
第IV部 ネタ
第14章
マグロ
マグロは寿司店の看板で、多くの店で仕入れ額がいちばん大きいネタです。同じ「中トロ」の札でも、マグロの種類が違えば別の食べ物になります。この章では、マグロを「選ぶ・保つ・仕込む・握る」の順に、なぜそうするのかとあわせて学びます。
この章で学ぶこと
- 主なマグロ6種と、天然と養殖、生と冷凍の違いを説明できる
- 部位と筋の走り方を知り、サクの良し悪しを見分けられる
- マグロの色が変わる理由と、色を保つ保管のしかたを説明できる
- ヅケ・炙り・切り付け・握りの温度を、理由とともに使い分けられる
- ヒスタミンと水銀の注意点を知り、一酸化炭素で色を固定したマグロの危険を説明できる(一級)
14.1 マグロの種類
寿司に使うマグロは、サバ科マグロ属の魚です。主なものは6種類あります。種類によって、大きさ、脂、身の色、値段が大きく違います。
クロマグロは本マグロとも呼ばれます。全長3 m、重さ400 kgを超えることもある最大のマグロです。大トロ・中トロ・赤身の味の差が、いちばん大きい種類です。南半球にすむミナミマグロは、インドマグロとも呼ばれます。脂が乗るのは一般に日本の夏とされ、クロマグロの脂が抜ける時期を埋めてくれます。関東の寿司店の「本日のマグロ」は、目が大きく赤身の色が濃いメバチであることがよくあります。
| 種類 | 脂が乗る時期 | 身の特徴 | 主な使い方 |
|---|---|---|---|
| クロマグロ | 冬(12〜2月) | 濃い赤。酸味と鉄分。大トロの脂が最も厚い | 最高値。トロ・赤身とも最上級 |
| ミナミマグロ | 日本の夏 | 脂が甘くまろやか。酸味は弱い | 高値。冷凍・蓄養が中心 |
| メバチ | 秋〜初冬(近海の生) | 濃い赤。やわらかい。トロは中トロまで | 赤身の主力 |
| キハダ | 春〜初夏(近海の生) | 明るい赤。締まって脂が少ない | 赤身・ヅケ。缶詰の原料にも |
| ビンナガ | 冬 | 白っぽい桃色。やわらかい | ビントロ。缶詰の原料にも |
| コシナガ | 夏 | 薄い赤。血合いが少ない | 主に産地で消費 |
6種のうち、冬に脂が乗るのはクロマグロとビンナガ、夏に脂が乗るのはミナミマグロです。種類を偽って、高い種類として売ることは法令違反です。職人の信用も失います。水銀の目安も種類で違うので(14.8)、正しい表示は客の安全にもつながります。
6種の違いをもう少し詳しく
クロマグロは太平洋と大西洋に1種ずついて、北半球の温帯から冷帯を回遊します。サンマやイカを食べて脂を蓄える12〜2月が、最も脂の乗る時期です。赤身は色が濃く、鉄分の風味と酸味がはっきりしています。値段は、ほかの種類と桁が違います。
ミナミマグロは南半球の温帯から冷帯にだけすみます。脂の甘みがまろやかで、赤身とトロの境目がはっきりしています。主に冷凍で入り、オーストラリアでは蓄養が盛んです。メバチは身がやわらかく、水分がやや多めです。近海の生は秋から初冬に脂が乗り、延縄(はえなわ)漁の冷凍物は一年中安定して手に入ります。
キハダは黄色いひれが目印です。熱帯の海の表層を速く泳ぐので、身は締まって脂が少なく、トロはほとんど取れません。世界では、カツオと並ぶツナ缶の主な原料です。ビンナガは胸びれが長い小型の種類で、ビンチョウとも呼ばれます。冬に脂が乗ったものは「ビントロ」として回転寿司で人気があります。コシナガはマグロ属の小型の種類です。西日本から東南アジアの沿岸に多く、身は色が薄く、産地で安く食べられています。
