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すし検定

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목차 第6章 なぜ素手で握れるのか
    1. 序章本書の使い方と一級の位置づけ
  1. 第I部 食の安全

    1. 第1章世界に広がる寿司と衛生の現実
    2. 第2章微生物と腐敗のしくみ
    3. 第3章寿司屋で起きる食中毒
    4. 第4章洗浄・消毒・異物混入防止の科学
    5. 第5章温度管理と在庫管理
    6. 第6章なぜ素手で握れるのか
      1. 6.1 問いの立て方 ― 手袋か、素手か
      2. 6.2 素手の衛生体系
      3. 6.3 酢飯の防御 ― pH、水分活性、時間
      4. 6.4 わさび・ガリ・茶・醤油・締め ― 多層の防御
      5. 6.5 酸で守る食文化 ― なれずし・サワードゥ・漬物
      6. 6.6 海外の現場 ― 規制の下で素手の体系を通す
  2. 第II部 シャリの科学

    1. 第7章米を知る
    2. 第8章合わせ酢と調味
    3. 第9章シャリ切りと温度
  3. 第III部 魚を知る

    1. 第10章魚の死後に起きること ― 死後硬直・熟成・腐敗
    2. 第11章目利きと仕入れ
    3. 第12章冷凍と解凍の科学
    4. 第13章下処理の科学 ― 塩・酢・昆布・皮・骨
  4. 第IV部 ネタ各論

    1. 第14章マグロ
    2. 第15章白身魚
    3. 第16章光り物
    4. 第17章海老・蟹・イカ・タコ
    5. 第18章貝類
    6. 第19章煮物・玉子・ウニ・イクラ
  5. 第V部 調味料と薬味

    1. 第20章醤油・煮切り・ツメ・出汁と旨味
    2. 第21章わさび・海苔・ガリ・茶
  6. 第VI部 技術と道具

    1. 第22章包丁と砥石
    2. 第23章おろし方と切り付け
    3. 第24章握りと巻き ― 手返しとシャリ玉の構造
  7. 第VII部 寿司の歴史と職人の心得

    1. 第25章寿司の歴史
    2. 第26章提供・接客と職人の責任
  8. 付録 資料編

    1. 付録A温度・時間 早見表
    2. 付録B食中毒一覧表
    3. 付録C用語集
    4. 付録D出題分野と出題の目安

第I部 食の安全 ― 寿司職人の第一の責務

第6章

なぜ素手で握れるのか

海外の多くの国で、寿司は手袋をはめた手で握られている。日本の職人は「あれでは旨い寿司は握れない」と言うが、「ではなぜ素手で握っても安全なのか」を理由から説明できる職人は少ない。この章では、手酢・酢飯の酸・わさび・ガリ・茶という衛生体系を科学として解き、それがなれずしやサワードゥと同じ「酸で守る」原理の上に立っていることを示す。

この章の到達目標

  • 手袋の問題点と、手袋が必要な場面を区別して説明できる
  • 手酢の酢の役割を、物理・化学・微生物の三面から説明できる
  • 酢飯が傷みにくい理由を pH と水分活性で説明し、時間管理が要る理由を言える
  • わさび・ガリ・茶・醤油・締めが多層の防御であることを説明できる
  • なれずし・サワードゥと酢飯に共通する原理を説明し、海外の規制下で素手の体系を通せる

6.1 問いの立て方 ― 手袋か、素手か

米国の FDA Food Code は、そのまま食べる食品(RTE 食品。Ready-to-Eat。加熱などの殺菌工程を経ずに客の口に入る食品)に素手で触れることを原則として禁じている。酢飯も刺身も握った寿司も RTE 食品であり、だから米国の多くの寿司店は手袋で握る。欧州やオセアニアにも、RTE 食品への不要な素手の接触を避けるよう求める規則や指針があるが、米国のような原則禁止ではない。

日本寿司協会の立場は明確である。素手で握るための衛生体系を身につけた職人だけが、素手で握ってよい。素手は伝統だから許されるのではない。手洗い、爪、手酢、手の温度、手数、作業ごとのリセット、酢飯の酸、わさび、時間管理という体系の全部を理解し、毎日実行している者にとって、素手は、洗われず交換されない手袋より安全で、かつ旨い寿司を握れる道具になる。体系を知らない者の素手は、手袋をしない食品工場と同じである。

