日本語

すし検定

目次 第23章 おろし方と切り付け
    1. 序章本書の使い方 ― 二級と一級の範囲
  1. 第I部 食の安全

    1. 第1章世界に広がる寿司と衛生の現実
    2. 第2章微生物と腐敗のしくみ
    3. 第3章寿司屋で起きる食中毒
    4. 第4章洗浄・消毒・異物混入を防ぐ
    5. 第5章温度管理と在庫管理
    6. 第6章なぜ素手で握れるのか
  2. 第II部 シャリ

    1. 第7章米を知る ― 米と炊飯
    2. 第8章合わせ酢と調味
    3. 第9章シャリ切りと温度
  3. 第III部 魚を知る

    1. 第10章魚の死後に起きること ― 死後硬直・熟成・腐敗
    2. 第11章目利きと仕入れ
    3. 第12章冷凍と解凍
    4. 第13章下処理 ― 塩・酢・昆布・皮・骨
  4. 第IV部 ネタ

    1. 第14章マグロ
    2. 第15章白身魚
    3. 第16章光り物
    4. 第17章海老・蟹・イカ・タコ
    5. 第18章貝類
    6. 第19章煮物・玉子・ウニ・イクラ
  5. 第V部 調味料と薬味

    1. 第20章醤油・煮切り・ツメ・出汁と旨味
    2. 第21章わさび・海苔・ガリ・茶
  6. 第VI部 技術と道具

    1. 第22章包丁と砥石
    2. 第23章おろし方と切り付け
      1. 23.1 魚をおろす
      2. 23.2 サク取りと出刃の使い方
      3. 23.3 切り付け ― 引いて切る
      4. 23.4 筋の向き・厚み・包丁目
      5. 23.5 温度戻しと切り置き
      6. 23.6 まな板の上の衛生と動線一級
    3. 第24章握りと巻き
  7. 第VII部 歴史と職人の心得

    1. 第25章寿司の歴史 ― 屋台から世界へ
    2. 第26章カウンターに立つ ― 接客・おもてなしと職人の責任
  8. 第VIII部 経営

    1. 第27章お金の流れ ― 原価・歩留まり・値決め一級
    2. 第28章仕入れ・在庫・ロス一級
    3. 第29章開業の準備一級
    4. 第30章お客を集め、常連を育てる一級
    5. 第31章人と店の仕組み一級
  9. 付録 資料編

    1. 付録A覚えておきたい数字と温度・時間の早見表
    2. 付録B食中毒一覧表
    3. 付録C寿司ことばと用語集
    4. 付録D旬のカレンダー
    5. 付録E出題範囲と出題の目安

朗読は本文・コラム・まとめを読みます。表・図・確認問題は読みません。再生中は段落を押すと、そこから聴けます。

第VI部 技術と道具

第23章

おろし方と切り付け

一尾の魚をおろしてサクにし、サクから一切れのネタを切り出す。寿司の味の大半は、この包丁の仕事で決まります。骨の形を知らずにおろせば身が骨に残り、刃を押して切れば細胞が潰れて旨味が流れます。この章では、おろし方と切り付けを、「なぜそうするのか」と一緒に学びます。

この章で学ぶこと

  • 水洗いからサク取りまでの順序と、途中で手と道具を洗い直す理由を説明できる
  • 三枚おろし・五枚おろし・開きの違いと、出刃の使い方を説明できる
  • 引き切りで切ると切り口が潰れず、旨味が流れ出にくい理由を説明できる
  • 筋の向き・厚み・温度戻しを、切り置きの禁止と両立させて判断できる
  • 飾り包丁の三つの目的と、温度戻しで味が立つしくみを説明できる(一級)

23.1 魚をおろす

おろす順序は、どの魚も同じ考え方です。まず水洗いをします。鱗・頭・内臓・血合いを取り除き、流水で洗う作業です。次に骨に沿って身を外し、最後にサクにします。

大事なのは、水洗いまでが「汚れた工程」、サク取りからが「きれいな工程」だということです。魚の表面や腸の中には、菌がたくさんいます。それを客の口に入る身に移さないために、工程の境目でまな板・包丁・手を洗い直します(第4章)。

水洗いでは、内臓を出すときに刃先を浅く入れます。内臓を傷つけると、腸の中の菌や胆汁が身に付くからです。胆汁とは、苦い消化液です。中骨に沿って残る血合いは、背骨の下にある腎臓の血の塊です。膜を破って、流水で残らず洗い流します。血合いは菌の栄養になり、残すと臭みと傷みの出発点になります。

