
第III部 魚を知る
第10章
魚の死後に起きること ― 死後硬直・熟成・腐敗
魚は締めたあとも、身の中で変わり続けます。硬くなり、やがてほどけて旨味が増し、最後は腐ります。この順番と速さを決めるのは、締め方・温度・魚の種類・衛生の四つです。この章では、熟成と腐敗の違いを「主役はだれか」で説明し、熟成を安全に行う方法を学びます。
この章で学ぶこと
- 活け締め・神経締め・血抜きが、なぜ魚の味と日持ちをよくするのかを説明できる
- 死後硬直・熟成・腐敗の順番と、熟成と腐敗の主役の違いを説明できる
- 熟成を安全に行う温度と手順を言い、腐敗のサインを見分けられる
- 旨味が生まれる経路と K 値を説明し、食べ頃と腐敗の始まりを数値で言える(一級)
- 魚の種類ごとの熟成の向き不向きを、理由とともに説明できる(一級)
10.1 締め方で魚の「その後」が決まる
魚の品質は、水揚げのときにほとんど決まります。どう死んだかで、筋肉に残る「エネルギーのもと」の量が変わるからです。これはあとで旨味のもとになり、身が硬くなるのを遅らせる働きもします。暴れさせずに締めるほど、多く残ります。仕入れた魚が「どう死んだか」を読めなければ、熟成の計画は立てられません。
- 野締め(のじめ)
- 網や釣りで揚げた魚を、そのまま空気中や氷の中で死なせることです。魚は暴れてエネルギーを使い果たすので、旨味が出にくく、早く硬くなり、傷みも早くなります。
- 活け締め(いけじめ)
- 生きている魚の脳をすばやく壊し、暴れる時間をなくす締め方です。目の後ろに手鉤(てかぎ)や刃物を打ち込み、続いて脳と背骨の神経のつなぎ目(延髄)を切ります。
- 神経締め
- 活け締めのあと、背骨の中の神経(脊髄)に細いワイヤーを通して壊すことです。脳を壊しても体はしばらくぴくぴく動いて、エネルギーを使い続けます。それを止めます。身が硬くなるのを遅らせて「時間を稼ぐ」技術で、味を直接よくするものではありません。
- 血抜き
- 締めると同時に鰓(えら)の付け根と尾の付け根を切り、心臓が動いているうちに海水の中で血を出すことです。心臓が止まると血は抜けません。締めてから数分以内が勝負です。
- 氷締め
- アジやイワシなどの小さな魚を、氷と海水を混ぜた0℃前後の水に生きたまま入れ、すばやく冷やして死なせることです。野締めよりはるかによい方法です。
血を抜く理由は三つあります。一つめ、血は菌の栄養になり、腐るのを早めます。二つめ、血に含まれる鉄は脂の酸化を早め、生臭さのもとになります。三つめ、残った血は黒ずみ、見た目を悪くします。
届いた魚の頭に穴があり、鰓の付け根に切れ目があれば活け締めです。尾の付け根にも切れ目があれば、血抜きも済んでいます。反対に、口と鰓蓋が大きく開き、鱗がはがれ、身が反っている魚は、暴れて死んだ魚です。寝かせずに、その日のうちに使い切るか、加熱に回します。
エネルギーの通貨 ATP で見る締め方
「エネルギーのもと」の正体は ATP(エーティーピー)です。細胞が筋肉を動かすときに使う、エネルギーの通貨のような物質です。筋肉には、その原料となる糖、グリコーゲンも蓄えられています。
野締めの魚は、酸欠で苦しんで暴れ続けます。その間に筋肉が激しく縮み、ATP とグリコーゲンを使い果たします。同時に乳酸がたまり、筋肉の温度も上がります。死んだ時点で ATP がほとんど残らないので、旨味が出にくく、硬直が早く来て早く解けます。活け締めは、ATP とグリコーゲンを筋肉に残したまま締める方法です。乳酸がたまるのも、体温が上がるのも防げます。目的を一言でいえば、「筋肉のエネルギーを使わせずに締めること」です。