手袋の問題点

手袋が寿司に向かない理由は味から始まる。シャリ玉の「外硬内軟」の構造(第24章参照)は、指先が米粒一粒ずつの抵抗を感じ取り、力を加減することで生まれる。手袋はこの感触を奪い、力加減が狂って空気が抜けた固い団子になるか、締まらずに崩れる。

衛生の面でも手袋は見かけほど安全ではない。第一に、手袋の上は洗わない。素手の職人は 30 分ごとに手を洗い、作業が変わるたびに洗い直すが、手袋ははめてから外すまで一度も洗われない。魚に触り、レジに触り、まな板を拭いた手袋が次のシャリを握る。手袋の表面は、こまめに洗う素手より汚れていることが多い。第二に、交換しない手袋は交差汚染の道具になる。手袋をはめていると手が汚れた自覚が薄れ、素手なら洗う場面で洗わずに次へ進む。第三に、米が貼りつく。手酢が手袋になじみにくく、米粒が残って次の寿司に移る。第四に、手袋の中は蒸れて皮膚の常在菌が増え、薄い手袋は破れても気付きにくい。手袋は汚れた手を隠す道具にはなるが、手を清潔にする道具ではない。はめる前にも手を洗わなければならないのはこのためである。

手袋が必要な場面

それでも手袋を使うべき場面はある。第一に、手に傷や荒れ、化膿があるとき。傷には黄色ブドウ球菌(第3章参照)がいる。防水の絆創膏で覆った上に手袋をはめるのが多くの国の規則であり、本来は生ものの作業から外れるべきである。第二に、素手を禁じている国・地域で、代替手順の承認を得ていない間。規則を破れば営業許可を失い、日本の寿司全体の評判を落とす。第三に、加熱済みの食品の盛り付けなど長時間 RTE 食品に触れ続ける作業や、アレルゲンを扱う作業。手袋は場面を選べば有用な道具であり、問題は、はめれば衛生が完成するという誤解にある。

6.2 素手の衛生体系

素手で握る職人の手は、営業中ずっと「洗い、冷やし、酸で湿らせ、触れる回数を減らす」というサイクルの中にある。

手洗いと爪

土台は手洗いである(第4章参照)。出勤時、トイレの後、生魚の水洗いの後、握りに移る前、金銭や携帯電話や顔・髪に触れた後に洗い、汚染の度合いが高い場面では 2 度洗いする。爪は短く切り、爪ブラシで洗う。爪の下は手洗いで最も菌が残る場所である。指輪や時計は外す。装飾品の下は洗えない。

手酢・手水

手水(てみず。握るときに手を湿らせる水)に酢を加えたものを手酢(てず)と呼ぶ。配合は水と酢をおおむね 1:1 から 3:1(水 3 に酢 1)の範囲で、店により加減する。市販の食酢の酸度は 4〜5%、原液の pH は 2.5〜3 であり、水 3:酢 1 に薄めても pH は 3 前後にとどまる。どの配合でも、手酢の pH は、ボツリヌス菌の増殖下限とされる 4.6 を大きく下回り、サルモネラ(下限 3.7 前後)など多くの食中毒菌の増殖下限よりも低い。

手酢の役割は三つある。第一に、米が手に付かない。炊いた米の表面は糊化したデンプンで覆われ、濡れた手に触れると糊として働く。酢酸はデンプンやタンパク質を変性・収縮させて表面の粘着を抑えるとされ(仕組みは十分に確かめられていない)、米粒が手に残りにくくなる。第二に、手の表面を弱酸性に保ち、菌の付着と増殖を抑える。pH が下がるほど多くの食中毒菌は増えにくくなる(6.3 参照)。ただし手酢は殺菌剤ではない。付着と増殖を抑える「静菌」の働きであり、手洗いで菌を物理的に落とした後にしか意味をなさない。第三に、手を湿らせ、冷やす。濡れた手は米粒との間に薄い水の膜を作り、米粒を傷めずに扱える。

使い方は、指先を手酢に浸し、両手のひら全体に薄く広げる。目安は「手のひらが光る程度」で、多ければシャリが水っぽくなり、少なければ米が付く。30 分ごと、あるいは作業が変わるごとに付け直し、手酢そのものも営業中に数回は新しくする。米粒や脂が落ちた手酢は菌の運び手になる。

