のまわりで三つのことが変わりました。

一つめは氷です。天然の氷に続いて、機械による製氷が始まりました。魚を氷で冷やして運び、保てるようになりました。

二つめは鉄道です。1872 年の新橋・横浜間の開業を皮切りに、鉄道が延びていきました。魚も人も技術も、地方へ動くようになりました。

三つめは店の形です。握りは屋台で立ち食いするものでした。それが、客を店に入れて座って食べてもらう「内店(うちみせ)」へと、重心を移していきました。座って食べる料理へ、格が上がったのです。それでも屋台の寿司は、昭和の初めまで町に残っていました。

大きな転機は、1923 年、大正 12 年 9 月 1 日の関東大震災です。東京の寿司屋は大きな打撃を受けました。焼け出された職人の多くが、ふるさとや地方の町に移って店を開きました。それまで地方の寿司といえば、押し寿司やちらしが中心でした。そうした土地にも、江戸前の握りが根づいていきました。大きな災害による人の移動が、握りを全国の料理にするきっかけになったとされています。

25.6 戦後 ― 委託加工と冷蔵庫

戦争が終わった直後の日本は、深刻な食糧不足でした。1947 年には飲食営業緊急措置令が出され、飲食店の営業は原則として禁止されます。

そこで東京の寿司屋は、ある形を認めさせて営業を続けました。客が米を持ってきて、店がそれを握りに加工して返す、委託加工という形です。米 1 合で握り 10 個と引き換えるのが標準とされました。客は配給の米を持って、寿司屋に通いました。この形は東京から各地に広がりました。寿司屋は「料理を売る店」ではなく、「技術を提供する店」として生き延びたのです。

1950 年代の後半からは、電気冷蔵庫が普及します。1960 年代には、ガラスのネタケースで魚を見せながら冷やす店の形が広まったとされます。

遠い海で魚をとる遠洋漁業と、とても低い温度で凍らせる超低温冷凍(第12章)も進みました。これで捨てられていたトロが日持ちするようになり、最高級のネタへと地位を変えました。ウニやイクラなど、江戸前にはなかった生のネタも定着します。冷蔵庫が「生のまま出す」ことを可能にしたのです。

この変化には、裏の面もありました。仕事をしなくても魚がもつようになると、手間を省く店が増えました。切った魚を、そのまま酢飯にのせるのです。江戸前の仕事は「古い」「面倒」とされ、受け継ぐ人が減った時期があります。

一方で、冷蔵庫は衛生の面では確かな進歩でした。10℃以下で保つ低温の管理(第5章)が、店の当たり前になりました。食中毒の危険は下がりました。魚を守る主役が、酸と火から低温へ移った。これが戦後の寿司の、いちばん大きな変化です。

25.7 回転寿司 ― ビール工場からのひらめき

1958 年、大阪府布施市、いまの東大阪市で、白石義明が「元禄寿司」を開きました。ビール工場のベルトコンベアから思いついて、皿にのせた寿司をレーンで客席の前に回す仕組みを作ったのです。これが回転寿司の始まりです。

1970 年の大阪万博に店を出して、全国に知られました。1978 年に白石の権利が切れると、各地で参入が相次ぎました。こうして寿司は、「職人のいる高い店の料理」から、家族で気軽に食べる食事になりました。同時に、大量のシャリと魚を、低い温度で安全に回し続ける。そんな衛生の新しい課題も生まれました。

25.8 海を渡る寿司

寿司が本格的に海外へ出たのは、1960 年代のアメリカです。ロサンゼルスの日本人街に寿司カウンターが開かれました。日本企業の駐在員から、現地の客へと広がっていきました。

このころ、生魚や黒い海苔に慣れない客のために生まれたのが、カリフォルニアロールです。海苔を内側に巻き込み、脂の乗った魚の代わりに、アボカドとカニを使いました。1960〜70 年代に考え出されたものです。考えた人は、ロサンゼルスの職人とする説と、カナダのバンクーバーの職人とする説があり、決まっていません。この裏巻きという工夫(第24章)が、のちの世界的な寿司ブームの入口になりました。

もう一つの転機は、サーモンです。日本では、天然のサケには寄生虫がいることが知られていました。だから生で食べる習慣はありませんでした。1980 年代の半ば、ノルウェーは養殖のアトランティックサーモンを、日本の寿司ネタとして売り込む計画を立てました。長い交渉を経て、1990 年代に生食用のサーモンが日本の市場に定着しました。いまでは世界で最も人気のあるネタの一つですが、「昔からの江戸前のネタ」ではありません。