| 種類 | 流通の中心の大きさ | 主な海域 |
|---|---|---|
| クロマグロ | 100〜300 kg(最大400 kg超) | 北半球の温帯・冷帯、地中海 |
| ミナミマグロ | 30〜100 kg(最大2 m超) | 南半球の温帯・冷帯 |
| メバチ | 40〜150 kg(最大2 m超・200 kg超) | 世界の熱帯〜温帯 |
| キハダ | 20〜70 kg(最大2 m超) | 熱帯・亜熱帯の表層 |
| ビンナガ | 20〜40 kg(1〜1.3 m) | 世界の温帯の外洋 |
| コシナガ | 数kg〜10 kg(1 m未満) | 西太平洋・インド洋の沿岸 |
流通の中心は、クロマグロが100〜300 kg、メバチが40〜150 kg、キハダが20〜70 kgほどです。
14.2 天然と養殖、生と冷凍
天然・養殖・蓄養
マグロの養殖には二つの形があります。蓄養(ちくよう)は、天然の幼魚や若魚、または産卵のあとで痩せた成魚を生け捕りにして、生け簀(す)で数か月から数年太らせる方法です。完全養殖は、卵からかえした稚魚を親まで育て、その卵からまた育てる方法です。
どちらも、脂の多いサバやイワシ、脂の多い配合飼料を与え続けます。そのため、季節に関係なく全身に脂が入ります。天然なら赤身になる背中側にまで、霜降りの脂が入るのです。ねっとりした脂は魅力ですが、何貫も続くとくどくなります。トロは薄めに切り、赤身は天然のメバチやキハダを別に用意するなど、天然とは扱いを変えます。養殖が劣るのではなく、扱い方が違うのです。
生と冷凍 ―「生が上」ではない
遠洋のマグロ漁船は、釣ったマグロを船の上で処理し、−60℃前後の超低温で凍らせて持ち帰ります。この温度では、色の変化も脂の酸化もほとんど進みません。1年以上たっても、色と味がほぼ変わりません。アニサキスなどの寄生虫は、−20℃以下で24時間以上の冷凍で死にます。ですから、こうして凍らせたマグロに寄生虫の心配は事実上ありません(第3章・第12章)。
一方、一度も凍らせていない「生マグロ」は、近海で獲れて氷詰めで運ばれます。店に届くまで数日かかることもあります。また、釣り上げるときに長く暴れたマグロは、身焼け(みやけ)を起こすことがあります。身が白っぽく濁り、やわらかく、酸っぱい味になる状態です。船の上ですぐ凍らせたマグロのほうが、何日も氷詰めで運ばれた生より状態が良いことは、普通にあります。解凍のしかたは第12章で学びました。
養殖の脂をどう生かすか
天然のマグロでは、脂は腹側と皮の下に集まります。養殖では、あまり泳がない生け簀で高カロリーの餌を与え続けるので、背中の深い所まで脂が入り、「背トロ」が取れます。餌に由来する脂の性質の違いから、脂の溶ける温度は天然よりやや低いとされます。口に入れると、ねっとりと広がります。
この脂は商品として強い力をもちますが、扱いには注意が要ります。一つは、赤身らしい赤身が取れないので、おまかせの中で「赤身で口を締める」流れが組めないことです。もう一つは、脂が溶けやすいぶん、室温や手の温度で傷むのも速いことです。そこで、トロは薄く切り、赤身は天然物を別に用意し、ヅケや炙りで脂を切ります。
冷凍が止めているもの、身焼けが起きるわけ
−60℃前後では、身の中の酵素の働き、脂の酸化、そして14.4で学ぶ色素の酸化が、ほぼ完全に止まります。生マグロは、釣ってから店に届くまで3〜7日かかることも珍しくありません。身焼けは、暴れた魚の体温が上がり、筋肉に乳酸がたまって酸性に傾くことで起きます。冷やすのが遅れるほど起きやすくなります。