脳を壊しても魚が動くのは、脊髄が残っていると、脳の命令がなくても反射で筋肉が縮むからです。神経締めはこの無駄な消費を止めます。魚の種類や温度にもよりますが、硬直の始まりが数時間から半日以上遅れます。遠くへ運んでも、店に着いたときにまだ硬直前か硬直中、という状態にできます。背骨の断面に細い穴が見えれば、神経締めの印です。
血の中の鉄は、ヘモグロビンという赤い色素に含まれています。この鉄が脂の酸化を強く進めます。鰓を開けて白っぽく血の気がなければ、血はよく抜けています。血抜きが足りない魚は、どれほど温度を管理しても熟成に耐えません。なお寿司の世界の「締める」には、魚を殺す締めと、塩や酢で身を引き締める仕込みの締めの二つの意味があります。後のほうは第13章で扱います。
10.2 死後硬直 ― 硬いが、旨味はまだ少ない
魚が死ぬと、筋肉のエネルギーのもとは少しずつ減っていきます。これが尽きると、筋肉は縮んだまま固まり、魚は板のように硬くなります。これが死後硬直です。腐ったのではありません。どの魚にも起きる自然な変化です。暴れて死んだ魚ほど早く始まり、一般に小さな魚ほど早く、大きな魚ほど遅く来ます。
硬直中の身はコリコリと歯ごたえがあり、鮮度は最高です。けれども旨味はまだ少なく、味は淡い状態です。寿司では、ネタの旨味がシャリに負けないことが大切です。そのため多くの魚は、硬直が解けてから使います。硬直中におろすと、身が反って縮み、身割れも起きやすくなります。丸のまま硬直させ、解けてからおろすのが基本です。
硬直のしくみ ― アクチンとミオシン
生きている筋肉では、アクチンとミオシンという二種類のタンパク質の糸が、互いに滑り合って縮んだり緩んだりしています。ミオシンがアクチンをつかんで引き寄せると、筋肉は縮みます。ミオシンに ATP がくっつくと、ミオシンは手を離し、筋肉は緩みます。つまり ATP は、筋肉を緩めるための鍵でもあります。
魚が死ぬと、酸素が筋肉に届かなくなります。筋肉はしばらく、グリコーゲンを乳酸に変えて少しだけ ATP を作ります。やがてグリコーゲンが尽き、ATP は減る一方になります。たまった乳酸で、筋肉の pH(酸っぱさの目盛り。小さいほど酸性)は下がります。生きているときの 7 前後から、タラなどの白身魚で 6.0〜6.5 前後、グリコーゲンの多いマグロでは 5.5 前後になります。ATP が筋肉 1 グラムあたりおよそ 1 マイクロモル以下になると、ミオシンはアクチンをつかんだまま離せなくなります。この結合が全身で固まった状態が、死後硬直です。
硬直の早さを変えるもの
- 締め方 ATP の少ない野締めの魚は早く硬直し、早く解けます。活け締め・神経締めの魚は、硬直前の時間が長くなります。
- 温度 酵素の働きは、温度が低いほど遅くなります。0℃付近なら硬直の始まりは遅れ、長く続きます。15〜20℃に置けば数時間で硬直し、すぐ解けて腐敗へ向かいます。
- 魚の種類と大きさ アジやイワシは 1〜数時間、マグロやブリでは半日以上かかることもあります。活発に泳ぐ回遊魚は ATP の使い方が速く、海底でじっとしている底魚は遅い傾向です。
ただし、マダイやヒラメなどでは、活け締め直後に0℃まで急に冷やすと、かえって硬直が早まる低温硬直が報告されています。締めた直後に 5〜10℃で数時間置いてから冷やす産地もあります。これは魚が清潔な、締めた直後だけに成り立つ産地のやり方です。店に着いた魚は、菌を増やさないために 0〜4℃が原則です(第5章)。また、硬直前におろしても、骨の支えを失った身は硬直のときに短く厚く縮みます。