水洗いの細かな手順 ― すき引き・頭・血合い

鱗は、鱗取りで尾から頭へ逆立てて取るか、すき引きで取ります。すき引きは、柳刃や出刃を寝かせて、皮と鱗の境目を薄く削ぎ落とす方法です。すき引きの利点は二つあります。一つは、鱗取りのように身を押さないことです。ヒラメのように鱗が細かく身の柔らかい魚でも、細胞を潰さず、身割れを起こしません。もう一つは、鱗の根元まで皮一枚で切り離すことです。鱗の隙間に入り込んだ汚れと菌ごと取り除けます。鱗取りでこすると、鱗が飛び散って厨房を汚し、根元に汚れが残ります(第13章)。

頭は、胸びれと腹びれの付け根を結ぶ線で落とします。腹を肛門まで開いて、内臓を出します。血合いは、包丁の切っ先か竹のささらで膜を破り、流水で洗い流します。洗い終えたら水気を拭き、ここで一度、まな板と包丁と手を洗います。

三枚おろし・五枚おろし・開き

三枚おろしは、魚を上の身・下の身・中骨の三枚に分ける、基本のおろし方です。背骨を挟んで左右対称の体を持つ魚なら、どれにも使えます。要点は一つ、刃をいつも中骨に触れさせながら進めることです。骨から離れると身が骨に残り、骨に刺さると刃が止まります。

  1. 切れ目を入れる 背びれと腹びれの際に沿って、皮に浅く切れ目を入れます。背と腹のどちらから始めるかは、店や魚によって違います。
  2. 中骨の上を滑らせる 刃先を中骨に当て、骨の感触を確かめながら背骨まで届かせます。
  3. 身を外す 尾の付け根に刃を通し、背骨の上に刃を寝かせて頭の方へ引きます。裏返して、反対側も同じ順で外します。
  4. 骨を見る 中骨に残った身の量が、おろし方の成績表です。

ヒラメやカレイのような平たい魚は、三枚にはできません。五枚おろしで、表の身二枚・裏の身二枚・中骨の五枚に分けます。ひれの付け根に沿った細長い筋肉がエンガワで、脂と歯ごたえがあります。

穴子やアジは、背開きにもします。背から包丁を入れ、腹の皮一枚でつなげたまま開く方法です。腹から開くのが腹開きです。鰻は、関東が背開き、関西が腹開きとよく言われます。

左身 右身 中骨 背 腹 三枚おろし(丸い魚の断面) 表身(上身)二枚 裏身(下身)二枚 中骨 エンガワ エンガワ 五枚おろし(ヒラメ・カレイの断面)
図23-1 三枚おろしと五枚おろしの断面(模式図)。丸い魚は中骨の左右に二枚、ヒラメは上下左右に四枚の身と、両端にエンガワがある。

三枚おろしの細かな手順と、五枚おろし・開きの細部

三枚おろしの一例です。頭を右、背を手前に置き、背びれの際に沿って尾から頭へ皮一枚を切ります。二度目で刃を中骨に当て、背骨まで届かせます。刃先が背骨の突起に当たる感触を保ちます。次に腹を手前にして、腹びれの際から尾へ同じように切ります。腹骨の付け根は厚いので、刃元で外します。背骨と身をつなぐ太い骨も、刃元で断ちます。裏返したら、下になった身は骨の形に合わせて、刃を寝かせる角度を変えます。骨が透けて見えるほど身が残っていなければ合格です。

五枚おろしでは、目のある表を上にして置きます。中骨の線に沿って頭から尾へ切り込みを入れ、そこからひれに向けて刃を寝かせ、骨の上を滑らせて身を外します。エンガワは、ひれを動かす筋肉なので、脂と結合組織が多くなります。身を外す前にひれに沿って切り離すか、外した身から切り分けます。表の身は裏の身より厚いので、同じ魚でも切り付けの厚みを変えます。

背開きは、皮目が外に広がって身の厚みがそろい、煮ても焼いても形が崩れにくくなります。観音開きは、厚い身の中央に切り込みを入れ、左右へ刃を寝かせて開く方法です。均一な厚みに広げられるので、サバの棒寿司や厚い腹身の調整に使います。開きはどれも、皮一枚を残すのが共通点です。皮が身を支えるので、形が保たれます。