生の値打ちは、水分をわずかに多く保つことと、「生」という言葉の商品の力にあります。冷凍の値打ちは、品質が安定していること、寄生虫の心配がないこと、一年中手に入ることにあります。どちらが上かではなく、何を求めるかで選びます。
14.3 部位と筋
マグロは解体すると、背側と腹側を、それぞれ頭の方から「上・中・下」に分けます。赤身は背側の中心部にあり、トロは腹側の皮に近い部分にあります。頭に近い腹側ほど、脂が厚くなります。
| 部位 | 場所 | 特徴と使い方 |
|---|---|---|
| 赤身(天身) | 背側の中心部。天身(てんみ)は背のいちばん高い所の芯 | 脂が少なく、鉄分と酸味がある。筋がほとんどない。握り・ヅケに最上 |
| 中トロ | 背側の皮に近い所、腹中、腹と背の境など | 脂と赤身のバランスがよく、最も万人向け |
| 大トロ | 腹上から腹中の皮の下。カマトロは胸びれの付け根付近 | 脂が最も厚い霜降り。筋も太く多い(蛇腹)。薄めに切る、炙る |
| 中落ち | 中骨のまわりの身をこそげたもの | 骨まわりの旨味。軍艦、巻物、ネギトロ |
| 脳天・ほほ | 頭の身 | 脳天は脂があり筋のない希少な部位で握りに。ほほは繊維が粗く焼き物向き |
| 血合い | 背と腹の境に沿った暗い赤の帯 | 最も傷みやすい。生では使わず、煮付けや焼き物など加熱料理に |
筋の見方
身に白く走る筋は、筋肉のかたまり同士をつなぐ膜で、主な成分はコラーゲンです。尾に近いほど、筋の間隔は狭く、筋そのものも太く硬くなります。頭寄りの背の芯、つまり天身には筋がほとんどありません。大トロには、脂の層と筋の層が交互に重なった「蛇腹(じゃばら)」があります。脂も筋もいちばん強い所です。
サクを選ぶときは、次の点を見ます。筋の間隔が広くそろっているか。狭く詰まっていれば尾寄りの身です。色が均一で、暗い斑点や茶色い縁がないか。切り口がしっとり光り、乾いて白っぽくなっていないか。
筋が尾で強くなるわけと、サクの取り方
マグロを解体すると、背上・背中・背下・腹上・腹中・腹下の6つのブロックと、カマ・頭・尾に分かれます。背上は背一番、腹上は腹一番とも呼ばれます。
魚の身は、筋節(きんせつ)という筋肉のブロックが頭から尾へ重なってできています。筋は、この筋節の境目に沿って斜めに走ります。尾に近いほど筋節が小さくなるので、筋の間隔が狭くなります。また、泳ぐ力を尾に伝えるため、筋そのものも太く硬くなります。
ブロックをサクにするときは、切り付けたときに筋が垂直か斜めに断たれる向きに、サクの長い辺を決めます。筋がサクの長い辺と平行だと、ネタに筋が一本丸ごと残り、噛み切れません。仕入れでは、筋がサクの面に対して斜めに、整然と走っているかも見ます。
14.4 色が変わる理由
マグロの赤は、血の色ではありません。筋肉の中にあるミオグロビンという色素の色です。筋肉の中に酸素をためておく色素で、休みなく泳ぐマグロの筋肉にたくさん含まれています。
切りたての身や、真空パックから出した直後の身は、暗い赤紫色です。空気に触れると色素が酸素と結びつき、20〜30分ほどで鮮やかな赤に変わります。ここまでは、元に戻れる変化です。ところが時間がたつと、色素の中の鉄が酸化して茶色くなります。これをメト化、または褐変(かっぺん)といいます。いったんメト化した身は、元の赤には戻りません。