2013 年 12 月には、「和食;日本人の伝統的な食文化」がユネスコの無形文化遺産に登録されました。寿司は和食の顔として、さらに注目されるようになりました。

海外の日本食レストランも増えました。農林水産省の調査では、2006 年に約 2.4 万店だったものが、2025 年には約 18.1 万店です。その多くは日本人以外が営んでいるとされます。寿司を握る職人にも、日本で修業したことのない人が多くいます。

25.9 いま、そしてこれから

今の寿司は、二つの方向に進んでいます。

一つは高級化です。2007 年に、東京版のミシュランガイドが創刊されました。それから、職人が流れを組み立てるおまかせが、高級店の定番になりました。世界中から客が、日本のカウンターを訪れるようになりました。その中で、戦後に細った江戸前の仕事が見直されています。粕酢の赤シャリ、魚を寝かせる熟成(第10章)、昆布締めや漬けといった技です。

もう一つは大衆化です。回転寿司や持ち帰りの寿司が、毎日の食事として定着しました。

そして世界には、暑い国の屋台や夜市で、十分な冷蔵設備のないまま寿司を売る例もあります。生の魚とご飯は、温度の管理を誤れば最も危ない組み合わせです。それを、酸と仕事と低温の知恵なしに扱えば、食中毒は避けられません。

表25-1 寿司の移り変わりと、魚を守るしくみ
形主な時代酸の出どころ米の扱い魚を守るしくみ
なれずし古代〜(今も鮒ずしなど)乳酸発酵発酵の餌。捨てる酸と塩で数か月〜年単位
生なれ室町時代短い乳酸発酵形を残して食べる浅い酸と塩で数日〜数週間
早ずし江戸時代前期〜酢を混ぜる酢飯として食べる酢飯の酸。押して水分を抜く
江戸前の握り文政年間〜酢(粕酢・米酢)酢飯を握る酢飯に加え、締める・煮る・漬ける仕事
今の握り戦後〜酢酢飯を握る冷蔵・冷凍と衛生管理。仕事は味のために選ぶ

表25-1 の中身を言葉でまとめると、こうなります。なれずしと生なれは、発酵で作った酸と塩で守りました。早ずしと江戸前の握りは、酢の酸に、仕事を重ねて守りました。今の握りは、冷蔵と冷凍、そして衛生管理で守っています。

寿司はいつも、「魚をどうやって安全に食べるか」への答えとして、形を変えてきました。なれずしの乳酸、早ずしの酢、江戸前の仕事、戦後の冷蔵。どれも、その時代の技術で安全を守る工夫でした。世界に広がった今、職人が受け継ぐべきものは、握りの形よりも、この「安全を設計する」考え方です。日本寿司協会がこの本の第一の柱に衛生を置くのは、それが寿司の歴史そのものだからです。

25.10 保存の原理で歴史を読み直す

ここまでの歴史を、保存の原理という一本の糸で読み直してみます。

江戸前の仕事を科学で見る

江戸前の仕事は、それぞれ別の原理で魚を守っています。塩は浸透圧で魚の水分を引き出します。酢は pH を下げて、菌を増えにくくします。加熱は菌そのものを殺します。醤油は、その塩分で守ります。

仕事を入れたネタは、水分活性と pH が下がります。だから生のネタより日持ちし、味も深くなります。冷蔵庫のある今も、仕事は「低温に加える、もう一つの守り」として働きます。

表25-2 寿司の形ごとの保存の原理と、保存期間の目安
形魚を守る主な原理保存期間の目安
なれずし低い pH と、塩による脱水数か月〜年単位
生なれ浅い酸と塩数日〜数週間
早ずし(箱・押し・ちらし)酢飯の低い pH、押して水分を抜く当日〜翌日
江戸前の握り酢飯に加え、締める・煮る・漬ける仕事当日中
現代の握り冷蔵・冷凍と衛生管理10℃以下で短時間(第5章)

保存の期間は、なれずしの年単位から、早ずしの翌日まで、江戸前の握りの当日中へと、だんだん短くなってきました。そのぶん、魚は生に近づき、味はよくなりました。そして今の握りは、低温で守りながら、短い時間で食べてもらう料理です。

回転寿司と、世界の職人

回転寿司は、職人の技術を、機械と分業に置き換えました。そのかわり、大量の米飯と魚を低温で安全に回し続ける、という課題を背負いました。

世界では、寿司を握る職人の数が、日本の職人をはるかに超えたとみられます。海外の日本食店が約 18 万店あることからの推定です。その多くは、熱帯や亜熱帯の国にいます。酸と仕事と低温の知恵なしに、生の魚と米飯を扱えば、命に関わる事故にもなりえます。