23.2 サク取りと出刃の使い方

三枚にした身を、切り付けができる長方形の塊にする作業がサク取りです。まず腹骨を、刃を寝かせて、骨の曲がりに合わせて薄くすき取ります。深く入れると腹の身が失われ、浅いと骨が残ります。次に、身の真ん中に一列に並ぶ血合い骨を取ります。鯛やブリなど大きな魚は、列の両側に刃を入れて切り離し、背と腹の二本のサクにします。アジやサバは、骨抜きで頭の方向へ斜めに抜きます。最後に皮を引きます。包丁は動かさず、皮の方を引くのが基本です(骨抜きと皮引きは第13章)。

おろしに使う出刃は、場所によって役目が違います(第22章)。刃元は手元の厚い部分で、頭を落とし、太い骨を断ちます。刃先は皮を切り、骨の上を滑り、腹骨をすきます。峰は刃の反対側の背で、鱗を逆立てたり、骨を叩いたりします。

どの場面でも、原則は力ではなく刃を引くことです。力を入れると、刃が骨に食い込み、身を削り、刃先が欠けます。おろす速さは力では決まりません。刃先で骨の形を感じ取れているかで決まります。

骨の扱いと、魚の種類ごとの要点

血合い骨は、身の中央の、背の身と腹の身の境目に、頭から斜めに並ぶ小骨です。骨抜きで抜くときは、骨の生えている角度に沿って、頭の方へ斜め前に引きます。逆に引くと身がちぎれます。皮引きでは、柳刃の裏をまな板に寝かせ、刃をまな板と平行に保って、銀皮を身に残します。

出刃で骨を断つときは、刃元を当て、峰を左手の付け根で押すか、刀身の重さを落とします。叩き付けると刃が欠けます。骨の上を滑らせるときは、刃を手前に引く動きの中で骨に触れさせます。

表23-1 魚の種類ごとのおろし方の要点
魚おろし方要点注意
鯛三枚(本出刃)鱗が硬く多いので、すき引きか鱗取りを丁寧に。頭は梨割りにしてカマ・兜を取る。血合い骨は列ごと外す背びれと鰓蓋の棘で手を切りやすい。腹骨が太く、刃元で外す
ヒラメ五枚鱗はすき引き。中骨の線に沿って切り込み、ひれへ向けて外す。エンガワを別に取る表と裏で身の厚みが違う。裏の身は薄く切ると崩れる
アジ三枚、背開き、大名(小出刃)尾の側線上の硬い鱗(ゼイゴ)を尾から頭へ削ぎ取る。皮は頭側から手で引き、銀皮を残す身が薄いので刃を深く入れない。大量にさばくときは品温を管理する(第5章)
サバ三枚身が柔らかく崩れやすい。おろしたらすぐ塩を当てる。大きな血合いは臭みの元なので完全に除くアニサキスは内臓の周りの身に多い。おろしながら目で確かめる(第3章)
穴子背開き(関東)目打ちで頭を固定し、背から中骨の上を一気に尾まで引く。中骨・腹骨を外し、ひれを落とし、ぬめりを取る血液に毒があり、目や傷口に入ると炎症を起こす。加熱で毒は失われる(第19章)
イカ胴と足を分けて開く胴に指を入れて内臓ごと足を抜き、軟甲を抜いて胴を開く。皮は四層で、内側の透明な薄皮まで除く(第17章)墨袋を破らない。表面の寄生虫(アニサキス)を確かめる

この表で特に覚えておくことは三つです。サバはアニサキスを目で確かめながらおろします。穴子の血には毒があり、加熱で失われます。ヒラメは表と裏で身の厚みが違います。

23.3 切り付け ― 引いて切る

サクから一切れのネタを切り出すことを切り付けといいます。原則は引き切りです。柳刃の刃元をサクに当て、手前に引きながら、切っ先までの長い刃を使って、一回の動きで切り離します。押したり、のこぎりのように前後に動かしたりはしません。

なぜ引くのか。切れない包丁でトマトを押して切ると、実が潰れて汁が広がります。よく切れる包丁ですっと引けば、切り口はきれいで、汁もほとんど出ません。魚も同じです。押して切ると、刃が身を押し潰してから入るので、切り口の細胞が壊れて中の液が流れ出します。この液をドリップといい、旨味の成分と水分そのものです。引き切りなら、刃が滑りながら小さな力で入ります。壊れる細胞は、刃が通ったごく薄い層だけで済みます。