メト化は、温度が高いほど、空気に触れる面が広いほど、光に当たるほど、時間がたつほど速く進みます。冷蔵の0〜4℃でも、表面は1〜3日で茶色くなり始めます。ですから、色を守る方法は次の四つです。
- 低温に保つ 冷蔵庫のいちばん冷える場所、0〜2℃に置きます。
- 空気を断つ 水気をペーパーで取り、ラップを密着させるか、真空にします。
- 光を避ける 明るいネタケースに長く並べません。
- 切り口を減らす 切り付けは注文ごとに行います。
使い残しのサクは、翌日、表面の茶色い層を薄く削ってから使います。削った身は生では使わず、加熱料理に回します。表面には菌が集まりやすいからです(第10章)。
また、「色が良い=新しい」ではありません。真空や冷凍から出した直後の暗い色は、酸素に触れていないだけで、むしろいちばん新しい状態です。反対に、鮮やかな赤でも古いことがあります。色が示すのは酸素との触れ方であって、鮮度そのものではないのです。
14.5 熟成と季節
冷凍マグロは、解凍した直後は旨味が少なく、味が平らなことがよくあります。凍っている間、旨味をつくる変化が止まっていたからです。解凍したら、ペーパーで包んで0〜2℃の冷蔵庫に1〜3日置きます。すると旨味が増え、身がしっとりして、色も落ち着きます。ペーパーは毎日替えます。
生の大型クロマグロは、サクにせずブロックのまま、数日から1週間以上寝かせる店が多くあります。切り口が増えるほど、乾燥と酸化とメト化が進むからです。血合いは酸化がいちばん速いので、早めに外さないと隣の身に匂いが移ります。温度と衛生の管理がなければ、それは熟成ではなく腐敗です(第10章)。
太平洋のクロマグロは、春から夏に産卵します。産卵のために、体の脂を使い切ります。夏のクロマグロは脂が抜けて身が締まり、鉄分の風味と酸味が前に出ます。これを夏マグロといいます。値は下がりますが、さっぱりした赤身は、醤油の旨味を吸わせるヅケによく合います。冬は餌をよく食べて脂を蓄え、中トロ・大トロが取れる季節です(第11章)。
解凍直後に旨味が少ないわけ
第10章で学んだように、魚の旨味の中心はイノシン酸です。筋肉のエネルギーのもとであるATPが、死後に酵素で分解されてできます。遠洋のマグロは、死後硬直の前に船の上で凍らされます。−60℃ではこの分解が止まったままなので、解凍直後はイノシン酸がまだ少ないのです。冷蔵で1〜3日置くと、酵素が働きを再開してイノシン酸が増えます。
太平洋のクロマグロは、南西諸島や日本海で産卵します。夏マグロの酸味は、主に筋肉の乳酸から来ます。醤油の塩気と旨味が、この酸味によく合うのです。
14.6 ヅケと炙り
ヅケ
ヅケは、マグロを醤油の地に漬ける仕事です。冷蔵庫のない江戸時代には、保存の知恵でした(第25章)。今は、赤身の酸味と醤油の旨味を合わせるために行います。漬け地には、醤油に酒やみりんを合わせて火を入れ、アルコールを飛ばした煮切り醤油を使います(第20章)。
大事なのは、漬ける前に湯霜(ゆしも)をすることです。湯霜とは、サクの表面に熱湯をかけてすぐ氷水に取り、表面だけを白く固める処理です。固まった表面が薄い膜になり、漬け地が中へしみ込みすぎるのを防ぎます。湯霜をせずに漬けると、塩分が芯まで入って中まで塩辛くなり、色も黒ずみます。湯霜をすれば、外側は醤油の色と旨味をまとい、中は赤身の色と酸味が残ります。
- サクを整える 赤身を、握り2〜3貫分の幅のサクにします。水気をペーパーで押さえます。
- 湯霜 沸騰した湯をサク全体にかけます。または3〜5秒くぐらせます。表面が白くなったらすぐ氷水に取り、10〜20秒で引き上げ、水気を完全に拭きます。