手を冷やし、手数を減らす

人の体温は約 36℃で、手のひらの表面は 30℃前後ある。トロの脂は冷蔵温度では固く、体温より低い温度で軟らかくなって溶け出す(第14章参照)。職人の手に長く触れたトロは表面の脂が溶けて劣化し、シャリにくっつく。だから職人は握る前に氷水で手を冷やす。衛生の面でも、温かく湿った手の表面は菌が増えやすい環境であり、ネタの表面温度を上げないことは、ネタの上の菌を危険温度帯に押し上げないことでもある。

手返しの技術(第24章参照)が最短の手数を目指す理由も、形の美しさだけではない。手がネタとシャリに触れるたびに体温が伝わり、手の菌が移り、シャリの温度が狂う。熱と菌の移動は、触れる回数と時間に比例する。衛生的に見れば、手返しとは「ネタとシャリに手が触れている合計時間を最短にする技術」である。

作業ごとのリセット

手は作業の区切りごとにリセットする。魚を水洗いした手でサクを取らない。サクを切った手で会計をしない。会計をした手で握らない。つけ場の手の届く範囲に手洗い場があることは、設備の問題ではなく衛生体系の一部である。

6.3 酢飯の防御 ― pH、水分活性、時間

素手の体系の中心にあるのは酢飯そのものの性質である。炊きたての白飯は水分と栄養が豊富で、pH(ピーエッチ。酸性・アルカリ性の度合いを 0〜14 で表す指標。7 が中性で、小さいほど酸性が強い)は 6〜7 の中性に近く、細菌にとって理想の培地である。合わせ酢を打つと、酢飯の pH はおおむね 4.0〜4.5 程度に下がる(配合や混ぜムラによっては 4.6 を超えることもある)。

pH 4.6 という数字には食品衛生上の意味がある。ボツリヌス菌が増殖できる下限が pH 4.6 とされ、世界の食品規制はこの数字を境に「酸性食品」と「低酸性食品」を分けている。ただし 4.6 はボツリヌス菌の値であり、すべての菌の下限ではない。腸炎ビブリオは pH 4.8 前後、セレウス菌は約 4.3 を下回ると増えなくなるが、サルモネラ(下限 約 3.7)や黄色ブドウ球菌(約 4.0)は酢飯の pH でもゆっくり増えうる(いずれもほかの条件が整ったときの下限。第2章)。酢飯は、低い pH と酢酸の非解離型による静菌(次の「科学の目」)に時間管理を組み合わせて、これらの菌を「増えにくい」側に追いやっている。

水分活性

もう一つの防御は水分活性(aw。食品中の水のうち菌が利用できる自由水の割合を 0〜1 で表す指標。第2章参照)の低下である。白飯の水分活性は 0.98 前後と高いが、合わせ酢の塩と砂糖、酢の成分が水と結びつき、菌が使える自由水をわずかに減らす。主役は pH であり水分活性は補助的だが、塩と砂糖は味のためだけに入っているのではない。

人肌は危険温度帯の中にある

シャリの温度は人肌、35〜37℃が理想とされる(第9章参照)。これは危険温度帯 10〜60℃のど真ん中であり、多くの菌の最適温度にほぼ一致する。つまり寿司は、温度で菌を抑えることを放棄し、代わりに酸と時間で抑える食べ物である。ここから二つの誤解が消える。

一つ目は「酢飯だから何時間置いても安全」である。酸は増殖を遅らせるが止めはしない。特にセレウス菌(Bacillus cereus。土壌由来で米に多く、芽胞を作るため炊飯でも生き残る。嘔吐型の毒素セレウリドは 126℃・90 分の加熱でも壊れない)は、米飯を室温に置くと発芽して増え、毒素を作る。酢飯の pH は増殖を大きく遅らせるが、酢が均一に混ざっていない部分では増える余地がある。だからシャリの廃棄時間を店で決める。酢を合わせた時刻を記録し、決めた時間を過ぎたシャリは残っていても捨てる。日本の店の多くは 2〜4 時間を目安にし、FDA Food Code では時間で管理する場合、温度管理から外した時点から 4 時間以内の提供か廃棄を求めている。