うまく引き切れた切り口は、面と面が交わる線がぴんと立って光ります。これを角(かど)が立つといいます。

引き切りの科学 ― なぜ角が立つのか

刃が引かれると、刃先の細かな凹凸(第22章)が、繊維を次々に裂いていきます。刃が刃筋の向きに滑りながら進むので、小さな押す力で刃先が組織に入ります。断面は、刃先の線がそのまま写った、なめらかな面になります。押し切りでは、真下へ押す力だけで切るので、大きな力が要ります。刃の斜面が組織を横に押し広げ、細胞は裂ける前に押し縮められて、細胞膜が破れます。前後に動かす往復切りでも、刃が動くたびに断面がこすられます。

流れ出るドリップには、遊離アミノ酸や、旨味成分のイノシン酸、水分が含まれます。ドリップが出た断面は白くにごり、まな板に液が残り、口に入れたときの旨味の立ち上がりが弱くなります。角が立ったネタは見た目が締まり、舌触りもはっきりします。角を立てる条件は四つです。鋭い刃(第22章)、一動作の引き切り、冷えたサク、濡れ布巾で拭いた清潔な刃です。角が丸まるのは、刃が鈍っているか、押して切ったか、サクが温まって身が柔らかすぎたかのどれかです。

23.4 筋の向き・厚み・包丁目

筋の向き

マグロのサクに見える白い筋は、筋肉の層と層をつなぐ膜です。包丁は、この筋に対して直角か斜めに交わる向きで入れます。筋が細かく断ち切られ、口に残りません。筋と平行に切ると、長い筋が丸ごと残って、いつまでも噛み切れません。

厚みと切り方

厚みの基準は、ネタとシャリが口の中で同時になくなることです。脂の強いネタは薄くします。身の締まった白身は、そぎ切りで薄く広くします。そぎ切りは、刃を寝かせて斜めに削ぐ切り方です。脂の少ない赤身は、やや厚めにします。刃を立てて引く基本の切り方は平造りといいます。

表23-2 握り一貫のネタの切り方と厚みの目安(店によって大きく違う)
ネタ切り方厚みの目安理由
マグロ赤身平造り(刃を立てて引く)6〜8mm脂が少なく、厚くても溶ける
中トロ・大トロ平造り4〜6mm脂が溶ける時間をシャリに合わせる
鯛・ヒラメそぎ切り3〜4mm身が締まっているので薄く広く
イカ細かい隠し包丁4〜6mm繊維を断って噛み切りやすく

表の数字を言葉で言うと、赤身は 6〜8mm、トロは 4〜6mm、白身は 3〜4mm、イカは 4〜6mm です。

飾り包丁と隠し包丁

ネタの表に入れる浅い切れ目を飾り包丁、裏のシャリ側に入れる見えない切れ目を隠し包丁といいます。硬い繊維を断って歯切れをよくし、煮切り醤油も絡みやすくなります。深さは、身の三分の一から半分までです。深すぎると握ったときにちぎれ、浅すぎると効き目がありません。

筋節と筋隔、厚みの理由

魚の筋肉は、筋節(きんせつ)という W 字型の筋肉の層が、頭から尾へ並んでできています。層の間をつなぐ薄い膜が筋隔(きんかく)です。サクに見える白い筋がこれで、マグロのトロではこの膜が厚くなります。サクは、筋が左下から右上へ走る向きに置き、刃を筋に交差させて引くのが基本の構えです。尾に近い部分は筋の間隔が狭く、断っても口に残るので、ネギトロや巻物に回します。

トロを赤身と同じ厚さで切ると、脂の網目はシャリより溶けるのが遅く、シャリが先になくなって脂だけが口に残ります。薄く切って、人肌のシャリ(第9章)で脂が溶ける時を、シャリがほどける時に合わせます。白身は身が締まって噛みごたえがあるので、厚いとシャリより長く口に残ります。そぎ切りで面を広げれば、薄くてもシャリを覆えます。赤身は厚みがあるぶん、赤身の酸味と鉄分の味がシャリに負けません。貝やイカのように歯ごたえで食べるネタは、厚みより隠し包丁で噛み切りやすさを作ります。