- 漬ける 冷ました煮切り醤油に沈め、冷蔵庫に入れます。目安は、サクで2〜3時間から半日、切り身なら10〜30分です。
- 引き上げる 汁気を拭き、ペーパーで包んで冷蔵します。漬け地は使い回さず、その日のうちに捨てます。
湯霜は、殺菌や寄生虫対策のためのものではありません。数秒の湯霜では、中心の温度は上がりません。寄生虫も死にません。
炙り
大トロやカマトロのように脂の強い部位は、炙ると表面の脂が溶けて、口の中ですぐ広がります。焼き目の香ばしさが、脂のくどさをやわらげます。強い火で短い時間、表面だけを変えるのが原則です。中まで温めると、脂が流れ出て身が縮みます。
湯霜と炙りの科学
湯霜で表面が白くなるのは、表面のタンパク質が熱で固まるからです。この膜が、漬け地の入る速さを抑えます。膜がないと、塩分の濃い漬け地から身へ、浸透圧で塩が芯まで入ります。湯霜をしたヅケを切ると、外側の醤油の色から中心の赤へ、きれいな色の階調ができます。
炙りでは、二つのことが同時に起きます。一つは、皮の下の脂は溶ける温度が低いので、一瞬で液体になることです。もう一つは、表面のアミノ酸と糖が高温で反応するメイラード反応で、香ばしい香りと味が生まれることです。この香ばしさが脂のくどさを中和します。さらに、表面は温かく中心は冷たいという温度の差ができ、脂の重さが軽く感じられます。
14.7 切り付けと握り
筋への包丁
大トロの蛇腹や、腹下の筋の多い部分は、そのまま切ると筋が口に残ります。包丁の刃を筋に対して垂直か斜めに交差させ、筋を短く断ち切ります。筋に沿って平行に切ると、一本の長い筋がネタに残り、噛んでも切れません。筋は口の温度では溶けませんが、短く断てば脂と一緒に口から消えます。これが「口溶け」の正体です。筋が詰まった尾に近い部分は、ネギトロや巻物に回します。
厚みは「シャリと一緒に消える」ように
トロは赤身より薄く切ります。脂の強いトロを厚く切ると、シャリが先に口の中からなくなり、脂のかたまりだけが残るからです。赤身は脂が少なくやわらかいので、やや厚めに切っても溶けます。厚みのぶん、酸味と鉄分の味がシャリに負けません。切り付けは、柳刃を手前に一息で引く引き切りで行い、切り口をつぶさないようにします(第23章)。
シャリと手の温度
マグロの脂は、冷蔵の温度から少しずつやわらかくなり、24〜30℃付近までに溶けきるとされます。部位や個体、季節で幅があります。シャリが人肌、つまり約35〜37℃なら、口に入れたときに脂が溶けて舌に広がります。冷蔵庫から出したような冷たいシャリでは、脂が溶けきらないうちに飲み込むことになり、ろうのように舌に残ります。トロのおいしさは、脂が溶けることそのものです。人肌のシャリは、好みではなく条件です(第9章)。
職人の手の温度も問題です。手は体温に近く、脂が溶ける温度より温かいからです。トロを長く持つと、脂が手に移り、ネタのつやが消えてべたつきます。シャリに脂が付いて、ほどけも悪くなります。脂の強いネタを握るときは、冷たい手酢や氷水で手を冷やし、手数を少なく、数秒で握り終えます。指先で温度を感じながら加減できることは、素手で握る理由の一つでもあります(第6章・第24章)。
わさびと醤油も、部位で変えます。わさびの辛味は脂に溶けやすいので、トロにはやや多めにすると脂が切れます。醤油は、鉄分と酸味のある赤身には多めが合います。トロは脂が醤油をはじき、塩気が脂の甘みを隠すので、少なめにします。ヅケには醤油を付けません。
引き切りと、口の中の時間差