10.3 熟成と腐敗 ― 主役はだれか
熟成 ― 魚自身の酵素が旨味を作る
硬直のあと、身の中にもともとある酵素が、筋肉の骨組みを少しずつ切っていきます。酵素とは、身を分解する、はさみのような働きをするものです。身はほどけて柔らかくなります。このころ、筋肉に残っていたエネルギーのもとは、酵素の働きでイノシン酸に変わっています。鰹節の旨味として知られる成分です。酵素はさらにタンパク質を分解し、甘味やコクのもとになるアミノ酸を増やします。こうして旨味が増し、身がねっとりしてくる時間が、職人のいう「寝かせる」、つまり熟成です。
ただし、イノシン酸もやがて分解され、最後は苦味のある成分に変わります。旨味がいちばん多く残っている時間が食べ頃です。
腐敗 ― 外から付いた菌が主役
熟成と腐敗は、別々に起きるものではありません。同じ時間の流れの上で、熟成の先に腐敗があります。違いは主役です。熟成の主役は魚自身の酵素で、旨味を作ります。腐敗の主役は、魚の表面や鰓、内臓に付いていた菌です。菌は、酵素が作ったアミノ酸などを餌にして増え、嫌な臭いの成分やぬめりを作ります。海の魚の生臭さの主な原因も、身にもともとある臭いのない成分を、菌が臭いのある成分に変えたものです。
つまり、「鮮度がよい=おいしい」ではありません。「古い=熟成」でもありません。締めたばかりの魚は旨味が少なく、管理せずに置いた魚はただ腐っていきます。熟成とは、低温と衛生で菌を抑えながら、酵素に旨味を作らせる「管理された時間」のことです。
10.4 旨味が生まれる経路と K 値
硬直が解けることを解硬(かいこう)といいます。働くのは、魚自身の細胞にある自己消化酵素のうち、タンパク質を切る酵素です。アクチンとミオシンの結合が外れるのではありません。それを束ねている枠組みが崩れて、柔らかくなります。
ATP からイノシン酸、そして苦味へ
死後、筋肉に残った ATP は、酵素によって順に形を変えます。ATP から ADP、AMP を経て、IMP になります。IMP はイノシン酸のことです。そこから HxR(イノシン)に、最後に Hx(ヒポキサンチン)になります。
ATP から IMP までは速く進みます。低温でも、死後数時間から 1 日ほどで、大部分が IMP になります。ここで旨味が生まれます。IMP から先はゆっくりなので、IMP はしばらく筋肉にたまります。これが「寝かせると旨くなる」の正体です。やがて IMP は、味のほとんどない HxR に、さらに苦味のある Hx に変わります。IMP がいちばん多くたまっている時間が、その魚の食べ頃です。
IMP が分解される速さは、魚の種類で大きく違います。マダイ、ヒラメ、カレイ、マグロなどは IMP が長く保たれ、アジ、サバ、イワシ、カツオなどは比較的速く分解されるとされます。氷の中で保存したマダイは 16 日たっても K 値が 40% 未満だったのに対し、タラの仲間は 2〜3 日で 60% に達したという報告があります。
K 値 ― 鮮度を数字で表す
K 値は、この分解の進み具合で鮮度を表す数字です。ATP から Hx までの六つの合計のうち、終わりに近い HxR と Hx が何パーセントを占めるかを示します。目安は、即殺直後で 10% 未満、刺身で出せるのは 20% 以下、40% 前後は加熱向き、60% 以上は初期腐敗の始まりとされます。
K 値は、菌ではなく魚自身の酵素による変化を測ります。だから菌が少なくても、時間とともに必ず上がります。「菌がいないから新しい」ではなく、「イノシン酸がまだ残っているから旨い」を測る物差しです。上がる速さは温度で決まり、同じ魚でも 0℃と 10℃では数倍の差が出ます。