薄造りは、そぎ切りをさらに薄く、器の模様が透けるまで引いたものです。フグ・カワハギ・ヒラメに使います。薄さをそろえるには、薄いふぐ引きを使い、サクを十分に冷やして身を締めておきます。トロのように柔らかいネタも、冷蔵庫から出した直後の締まった状態で切ると、角が立ちます。

表23-3 握り一貫のネタの大きさと重さの目安(店によって大きく違う)
ネタ長さ×幅重さ
マグロ赤身7〜8cm × 3cm13〜18g
中トロ・大トロ7〜8cm × 3cm12〜16g
鯛・ヒラメ(厚さ 3〜4mm)7〜8cm × 3.5cm10〜14g
ブリ・カンパチ(平造り、厚さ 5〜6mm)7cm × 3cm12〜16g
コハダ・アジ(半身、皮目に包丁)半身10〜15g
イカ7cm × 3cm10〜13g

飾り包丁の三つの目的と、皮目への包丁

飾り包丁と隠し包丁には、三つの目的があります。第一に、硬い繊維や筋を断って歯切れをよくします。イカの交差するコラーゲンの繊維、アジやコハダの皮、ブリの筋が、噛み切りやすくなります。第二に、表面積を増やします。切り込みのぶん表面が増え、煮切り醤油や塩の絡む量が増えます。第三に、増えた表面が、舌の味蕾(みらい)に触れる面を広げます。味蕾は、味を感じる細胞の集まりです。旨味や甘みを強く感じるようになります。イカの甘みが隠し包丁で立つのは、この効果です。

コハダやアジなど、半身をそのまま使う光り物は、身の厚い背の側を薄くそいで厚みをそろえます。皮目には包丁を入れます。皮が縮むのを抑えて握りの形を保ち、硬い皮を噛み切れるようにするためです。コハダの皮に斜めの格子を入れる、アジの皮に縦の筋を入れるなど、店ごとの意匠も生まれました。

23.5 温度戻しと切り置き

冷蔵庫から出したばかりのネタは、冷たすぎます。甘みや旨味を感じにくく、トロの脂も溶けきりません。そこで、握る直前に切った一切れを、数十秒から 1〜2 分置き、表面だけを少し戻します。これが温度戻しです。

温度戻しは、切り置きとはまったく違います。切り置きとは、何人分ものネタを先に切って並べておくことです。ネタを室温にさらして、菌に増える時間を与えます(第5章)。サクは冷蔵庫に置いたまま、戻すのは直前の一切れだけ。営業前にサクを常温に出して「温度を戻しておく」のは、切り置きと同じ誤りです。

なぜ戻すのか ― 味蕾・脂・香り

冷蔵庫から出した直後のネタは 2〜4℃です。この温度では味蕾の感度が落ち、甘みと旨味が弱く感じられます。マグロの脂は、およそ 24〜30℃付近までに溶けきるとされます(第14章)。冷え切った脂は口の中で溶けきらず、蝋のように残ります。香りの成分は温度が低いほど立ち上りません。

目安は、表面が 10℃前後まで戻った状態です。脂のあるネタなら表面にわずかな艶が出て、指で触れても刺すような冷たさがなくなります。中心まで温めるのではありません。表面だけを戻し、人肌のシャリ(約 35〜37℃)と合わせます。口の中で脂が溶け、香りが立ち、旨味を感じます。中心は冷えているので、鮮度も食感も保たれます。

切り置きが禁じられるのは、まな板の上に何十貫分ものネタを並べ、品温が 10℃を超えたまま長く置くからです。温度戻しは「必要な分だけ、直前に」行います。切るのは注文を受けてから一切れ、置くのは数十秒から 1〜2 分です。その間にシャリを取り、わさびを付けます。この順序を守れば、ネタが危険温度帯にいる時間は数分に満たなくなります。

23.6 まな板の上の衛生と動線

おろしの工程は、途中で衛生の段階が切り替わります。水洗いまでは、魚の体表と腸に由来する菌が大量にいる工程です。腸炎ビブリオや大腸菌群などです。サクにする工程からは、客の口に直接入る身だけを扱います。理想は、水洗い専用のまな板と出刃を流しの脇に、サク取り用のまな板と包丁を作業台に置くことです。それができなければ、水洗いが終わった時点で、まな板・包丁・手を洗浄し、熱湯かアルコールで消毒します。まな板を拭き直してから、サク取りに移ります(第4章)。