数字を飾らない

海外の客に歴史を話すとき、もう一つ心がけたいことがあります。数字を飾らないことです。年代や店の数は、確かな出典のあるものだけを使います。分からなければ、「調べてお伝えします」と答えます。歴史を正確に語る態度は、衛生の数値を正確に守る態度と同じ、職人の資質です。

この章のまとめ

  • 寿司の始まりはなれずしです。魚を米と漬けて乳酸発酵させ、酸で守る保存食で、米は捨てていました。室町時代の生なれで米も食べるようになり、江戸時代の早ずしで発酵が酢に置き換わりました。
  • 1804 年に尾張の半田で粕酢づくりが始まり、安い酢が江戸の寿司を支えました。赤シャリの由来です。
  • 握り寿司は文政年間、1818〜1830 年ごろの江戸で、屋台の手早い食べ物として生まれました。華屋与兵衛・堺屋松五郎らの名が伝わりますが、考案者は諸説あります。一貫は今の 2〜3 倍あったと伝えられます。
  • 締める・煮る・漬ける江戸前の仕事は、冷蔵庫のない時代の保存技術でした。「江戸前」は産地の名から、仕事の流儀を指す言葉へ意味を変えました。
  • 1923 年の関東大震災で職人が全国に散って握りが広まり、戦後は委託加工で生き延び、冷蔵庫が生のネタの時代を開きました。
  • 寿司が世界へ広がる節目は、次の四つです。1958 年の元禄寿司。1960 年代のアメリカとカリフォルニアロール。1990 年代のノルウェーのサーモン。2013 年の和食の無形文化遺産登録です。
  • pH 4.6 はボツリヌス菌の境目で、多くの食中毒菌が増えなくなるのは pH 4 前後からです。なれずしは酸と塩による脱水の二重で守られ、保存の主役は発酵の酸、酢と仕事、低温へと移ってきました。(一級)

確認問題

問1 握り寿司の誕生について、最も適切な説明はどれか。
a 奈良時代に、都へ納める税の品として生まれた
b 文政年間(1818〜1830 年)ごろの江戸で屋台の食べ物として広まり、考案者には華屋与兵衛や堺屋松五郎などの説がある
c 1923 年の関東大震災の後に、地方へ移った職人が考え出した
d 華屋与兵衛が一人で発明したことが、記録ではっきり確かめられている
e 戦後、電気冷蔵庫が普及してから生まれた

答え:b

握り寿司は文政年間ごろの江戸で生まれたとするのが通説です。華屋与兵衛のほか、堺屋松五郎を先がけとする見方もあり、考案者は諸説あります。a の奈良時代に納められたのは、なれずしです。c の関東大震災は、握りが全国に広まるきっかけになった出来事です。d のように一人の発明と断定するのは正確ではありません。e の冷蔵庫は生のネタを広めたもので、握りの誕生よりずっと後です。

問2 なれずしと生なれの違いについて、最も適切なものはどれか。
a なれずしは酢で飯を酸っぱくし、生なれは乳酸発酵で酸を作る
b なれずしは発酵を長くかけて米は食べずに捨て、生なれは発酵を短くして米も一緒に食べる
c なれずしは江戸時代に生まれ、生なれはそれより古い奈良時代の形である
d なれずしは魚を生のまま飯にのせ、生なれは魚を煮てから漬ける
e 両者に違いはなく、地域による呼び名の違いにすぎない

答え:b

なれずしは、数か月から年単位の乳酸発酵で魚を保存し、崩れた米は捨てます。室町時代に広まった生なれは、発酵を数日から数週間に縮め、形の残った米を魚と一緒に食べます。a は酸の出どころが逆です。酢を使うのは、江戸時代の早ずしからです。c は時代が逆です。

問3 なれずしが腐らずに保存できる理由について、最も適切なものはどれか。
a pH 4.6 を下回ると、ほとんどすべての食中毒菌が増えなくなるから
b 乳酸菌が魚の中の菌をすべて殺すから
c 乳酸で pH が 4 前後まで下がり、さらに塩で水分が抜けて、菌が増えにくくなるから
d 米が魚の水分をすべて吸い取り、魚が乾物になるから
e 桶の中に酸素がないので、どの菌も生きられないから

答え:c

鮒ずしでは、漬け込みからおよそ 1 か月で pH が 4 を下回ります。多くの食中毒菌は pH 4 前後で増えられなくなります。塩で水分が抜けて水分活性も下がり、酸と水分の二重で守られます。a は誤りで、pH 4.6 はボツリヌス菌の境目とされる値です。黄色ブドウ球菌やサルモネラのように、4.6 より低くても増える菌があります。b の酸は菌を殺すのではなく、増えにくくします。