二つ目は「冷蔵庫に入れれば安全で、人肌は危険」である。冷蔵したシャリは安全だが、デンプンが老化してボソボソになり、口の中でネタの脂を溶かせない(第9章・第14章参照)。高温タイプのシャリウォーマー(70℃程度)なら菌の増えない 60℃以上に保てるが、米は乾き、酢酸は飛ぶ。寿司職人は酸と時間で守る道を選んだ以上、時間に厳しくなければならない。

低いほど菌が増えにくい 増えやすい(低酸性) pH 4.6 ボツリヌス菌の増殖下限 2 3 4 5 6 7 8 酢の原液 2.5〜3 魚の身 5.4〜6.8 酢飯 4.0〜4.5 白飯 6〜7 なれずし・サワードゥ 3.8〜4.6 人の皮膚(弱酸性)4.5〜6
図6-1 pH の目盛りで見る寿司の防御。酢飯も乳酸発酵食品も、ボツリヌス菌の増殖下限 pH 4.6 の酸性側にある。魚の身はマグロのような赤身魚で低く、タラのような白身魚で高い。

6.4 わさび・ガリ・茶・醤油・締め ― 多層の防御

寿司の一貫は幾重もの防御の層でできている。どれ一つとして単独で菌をゼロにする力はない。重ねることで安全を補うが、手洗いと温度・時間の管理の代わりにはならない。

わさび ― 境界に置く補助的な静菌

わさびの辛味成分アリルイソチオシアネート(AITC。わさびの細胞がすり潰されたとき、シニグリンがミロシナーゼという酵素で変化してできる揮発性の物質。第21章参照)には、大腸菌 O157、黄色ブドウ球菌、サルモネラなどへの抗菌作用が報告されている。AITC は揮発性が高く、気体として周囲に広がる。

わさびをネタの上ではなく、ネタとシャリの間に挟む理由はここにある。ネタとシャリの境界は、冷たい魚と人肌の米が接し、魚のドリップ(水と栄養)と米のデンプンが混ざる、寿司の中で菌が増えやすい場所と考えられる。そこに AITC の層を置けば、揮発した成分が境界に行き渡り、補助的な静菌の働きが期待できる。同時に、挟むことで揮発性の辛味と香りが密閉され、口に入れた瞬間に立ち上がる。上に乗せたわさびは香りを逃がし、境界を守らない。ただし一貫分のわさびで菌を殺し尽くせるわけではなく、わさびは層の一つである。

ガリ、茶、醤油

ガリは生姜を甘酢に漬けたもので、漬け液の pH は 3 前後である。生姜のジンゲロールにも抗菌作用が報告されている。客にとっては脂と生臭さで鈍った口をリセットする口直しであり、ガリ自身も酢の酸で傷みにくい。

熱い茶(上がり)のカテキン(茶の渋味成分であるポリフェノールの一群)は、タンパク質と強く結合する収斂作用(しゅうれん。組織やタンパク質を引き締め、縮める働き)を持つ。熱い湯が口の中に残る魚の脂を溶かして流し、渋味(収斂)が脂っこさの感覚を打ち消して、味覚をリセットする。カテキンには抗菌作用も報告されている(第21章参照)。濃口醤油は塩分約 15%(食塩相当量 14.5 g/100 g、第20章)、pH 4.7〜4.9、水分活性 0.8 前後で、その中で食中毒菌はほとんど増えない。煮切り(第20章参照)はネタの表面を塩分と酸で覆う。

締めの仕事は衛生の技術

ネタの下処理そのものが防御である。塩締めは浸透圧で水分を抜き、水分活性を下げる。酢締めは pH を下げ、タンパク質を変性させる。昆布締めは昆布に水分を移し、旨味を足しながら水分活性を下げる。ヅケは醤油の塩分と酒で表面を守る。いずれも冷蔵庫のない時代に育った「水分を抜き、酸や塩で守る」技術である(第13章参照)。江戸前の仕事は味の技術であると同時に衛生の技術だった。