まな板は、乾いたままだと身が貼りつき、濡れすぎていると身が水を吸います。固く絞った濡れ布巾で全体を拭き、表面がしっとりした状態で使います。布巾は濡れ布巾と乾き布巾を分けます。濡れ布巾は刃とまな板を拭くもの、乾き布巾は水気を取るものと決めます。血合いを拭いた布巾で、サクを拭いてはいけません。

つけ場では手酢(てず)が手の表面を弱い酸性に保ちます(第6章)。しかし仕込み場では手酢に頼らず、工程が変わるたびに石鹸で手を洗います。サクは水気を拭き、キッチンペーパーで包んでバットに入れ、ラップをして冷蔵庫に戻します。おろしてから握るまで、まな板の上で待たせる時間を秒単位で削る。その意識が、味と安全の両方を守ります。

この章のまとめ

  • おろしの順序は、水洗い、骨に沿って身を外す、サク取りの順です。水洗いまでが汚れた工程、サク取りからがきれいな工程で、境目でまな板・包丁・手を洗い直します。
  • 三枚おろしは刃をいつも中骨に触れさせて進めます。ヒラメ・カレイは五枚おろしにし、エンガワを取ります。出刃は力ではなく、刃を引いて使います。
  • 切り付けは一回で引く引き切り。細胞を押し潰さず、旨味を含むドリップを流しません。角が立つのはその結果です。
  • 筋には交わる向きで刃を入れ、厚みは「ネタとシャリが同時になくなる」ように決めます。脂の強いネタは薄く、白身は薄く広く、赤身はやや厚く。
  • 温度戻しは一切れだけを握る直前に。サクを常温に出しておくのは、切り置きと同じ誤りです。
  • 飾り包丁・隠し包丁は、歯切れをよくし、醤油の絡みを増やし、味蕾に触れる面を広げます。温度戻しは表面を 10℃前後まで戻し、脂を溶かし香りを立たせます(一級)。

確認問題

問1 寿司の切り付けに「引き切り」が使われる理由として、正しいものはどれか。
a 刃を前後に動かして断面に細かい傷を作り、醤油の絡みをよくするため
b 刃元から切っ先までを一回で引くことで細胞を押し潰さずに切り、切り口をなめらかにしてドリップの流出を少なくするため
c 刃を手前に引くと摩擦熱でネタの表面が温まり、脂が溶けるため
d 柳刃は刃渡りが短いので、何度も引かないと切り離せないため
e 引き切りにすると、ネタに付いた菌が死ぬため

答え:b

引き切りでは刃が滑りながら小さな力で入るので、壊れる細胞は刃の通ったごく薄い層だけで済みます。押して切ると細胞が潰れ、旨味を含むドリップが流れ出ます。a の前後に動かす切り方は断面を荒らします。c の摩擦熱はごく小さいものです。d は逆で、柳刃は一回で切り終えるために長いのです。e の切り方で菌は死にません。

問2 「温度戻し」と「切り置き」について、正しいものはどれか。
a 営業前にサクを常温に出して温度を戻しておくのがよい
b 温度戻しは、ネタの中心まで人肌に温めることである
c 温度戻しは、握る直前に切った一切れだけを、数十秒から 1〜2 分置いて表面を戻すことである
d 切り置きは、ネタが乾かないので衛生上も望ましい
e 温度戻しをすれば、ネタを何時間室温に置いても安全である

答え:c

サクは冷蔵庫に置いたまま、戻すのは直前の一切れだけです。a はサクを室温にさらすので、切り置きと同じ誤りです。b の中心まで温めるのは誤りで、戻すのは表面だけです。d の切り置きは、ネタを室温にさらして菌に増える時間を与えます。e は誤りです。

問3 飾り包丁・隠し包丁の目的として、適切でないものはどれか。
a 硬い繊維や筋を断って、歯切れをよくする
b 表面積を増やして、煮切り醤油や塩の絡む量を増やす
c 増えた表面が舌の味蕾に触れる面を広げ、旨味や甘みを強く感じさせる
d 光り物の皮の縮みを抑えて握りの形を保ち、硬い皮を噛み切れるようにする
e 切り込みに酢がしみ込み、アニサキスを殺す

答え:e

a〜c は飾り包丁・隠し包丁の三つの目的で、d は光り物の皮目に包丁を入れる理由です。e は誤りです。アニサキスは酢・塩・わさび・醤油では死にません。防ぐには −20℃で 24 時間以上の冷凍か、加熱が必要です(第3章・第12章)。