シャリは、唾液と数回の咀嚼でほどけて消えます。やわらかい赤身も、ほぼ同じ速さで消えます。ところが、脂の網目が強いトロを厚く切ると、シャリだけが先に消えます。薄く切れば、トロの脂が溶けきる時と、シャリが消える時がそろいます。厚みとは、口の中で消える時間を合わせる技術なのです。
引き切りでは、柳刃の刃元から刃先までを使って、手前に一息で引きます。押して切ったり、前後に動かしたりすると、細胞が押しつぶされます。すると切り口から水分と旨味がドリップとして流れ出します。一太刀の引き切りは細胞をほとんど壊さないので、切り口の角が立ち、断面が光り、旨味が中に残ります。
トロを握るときは、手酢とは別に小さな器の氷水を置きます。注文が入ったら、指先を1〜2秒くぐらせてから握ります。握ったあとに手のひらが脂で光っていたら、手が温かすぎるか、手数が多すぎます。
14.8 安全と表示 ― ヒスタミンと水銀
マグロは、ヒスタミンのもとになる成分、ヒスチジンが多い魚です。温度の管理を誤ると、細菌がヒスタミンをつくります。常温では速く進み、冷蔵の温度でも長く置けばできることがあります。
水銀と妊娠中の客
マグロは食物連鎖の上のほうにいる魚なので、メチル水銀という物質を体にためています。おなかの赤ちゃんは影響を受けやすいため、日本の厚生労働省は、妊娠中の人に向けて、マグロの種類ごとに目安を示しています。
| 種類 | 目安 |
|---|---|
| クロマグロ・メバチ | 1回約80 gとして、週1回まで |
| ミナミマグロ | 週2回まで |
| キハダ・ビンナガ・メジマグロ・ツナ缶 | ふつうに食べる量なら、特に制限はない |
クロマグロとメバチは週1回まで、ミナミマグロは週2回までです。キハダやツナ缶などは、特に制限はありません。メジマグロはクロマグロの若い魚です。妊娠中の客に「これは何マグロですか」と聞かれたら、正しく答えられなければなりません(第26章)。また妊娠中の人には、冷蔵庫の中でも増えるリステリア菌の心配もあります。職人の側から生ものをすすめないのが基本です。
14.9 海外のマグロ ― 冷凍の履歴とCO処理
海外の店で「フレッシュ」と表示されたマグロでも、途中で一度解凍してから凍らせ直したものや、空輸で3〜5日かかったものが混ざります。履歴を仕入れ先に確かめ、分からなければ、冷凍の履歴がはっきりしたものを選ぶほうが安全です。
一酸化炭素処理、略してCO処理は、色を固定する処理です。一酸化炭素は、ミオグロビンの鉄に酸素より強く結びつき、鮮やかな紅色のカルボキシミオグロビンをつくります。この結びつきはとても安定していて、茶色くなりません。冷凍と解凍を繰り返しても、鮮度が落ちても、腐敗が始まっても、色が変わらないのです。
危険なのは、一酸化炭素の毒ではありません。鮮度を隠してしまうことです。ヒスタミンができていても、見た目は美しいままです。日本では、食品衛生法のもとでCO処理をした魚の販売は認められていません。EUも認めていません。一方、米国など一部の国では認められています。表示の扱いは国や用途で違います。
見分ける手がかりは四つあります。不自然に均一で明るいピンク色であること。血合いまで同じ桜色であること。日がたっても暗くならないこと。品質に釣り合わないほど安いことです。ただし確実な判別には分析が要ります。CO処理が合法な国で働く職人は、色を鮮度の目安から外します。匂い、温度の履歴、仕入れ先の信頼、納品時の品温で判断します。
この章のまとめ