アミノ酸と脂の変化
熟成中は、酵素がタンパク質を切って、ペプチド(アミノ酸が数個つながったもの)や、グルタミン酸、アラニン、グリシンなどのアミノ酸を増やします。グルタミン酸はイノシン酸と組み合わさると、旨味をぐっと強めます。これを相乗効果といいます(第20章)。熟成した白身が「甘い」「味が濃い」と感じられるのはこのためです。
脂も変わります。脂を分解する酵素(リパーゼ)が働き、脂の風味が複雑になります。ただし脂は空気に触れると酸化し、進むと古い油の臭いが出ます。トロ、ブリ、サバなど脂の多い魚ほど注意が要ります。
解凍したマグロを冷蔵庫で寝かせる場合も、しくみは同じです。冷凍中は酵素の働きがほぼ止まっています。解凍すると ATP の分解が再び進み、イノシン酸が増えます。なお、脂の量は死後に増えることはありません。
10.5 熟成の正しいやり方
熟成は、「魚自身の酵素には働いてもらい、外から付いた菌には増えてもらわない」という綱渡りです。困ったことに、魚を腐らせる菌の多くは0℃近くでも増えられます。冷やすだけでは足りません。熟成を始める前に、菌の数を減らしておくことが大切です。
温度は 0〜4℃、できれば 0〜2℃です。温度が上がるほど菌は速く増え、10℃では 0℃の数倍の速さで腐敗が進みます。家庭用冷蔵庫の冷蔵室は 3〜6℃なので、高すぎます。魚を氷に直接触れさせると、その部分が冷えすぎて細胞が壊れ、白く変わって水が出ます。これを氷焼けといいます。氷の融け水に浸けると、塩分のない水が身に入って水っぽくなり、菌の培地にもなります。真空包装は、空気のない所で増え、低い温度でも増えられる菌がいるため、3℃以下で保管します。
- 内臓と鰓を先に除く 腐敗は、消化の酵素と菌の多い内臓から始まります。鰓は血が多く、菌が最初に増える場所です。仕入れた日のうちに除き、背骨に沿った血合いもかき出します。
- 冷たい水で短く洗う 血を流し切ります。長く水に浸けません。真水は身を水っぽくし、多くの菌には効かないからです(第13章)。
- 水気を完全に拭く 腹の中までペーパーで拭きます。いちばん手を抜かれやすい工程です。濡れたまま包むと、翌日には表面がぬめります。
- 素手で身に触れない 人の手には黄色ブドウ球菌がいます(第3章)。おろした身は、清潔な器具かペーパー越しに扱います。
- 器具と場所を清潔にする 洗う工程と身を切る工程で、まな板と包丁を分けるか、洗ってから切り替えます(第4章)。
- 包んで冷やし、札を付ける ペーパーで包み、ラップで乾燥を防いで 0〜2℃に入れます。日付、魚の種類、締め方、予定の日数を札に書きます。
- 毎日見て、ペーパーを替える 濡れたペーパーは菌の培地です。少なくとも 1 日 1 回、初日は数時間おきに替えます。替えるたびに、表面の菌も取り除いていることになります。
| 魚 | 目安 | 理由と注意 |
|---|---|---|
| マダイ・ヒラメ・スズキなど白身の大型魚 | 2〜5日 | 旨味が長く保たれ、脂が少なく酸化しにくい |
| ブリ・カンパチ・シマアジ | 2〜4日 | 脂が酸化しやすい。血合いが黒ずんだら切り上げる |
| アジ・サバ・イワシ・サンマなど青魚 | 当日〜翌日 | 旨味が早く抜けるとされ、ヒスタミンの心配もある。塩と酢で締める(第16章) |
| イカ | 当日〜翌日(長くても 2 日まで) | 寝かせてもイノシン酸の旨味は増えにくい。甘みの変化は第17章 |
| エビ | 当日(頭を外せば翌日まで) | 頭の酵素で身が溶け、黒くなる |