表6-1 寿司の構成要素と防御の仕組み
要素働く成分守り方
酢飯酢酸、塩、砂糖pH 4.0〜4.5、水分活性をわずかに下げる
手酢酢酸(pH 3 前後)手の表面を弱酸性に保ち、米の付着を防ぐ
わさびアリルイソチオシアネートネタとシャリの境界で揮発性の補助的な静菌
ガリ酢酸、ジンゲロール自らは酸で傷みにくく、口直しで味覚をリセット
茶カテキン、熱熱い湯で脂を流し、収斂作用で口をリセット
醤油・煮切り塩分約 15%、pH 4.7〜4.9ネタ表面を塩と酸で覆う
塩締め・酢締め・昆布締め・ヅケ塩、酢酸、昆布、醤油水分を抜き、pH を下げ、表面を守る

6.5 酸で守る食文化 ― なれずし・サワードゥ・漬物

なれずし ― 寿司の原点は乳酸発酵

寿司の原点であるなれずし(熟れずし。魚を塩と米飯とともに漬け込み、数か月から数年発酵させた保存食)は、東南アジアから中国南部を経て日本に伝わったとされる(第25章参照)。塩をした魚を米飯に埋めて重石をすると、米のデンプンを餌に乳酸菌(糖を分解して乳酸を作る細菌の総称)が増え、全体の pH は 4 前後まで下がる。塩で水分活性が下がり、重石で空気が遮られ、乳酸で pH が下がった環境では、腐敗菌も病原菌もほとんど増えられない。魚は何か月も保存され、酸っぱくなった米飯は捨てられた。鮒ずしはこの形を今に残す。

室町時代には発酵を短くして米飯も食べる「生なれ」が生まれ、江戸時代には発酵をやめて米飯に酢を混ぜる「早ずし」が生まれた。何か月もかかる乳酸発酵の結果である「酸っぱい米」を、酢を混ぜることで数分で手に入れたのである。しかもその酢自体、酒を酢酸菌が発酵させたものである。酢飯とは、発酵の時間を酢で置き換えた、なれずしの近代化にほかならない。原理は変わっていない。pH を下げ、塩で水分活性を下げ、時間を管理する。

サワードゥ ― パンも同じ原理で守られてきた

サワードゥ(小麦粉と水を発酵させた種を使い、乳酸菌と野生酵母の働きで膨らませる酸味のあるパン)は、西洋の食文化における同じ答えである。乳酸菌が乳酸と酢酸を作り、酵母が炭酸ガスを作る。生地の pH は 3.8〜4.5 まで下がり、この酸がカビの発生を遅らせ、焼いたパンを糸引き状に腐らせる枯草菌(Bacillus subtilis)の増殖を抑える。冷蔵庫も防腐剤もない時代にパンが何日も保存できた理由の一つはこれである。枯草菌と米飯の敵であるセレウス菌は同じバチルス属の芽胞菌で、どちらも焼成や炊飯を生き延び、どちらも酸に弱い。サワードゥと酢飯は、同じ敵に同じ武器で勝ってきた。

漬物・ヨーグルト・チーズ

ぬか漬け、ザワークラウト、キムチは乳酸発酵で、ピクルスは酢で pH を下げた野菜である。ヨーグルトは乳酸菌が乳糖を乳酸に変え、pH 4.0〜4.6 で乳を固めると同時に守る。チーズは酸と塩と脱水を組み合わせ、梅干しは塩とクエン酸、塩辛や魚醤は高い塩分で水分活性を下げる。世界の保存食はほぼ例外なくpH を下げる、水分活性を下げる、空気と時間を管理するの組み合わせでできている。第2章の「菌さえ増えなければ、原理的にはいつまでも食べられる」という考え方を、人類は経験として知っていた。

6.6 海外の現場 ― 規制の下で素手の体系を通す

FDA Food Code と代替手順

FDA Food Code は RTE 食品への素手の接触を禁じると同時に、代替手順の承認を受ければ素手での接触を認める規定を置いている。承認には、素手で触れる食品の一覧、作業場のすぐ近くに手洗い設備があることを示す図面、従業員の健康管理の方針(嘔吐・下痢・黄疸などの症状の報告と就業制限)、教育と手洗い実施の記録、そして手洗いに加えた追加の管理策を 2 つ以上(2 度洗い、爪ブラシ、手洗い後の手指消毒剤、病気のときに休める有給病欠などの制度、または当局が認めたその他の策。手酢を数えるかは当局の判断)、書面で示す。高齢者施設や病院など感染に弱い人に食事を出す施設では、この例外は使えない。この章の素手の体系をそのまま文書化すれば、要件のほとんどを満たす。日本の職人に足りないのは体系ではなく、それを書き、記録し、見せる習慣である。

