序章
序章
本書の使い方 ― 二級と一級の範囲
本書は、日本寿司協会が二級と一級を受ける職人のために作った公式テキストです。一冊で両方の級に使えるように組み立ててあります。この序章では、協会がこの本を出す理由、二つの級の違い、「一級」の印の見方、本書の読み方を説明します。
この章で学ぶこと
- 協会がこの本を出す理由と、衛生をいちばんに置く理由を説明できる
- 二級と一級で何が問われるか、その違いを説明できる
- 「一級」の印の意味が分かり、自分が学ぶ範囲を見分けられる
- 本書の組み立てと六種類のコラムの意味が分かり、自分に合った学び方を決められる
協会はなぜこの本を出すのか
寿司は、いまや世界の料理です。北米や欧州の街だけでなく、アジア、中東、中南米、アフリカの市場や夜市にも、寿司の屋台が並びます。農林水産省の調べでは、海外の日本食レストランは約18.1万店(2025年)あります。協会は、この広がりを誇りに思っています。
一方で、協会は強く心配しています。世界に広がったのは、寿司の「形」でした。その形を安全に支えてきた「条件」は、一緒に広がりませんでした。気温35℃の屋台で、溶けかけた氷の上に生の魚が並び、朝の酢飯が夕方まで売られます。衛生を知らないまま作られた寿司は食中毒を起こし、命に関わる事故にもなりえます。協会はこれを止めたいのです。
だから本書の第一の柱は衛生です。日本の寿司が生で食べられてきたのは、偶然ではありません。低温の流通、握ってすぐ食べる短い時間、酢飯の酸と塩、そして職人の訓練。この四つが重なって、初めて生食は安全になります。一つ欠ければ崩れます。崩れたことに気づけるのは、「なぜそうするのか」を知っている職人だけです。
衛生の次に大事にしたのは、食材を正しく扱う知識と、おいしい寿司を作る技術です。熟成と腐敗はどう違うのか。冷蔵庫の中をどう並べるのか。なぜ寿司は素手で握れるのか。職人の「当たり前」に、理由をつけて書きました。
本書は、海外で握る職人も読みます。だから日本の常識を前提にせず、「なぜ」まで書きました。
二級と一級 ― 一冊にした理由
日本寿司協会の検定は、四級から一級までの四段階です。四級と三級は、寿司の基礎を学ぶ段階で、筆記試験はありません。筆記試験があるのは、二級と一級だけです。
二級は、実務経験のある職人が最初に受ける筆記の級です。問われるのは、現場で何をするかと、なぜそうするかの二つです。たとえば、「魚は使う分だけ冷蔵庫から出し、すぐに戻す」という手順を知っているだけでは足りません。「外に出ている時間だけ菌が倍々に増え、冷蔵庫に戻しても減らないから」と、理由まで自分の言葉で言えることが求められます。
一級は、検定のいちばん上の級です。二級に受かった職人が、会場での実技と筆記を受けます。同じ事柄を、もう一段深く、科学の言葉で説明できることが求められます。たとえば、アニサキスを殺すのに、なぜ酢や塩では足りず、冷凍が必要なのか。数値の根拠まで答えます。さらに一級では、店を開き、続けるための経営も学びます。
これまで公式テキストは、二級用と一級用の二冊で、中身の多くが重なっていました。そこで一冊にまとめ、級によって出題の範囲と深さを変えることにしました。
「一級」の印の見方
本書では、一級だけの範囲に「一級」という小さな印を付けています。印が付くのは、節の見出し、小見出し、コラム、表、確認問題です。節の見出しに印があれば、その節全体が一級の範囲です。小見出しに印があれば、その小見出しの下、次の小見出しまでが一級の範囲です。コラムや表、確認問題は、印の付いたものだけが一級の範囲です。第VIII部の経営は、章の題に印があり、章全体が一級の範囲です。
学ぶ範囲は、次のとおりです。二級を受ける人は、印のない部分を学んでください。一級を受ける人は、本書の全体を学んでください。印のない部分は、二級と一級に共通の範囲です。
二級を受ける人が、印のある部分を読んでもかまいません。読めば、二級の内容もよく分かるようになります。
本書の構成