| 貝 | 生きたまま保存し、開けたら当日 | 死んだ貝は急速に傷む |
白身の大型魚は数日寝かせられ、青魚・イカ・エビ・貝は当日から翌日までに使う、と覚えてください。マグロは第14章で扱います。
包みの技術と、鱗・皮の扱い
0℃付近でも増える菌を低温菌といい、シュードモナスやシェワネラの仲間が代表です。だから冷やすことと、菌を減らすことの両方が要ります。表面に水が残れば菌が増え、乾きすぎれば身が硬くなって酸化も進みます。この矛盾を解くのが「包み」です。
- キッチンペーパー 魚の表面と腹の中の水分、ドリップを吸わせます。
- 脱水シート 吸水材と膜でできたシートで、身の表面の水だけを浸透圧で抜きます。表面で菌が増えにくくなり、身は締まります。サクの熟成に向きます。
- 真空包装 空気を断って、脂の酸化と、赤身が茶色くなるメト化(第14章)を防ぎます。空気がない所で増えるボツリヌス菌の E 型は、3℃付近でも増えます。真空包装の魚を 3℃以下で保管するのは、これに備える国際的な目安です。袋の中にドリップが出れば、そこで菌は増えます。真空包装は「腐らなくなる」技術ではありません。
丸のまま熟成するとき、鱗は付けたままにする職人が多くいます。鱗と皮は、身を外気から守る天然の包装だからです。鱗を落とすと皮に細かな傷がつき、水分が抜けて菌も入ります。サクで熟成するときは皮を残して片面を守ります。ただ皮の下の脂は酸化しやすいので、脂の多い魚ではサクにしてからの期間を短くします。出す前には皮を引き、必要なら表面を薄く削ぎ落とします。削いだ表面には菌が集まっているので、まかないにも使いません。
10.6 熟成と腐敗の見分け方
旨味の山を過ぎると、酵素の働きで苦味が出始め、同じころに菌が増えて腐敗の臭いが立ちます。次のサインで見分けます。
| 見る所 | 熟成が進んだ(まだ使える) | 腐敗の始まり(使わない) |
|---|---|---|
| 匂い | 海の香りが弱まり、ほのかに甘い | 酸っぱい、ツンとする、鼻につく生臭さ |
| 表面 | 乾いて少し張る、またはねっとり | 糸を引くぬめり、白い膜 |
| 色 | 白身は透明感が減って乳白色に。赤身はやや暗くなり、表面が茶色くなることもある(表面を削いで使う。削いだ身は生では使わない。第14章) | 白身が灰色や黄色っぽい。血合いが黒く崩れる |
| ドリップ | 透明から薄い赤で、少し | 白く濁る、粘る、量が多い |
| 弾力 | 押すとゆっくり戻る | 跡が残る、指が沈む、崩れる |
| 味(最後の確認) | 旨味と甘味が強い | 苦味、酸味、舌がピリピリする |
匂い、ぬめり、濁ったドリップ、戻らない弾力が、出すのをやめるサインです。赤身の茶色は、身の赤い色素の鉄が酸化したもので、それだけでは腐敗の証拠になりません。
腐敗でできる物質と、腐敗の物差し
- ヒポキサンチン(Hx) イノシン酸の最後の分解物です。菌ではなく酵素でできますが、苦味のもとで、旨味の終わりを告げます。
- アミン類 菌がアミノ酸から作ります。ヒスチジンからはヒスタミンができます。赤身魚・青魚に多く、加熱で壊れず、アレルギーに似た食中毒を起こします(第3章)。リジンからはカダベリン、オルニチンからはプトレシンができ、どちらも腐敗臭です。
- アンモニア 菌がアミノ酸から作る、鼻を刺す臭いです。サメやエイは体に尿素を持つので、死後早くからアンモニア臭が出ます。
- トリメチルアミン(TMA) 海の魚の筋肉には、体の水分の濃さを保つために、臭いのないトリメチルアミンオキシド(TMAO)が含まれます。シェワネラなどの菌がこれを TMA に変えます。これが魚の生臭さの主な原因です。多くの淡水魚は TMAO が少ないので、生臭さの質が違います。