酢飯の pH 管理

多くの地域では、酢飯を人肌で保持するために、酢飯が十分に酸性であることを証明する必要がある。基準は地域によって異なり、pH 4.6 以下とするところ(オーストラリアのニューサウスウェールズ州、米国カリフォルニア州の一部の郡など)もあれば、FDA Food Code の考え方(4.2 未満)に沿って 4.2 以下(目標 4.1 以下)を求めるところ(米国アリゾナ州マリコパ郡、ワシントン州スノホミッシュ郡など)もある。pH 計(pH を電極で測る計器)を厨房に置き、バッチごとに測って記録する。

  1. 校正 営業日ごとに pH 4.0 と 7.0 の標準液で校正する。校正していない値には意味がない。
  2. 試料 酢を合わせてよく切った後、数か所から酢飯を取り、蒸留水と等量で混ぜるなど、当局の指定する方法でペースト状にする。
  3. 測定と記録 値が安定したら読み取り、日付・時刻・バッチ・pH・担当者を記録する。基準を超えたバッチは配合と混ぜ方を見直し、時間管理に切り替えるか廃棄する。
  4. 手入れ 電極を洗い、保存液に浸けて保管する。

pH を下げようとして酢を増やしすぎると味が壊れる。配合を変えずに pH を安定させる鍵は、合わせ酢を均一に行き渡らせるシャリ切りの技術(第9章参照)であり、衛生と味はここでも一致する。

この章のまとめ

  • 素手で握るための衛生体系を身につけた職人だけが、素手で握ってよい。
  • 手袋は洗われず、交換されなければ交差汚染の道具になり、感触を奪う。傷があるとき、規制下では使う。
  • 手酢は水と酢 1:1〜3:1、pH 3 前後。米を付きにくくし、手の表面を弱酸性に保つ。殺菌ではなく静菌。
  • 手を氷水で冷やし、手数を減らす。体温(約 36℃)が脂を溶かし、菌と熱は接触の回数と時間に比例して移る。
  • 酢飯は pH 4.0〜4.5 で守られるが、人肌は危険温度帯の中にある。シャリの廃棄時間を店で決める。
  • わさびはネタとシャリの境界に挟む。ガリ・醤油・締めの酸と塩と脱水、茶の口直しも安全を補う層だが、手洗いと温度・時間の管理の代わりにはならない。
  • なれずし・サワードゥ・漬物と酢飯は同じ原理。pH を下げ、水分活性を下げ、時間を管理する。
  • 海外では代替手順の承認、pH 計での記録、4 時間ルールで素手の体系を通す。

確認問題

問1 「手酢を使っているから手洗いは省略してよい」と言う職人がいる。正しいものはどれか。
a 手酢は pH 3 前後なので菌を殺し、手洗いの代わりになる
b 手酢は付着と増殖を抑える静菌作用であり、手洗いで菌を落とした後にしか意味がない
c 手酢を薄めれば殺菌力が上がるので省略できる
d 手袋をすれば手洗いも手酢も不要である
e 酢飯が酸性なので手の菌は問題にならない

答え:b

手酢の酢は米の付着を防ぎ、手の表面を弱酸性に保って菌の付着を抑えるが、殺菌剤ではない。土台は手洗いである。d は手袋をはめる前後にも手洗いが必要であり、e は酢飯が増殖を遅らせるだけで殺菌しないため誤りである。

問2 酢飯の pH を測ったところ 4.9 だった。最も適切な対応はどれか。
a 4.6 に近いので問題ない
b 塩を足せば pH が下がるので塩を加える
c 冷蔵庫で冷やせば安全なのでそのまま使う
d 合わせ酢の配合と混ぜムラを見直し、そのバッチは時間管理(4 時間以内)に切り替えるか廃棄し、pH 計の校正も確かめる
e 酢を直接かけて再測定する

答え:d

pH 4.6 を超えた酢飯は低酸性側にある。塩は pH を下げず、冷蔵はシャリの品質を壊し、酢を上からかけただけでは均一にならない(足すならよく混ぜ直し、数か所で測り直す)。配合と混ぜ方、校正を確認し、そのバッチは時間で管理するか捨てる。