本書は八つの部と五つの付録でできています(表0-1)。食の安全から始まり、シャリ、魚、ネタ、調味料と薬味、技術と道具、歴史と心得へ進みます。最後の第VIII部は経営で、一級だけの範囲です。第I部の衛生は、どの読者もいちばん先に読んでください。
| 部 | 章 | 主な内容 |
|---|---|---|
| 第I部 食の安全 | 第1〜6章 | 世界の寿司と衛生、微生物と腐敗、食中毒、洗浄・消毒、温度と在庫、素手で握れる理由 |
| 第II部 シャリ | 第7〜9章 | 米と炊飯、合わせ酢、シャリ切りと温度 |
| 第III部 魚を知る | 第10〜13章 | 死後の変化と熟成、目利き、冷凍と解凍、下処理 |
| 第IV部 ネタ | 第14〜19章 | マグロ、白身、光り物、海老・蟹・イカ・タコ、貝、煮物・玉子・ウニ・イクラ |
| 第V部 調味料と薬味 | 第20〜21章 | 醤油・煮切り・ツメ・出汁、わさび・海苔・ガリ・茶 |
| 第VI部 技術と道具 | 第22〜24章 | 包丁と砥石、おろし方と切り付け、握りと巻き |
| 第VII部 歴史と職人の心得 | 第25〜26章 | 寿司の歴史、接客とおもてなし、職人の責任 |
| 第VIII部 経営(一級) | 第27〜31章 | お金の流れ、仕入れとロス、開業の準備、集客と常連、人と店の仕組み |
| 付録 | A〜E | 覚えておきたい数字、食中毒一覧、寿司ことばと用語集、旬のカレンダー、出題範囲と出題の目安 |
各章は同じ形で書かれています。はじめに導入と「この章で学ぶこと」があり、続いて本文、最後に「この章のまとめ」と確認問題があります。確認問題は、五つの選択肢から一つを選ぶ形で、各章3問です。そのうち1問は一級の範囲から出しています。
コラムの種類
本文の途中に、六種類の囲み(コラム)を置きました。寿司ばなし、要点、職人の仕事、海外の現場で、命に関わる、科学の目、の六つです。実際の形で紹介します。
専門用語は、初めて出てくるところで危険温度帯のように印をつけ、すぐ後に易しい説明を添えました。危険温度帯なら、「菌がよく増える温度の範囲」です。用語は巻末の付録Cにもまとめてあります。
学び方のコツ
一つめは、数値を「数字・条件・理由」の三つの組で覚えることです。アニサキスなら、「−20℃で24時間以上」という数字に、「中心が−20℃になってから数える」という条件と、「酢や塩では死なないから冷凍する」という理由をつけます。理由まで言えれば、条件をすり替えた選択肢にだまされません。
二つめは、節を読み終えるたびに、「なぜ」を一文で言ってみることです。確認問題では、正しい答えを選ぶだけでなく、残りの四つがなぜ違うのかも説明してみてください。
三つめは、店で確かめることです。温度計を持って、冷蔵庫の中の温度や、まな板に出した魚が何分で何度になるかを測ってください。それがいちばん確かな勉強になります。
本書は朗読版も作ります。耳で聞いて分かるよう、文を短くし、表や図の中身は本文でも説明しました。
海外の読者へ。本書の数値は、日本の基準をもとにしています。保健当局の決まりは、国や州、市によって違います。店のある土地の規則を必ず確かめ、日本の基準と違うときは、厳しいほうに従ってください。
自分の店で本書と違う結果が出たときは、協会に知らせてください。本書は、改訂を重ねて育てていく教科書です。
筆記試験と本書の決まり
筆記試験は、協会の問題集から、分野ごとに決められた比率で出題します。二級は「一級」の印のない範囲から、一級は本書の全体から出題します。受験のたびに問題が変わるので、問題と答えを丸暗記しても通用しません。どの分野からどのくらい出るかは、付録E「出題範囲と出題の目安」に示しました。
温度は摂氏(℃)で書きます。品温は、食材そのものの温度です。中心温度は、食材のいちばん厚いところの内側の温度です。庫内温度は、冷蔵庫や冷凍庫の中の空気の温度です。本書はこの三つを区別します。「10℃以下」と書いたときは、10℃も含みます。検定の名前は、「二級」「一級」「本検定」とだけ書きます。