- 硫化水素・メチルメルカプタン 硫黄を含むアミノ酸からできる、卵の腐ったような臭いです。ここまで来れば、完全な腐敗です。
アンモニアやアミン類など、揮発する窒素の量の合計を揮発性塩基窒素(VBN)といいます。魚肉 100 グラムあたり 5〜10 ミリグラムなら新鮮、30〜40 ミリグラムで初期腐敗、50 ミリグラムを超えると腐敗とされます。K 値は酵素による旨味の変化を、VBN は菌による腐敗を測ります。別の物差しなので、K 値が低くても菌が多い魚も、菌は少ないのに味の抜けた魚もあります。白い膜や糸を引くぬめりは、菌が作る粘りのある物質です。白身が灰色や黄色を帯びるのは、色素と脂の酸化です。
10.7 魚の種類による熟成の向き不向き
「寝かせれば何でも旨くなる」は誤りです。IMP の分解の速さ、脂の量、ヒスタミンの原料になるヒスチジンの量、旨味の種類が魚ごとに違うからです。
- 赤身(マグロ・カツオ)
- マグロは IMP の分解が比較的遅いとされ、脂が多く身も大きいので、熟成に向く魚とされます。冷凍を解凍したものは解凍後 1〜3 日、生のものは数日から 1 週間以上が目安ですが、部位や個体の差が大きく、専門の仲卸が熟成させてから卸すことも多くあります。ただし色が茶色くなるメト化と、ヒスタミンには常に気をつけます。カツオはヒスチジンがさらに多く、IMP の分解も速いので、長い熟成には向きません(第14章)。
- 白身(タイ・ヒラメ・スズキ・カレイ)
- IMP が長く保たれ、脂が少なく酸化しにくい魚です。熟成の効果がいちばん分かりやすく、2〜5 日で甘味と旨味が増し、硬かった身がねっとりします。昆布締めとも合います(第15章)。
- 青魚(アジ・サバ・イワシ・サンマ)
- IMP の分解が速く、脂が酸化しやすく、ヒスチジンが多い魚です。熟成の得より腐敗の危険が大きいので、当日か翌日までに使うか、塩と酢で締めます。締めると身の水分と pH が下がり、酵素と菌の両方を抑えられます(第16章)。
- イカ
- イカの筋肉では、ATP の分解が AMP で止まりやすく、旨味は AMP とグリシン、プロリンなどのアミノ酸によります。IMP がたまらないので、寝かせても旨くなりにくく、むしろ身が白く濁って食感が落ちます。
- 貝
- 生きている間は自分で菌の侵入を防いでいますが、死んだとたんに体の中の菌が一斉に増えます。熟成という考え方は当てはまりません。ホタテの甘味は主にグリシンやアラニンなどのアミノ酸によるもので、熟成で増えることはありません。グリコーゲンはそれ自体は甘くなく、コクに関わります(第18章)。
- エビ
- 頭の中腸腺に強い消化酵素があり、死後これが身へ流れ出して身を溶かします(身溶け)。酵素による黒変も頭から始まります。甘エビの甘味はグリシンなどのアミノ酸で、時間がたつと確かに増えますが、同時に身溶けと黒変も進みます。頭を外して保存し、翌日までに使います(第17章)。
この章のまとめ
- 活け締めは暴れさせずに締めてエネルギーのもとを残し、神経締めは身が硬くなるのを遅らせる。血抜きは心臓が動いているうちに行う。暴れて死んだ魚は寝かせず、その日のうちに使う。
- 死後硬直の身は硬く、鮮度は最高でも旨味は少ない。多くの魚は硬直が解けてから、丸のまま硬直させてからおろす。
- 熟成の主役は魚自身の酵素で、イノシン酸やアミノ酸を作って旨味を増やす。腐敗の主役は外から付いた菌で、臭いとぬめりを作る。「鮮度がよい=おいしい」でも「古い=熟成」でもない。