- 主なマグロはクロマグロ・ミナミマグロ・メバチ・キハダ・ビンナガ・コシナガの6種で、脂・色・値段が大きく違う。種類を偽って売るのは法令違反。
- 養殖・蓄養のマグロは季節を問わず全身に脂が入るので、薄めに切るなど天然と扱いを変える。−60℃前後で凍らせたマグロは色と味がほぼ変わらず、寄生虫の心配も事実上ない。「生が上」ではない。
- 筋は尾に近いほど強く、間隔が狭い。包丁は筋に対して垂直か斜めに入れて短く断つ。
- マグロの赤は色素ミオグロビンの色。色素の鉄が酸化すると茶色くなり(メト化)、元に戻らない。低温・空気を断つ・光を避ける・切り口を減らすことで防ぐ。色は鮮度そのものではない。
- 解凍後は0〜2℃で1〜3日寝かせると旨味が増す。夏マグロはヅケに向く。ヅケは湯霜で表面を固めてから煮切り醤油に漬ける。
- トロは赤身より薄く切り、シャリは人肌にする。脂の強いネタは手を冷やして手早く握る。妊娠中の人は、クロマグロ・メバチを1回約80 gで週1回まで。
- CO処理は色を固定して鮮度とヒスタミンを隠す。日本とEUでは認められていない。CO処理が合法な国では、色を鮮度の目安から外す(一級)。
確認問題
問1 冷蔵庫に3日置いたマグロのサクの表面が、茶色くなっていた。正しい説明はどれか。
a 色素が酸素とくっつきすぎた状態で、冷蔵庫でもう一晩置けば赤に戻る
b 真空パックから出した直後と同じ状態で、空気に触れれば20〜30分で赤に戻る
c 色素の中の鉄が酸化した変化(メト化)で、元の赤には戻らない。表面を薄く削り、削った身は加熱料理に回す
d 一酸化炭素で処理したマグロに特有の色である
e 血合いの血が回っただけなので、水で洗えば落ちる
答え:c
茶色くなるのは、色素の中の鉄が酸化するメト化で、元の赤には戻りません。「酸素とくっつきすぎる」のではありません。b は真空パックから出した直後の暗い赤紫色の説明です。一酸化炭素で処理したマグロは、逆に何日たっても桜色のまま変わりません。身を水で洗うと水っぽくなり、色も戻りません。削った表面には菌が集まりやすいので、生では使いません。
問2 ヅケを漬ける前に湯霜をする目的として、正しいものはどれか。
a 表面を殺菌して、生で長く保存できるようにする
b アニサキスを殺す
c 表面だけを固めて膜をつくり、漬け地が芯までしみ込んで塩辛くなるのを防ぐ
d 身全体に火を通して、脂を落とす
e 色を鮮やかな桜色に固定する
答え:c
湯霜は、表面だけを白く固めて膜をつくり、漬け地が入りすぎるのを防ぐ処理です。数秒の湯霜では中心の温度は上がらないので、殺菌や寄生虫対策にはなりません。湯霜をすると、外側は醤油の色と旨味、中は赤身の色と酸味が残ります。
問3 一酸化炭素で処理したマグロ(CO処理品)について、正しいものはどれか。
a 一酸化炭素の毒が身に残るので、食べると中毒を起こすのが最大の危険である
b 一酸化炭素が鉄と強く結びついて色が変わらなくなり、鮮度の低下やヒスタミンができたことが見た目で分からなくなる
c 日本では表示をすれば販売できる
d メトミオグロビンが増えて、茶色に固定される
e −60℃で凍らせたマグロと同じなので、品質は保証されている
答え:b
一酸化炭素はミオグロビンの鉄に酸素より強く結びつき、カルボキシミオグロビンという鮮やかな紅色をつくります。この色は変わらないので、鮮度が落ちても、ヒスタミンができても、見た目は美しいままです。危険の中心は毒ではなく、鮮度を隠すことです。日本の食品衛生法のもとでは、CO処理をした魚の販売は認められていません。