- 熟成は 0〜4℃(できれば 0〜2℃)。内臓・鰓・血を除き、水気を拭き、素手で触らない。真空包装は 3℃以下。暑い国で冷蔵が途中で切れた魚は熟成しない。迷ったら生で出さない。
- 白身の大型魚は熟成に向き、青魚・イカ・エビ・貝は当日から翌日までに使う。
- ATP は ADP、AMP、IMP(旨味)、HxR、Hx(苦味)の順に分解される。K 値は即殺直後 10% 未満、刺身の目安 20% 以下、60% 以上で初期腐敗。VBN は菌による腐敗を測る別の物差し(一級)。
- 海の魚の生臭さの主な原因は、TMAO が菌によって変えられたトリメチルアミン。死後硬直は ATP が尽きてアクチンとミオシンが離れなくなる現象(一級)。
確認問題
問1 魚の熟成と腐敗について、正しいものはどれか。
a 熟成の主役は外から付いた菌で、菌が増えるほど旨味が増す。
b 死後硬直中の魚は、旨味がいちばん多い食べ頃である。
c 熟成は、魚自身の酵素が旨味を作る変化であり、0〜4℃の低温と衛生管理のもとで行う。
d 青魚は脂が多いので、白身より長く寝かせるほどおいしくなる。
e 嫌な臭いが出ていなければ、ヒスタミンの心配はない。
答え:c
熟成の主役は魚自身の酵素で、腐敗の主役は外から付いた菌です。だから a は誤りです。死後硬直中の身は鮮度は最高ですが、旨味はまだ少ない状態なので、b も誤りです。青魚は旨味が早く抜けるとされ、脂が酸化しやすく、ヒスタミンの心配もあるので、当日から翌日までに使うか、塩と酢で締めます。d は誤りです。ヒスタミンは臭いが出る前に危険な量に達することがあり、加熱しても壊れません。e も誤りです。
問2 魚を店で熟成させるときのやり方として、正しいものはどれか。
a 家庭用冷蔵庫の冷蔵室(3〜6℃)に入れておけば十分である。
b 冷やしやすいように、魚を氷に直接のせ、融け水に浸けておく。
c 内臓と鰓を先に除き、冷たい水で短く洗ったら、腹の中まで水気を拭き取る。
d 真空包装すれば菌は増えないので、温度は気にしなくてよい。
e ペーパーは乾燥を防ぐため、濡れても替えずに数日そのままにする。
答え:c
熟成は 0〜4℃、できれば 0〜2℃で行います。家庭用の冷蔵室では高すぎるので、a は誤りです。氷に直接触れた所は氷焼けし、融け水は身を水っぽくして菌の培地になります。b も誤りです。真空包装でも、空気のない所で増える菌がいるので 3℃以下で保管します。d は誤りです。濡れたペーパーは菌の培地なので、少なくとも 1 日 1 回替えます。e も誤りです。
問3 魚の死後の変化について、正しいものはどれか。
a 海の魚の生臭さの主な原因は、イノシン酸が分解してできるヒポキサンチンである。
b K 値は菌の数を測る指標なので、菌が少なければ時間がたっても上がらない。
c 死後硬直は、ATP が増えすぎてアクチンとミオシンが離れなくなる現象である。
d 海の魚の生臭さの主な原因は、筋肉の TMAO が菌によって変えられてできるトリメチルアミン(TMA)である。
e イカは IMP がたまりやすいので、白身魚より長く寝かせるほど旨くなる。
答え:d
海の魚は臭いのない TMAO を筋肉に持ち、菌がこれを TMA に変えると生臭さが出ます。a のヒポキサンチンは苦味のもとで、生臭さの原因ではありません。b は誤りで、K 値は魚自身の酵素による変化を測るので、菌が少なくても時間とともに上がります。c は逆で、ATP が尽きると、ミオシンがアクチンから離れなくなります。e も誤りで、イカは ATP の分解が AMP で止まりやすく、IMP がたまりません。

