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すし検定

目次 第4章 洗浄・消毒・異物混入防止の科学
    1. 序章本書の使い方と一級の位置づけ
  1. 第I部 食の安全

    1. 第1章世界に広がる寿司と衛生の現実
    2. 第2章微生物と腐敗のしくみ
    3. 第3章寿司屋で起きる食中毒
    4. 第4章洗浄・消毒・異物混入防止の科学
      1. 4.1 洗浄と消毒は別の仕事である
      2. 4.2 手洗いの科学
      3. 4.3 消毒の科学 ― アルコール・塩素・熱
      4. 4.4 まな板
      5. 4.5 ダスター・スポンジ・包丁
      6. 4.6 交差汚染と「リセット」
      7. 4.7 異物混入の防止
      8. 4.8 清掃の計画とゴミ・排水・害獣
    5. 第5章温度管理と在庫管理
    6. 第6章なぜ素手で握れるのか
  2. 第II部 シャリの科学

    1. 第7章米を知る
    2. 第8章合わせ酢と調味
    3. 第9章シャリ切りと温度
  3. 第III部 魚を知る

    1. 第10章魚の死後に起きること ― 死後硬直・熟成・腐敗
    2. 第11章目利きと仕入れ
    3. 第12章冷凍と解凍の科学
    4. 第13章下処理の科学 ― 塩・酢・昆布・皮・骨
  4. 第IV部 ネタ各論

    1. 第14章マグロ
    2. 第15章白身魚
    3. 第16章光り物
    4. 第17章海老・蟹・イカ・タコ
    5. 第18章貝類
    6. 第19章煮物・玉子・ウニ・イクラ
  5. 第V部 調味料と薬味

    1. 第20章醤油・煮切り・ツメ・出汁と旨味
    2. 第21章わさび・海苔・ガリ・茶
  6. 第VI部 技術と道具

    1. 第22章包丁と砥石
    2. 第23章おろし方と切り付け
    3. 第24章握りと巻き ― 手返しとシャリ玉の構造
  7. 第VII部 寿司の歴史と職人の心得

    1. 第25章寿司の歴史
    2. 第26章提供・接客と職人の責任
  8. 付録 資料編

    1. 付録A温度・時間 早見表
    2. 付録B食中毒一覧表
    3. 付録C用語集
    4. 付録D出題分野と出題の目安

第I部 食の安全 ― 寿司職人の第一の責務

第4章

洗浄・消毒・異物混入防止の科学

第3章の「顔ぶれ」を店に入れない、入っても増やさない、客に届けない。そのための日々の手仕事が洗浄と消毒である。多くの店で行われている「とりあえず熱湯」「とりあえずアルコール」は、順番や濃度を誤ると効かないどころか逆効果になる。手洗いから消毒剤、まな板、ダスター、交差汚染の遮断、異物混入の防止までを、「なぜその手順なのか」という科学から説明する。一級では、濃度・温度・時間の数値と、誤った手順がなぜ誤りなのかが問われる。

この章の到達目標

  • 洗浄と消毒の違いを説明し、「洗浄が先、消毒が後」である理由を汚れと熱・薬剤の関係から述べられる
  • 30 秒の手洗いの手順と2度洗いの根拠を説明し、手袋の衛生上の正しい扱いを実行できる
  • アルコール約 70%、次亜塩素酸ナトリウム 200ppm/1000ppm、熱湯 80℃以上5分以上を、理由と注意点とともに使い分けられる
  • まな板、ダスター、スポンジ、包丁の衛生管理を、菌が増える条件に基づいて組み立てられる
  • 水洗い(汚染工程)とサク取り(清潔工程)を分け、工程が変わるときの「リセット」を実施できる
  • 毛髪・虫・金属・ガラス・絆創膏の混入を防ぐ具体策と、日・週・月の清掃計画を立てられる

4.1 洗浄と消毒は別の仕事である

洗浄とは、洗剤と水と力で、目に見える汚れと見えない有機物(タンパク質・脂肪・デンプン・血液)を物理的に取り除くことである。消毒とは、残った微生物を熱や薬剤で殺すか、害のない水準まで減らすことである。この二つは目的も原理も違い、順番を入れ替えることができない。理由は三つある。第一に、汚れは微生物の隠れ家である。魚の血や脂の膜の下にいる菌には、アルコールも塩素も届かない。第二に、有機物は消毒剤を消費する。次亜塩素酸ナトリウムはタンパク質に出会うと反応して消え、菌に届く前に濃度がゼロになる。第三に、熱はタンパク質を固める。汚れが残った器具に熱湯をかけると、タンパク汚れが凝固して表面に焼き付き、その内側の菌を膜で包んで守る。後から洗剤で洗っても落ちにくくなる。洗浄の前に熱湯をかけることは消毒ではなく、汚れの固定である。

したがって器具の衛生は常に①洗剤で洗う → ②水ですすぐ → ③消毒する(熱湯・塩素・アルコール)→ ④完全に乾かすの四段で考える。④を軽んじてはならない。第2章で学んだとおり、微生物は水がなければ増えない。濡れたまな板、湿ったダスター、水の溜まったスポンジは、どれほど丁寧に消毒した直後でも、残った一つの菌が一晩で数百万に増える条件を持っている。乾燥は消毒ではないが、消毒の効果を翌朝まで持たせる唯一の方法である。

4.2 手洗いの科学

なぜ石鹸と 30 秒なのか

手の皮膚は皮脂で覆われ、菌はその脂の膜の中や、指紋の溝、シワ、爪の下、指の間、手首に潜む。水だけでは脂に守られた菌は落ちない。石鹸の界面活性剤は水と脂の両方になじむ分子で、皮脂と汚れを包んで水に浮かせ、その中の菌ごと流水で流す。殺すのではなく、浮かせて流す。だから泡立てて擦る時間と流す水の量の両方が必要で、短時間ではシワの奥まで石鹸が届かない。厚生労働省の手引きは、擦る時間を約 30 秒、すすぎを約 20 秒とし、洗い残しの多い場所を順に潰す手順を示している。

  1. 濡らして泡立てる 流水で手首まで濡らし、液体石鹸を十分に泡立てる。固形石鹸は表面に菌が残るので使わない。
  2. 手のひら・手の甲 手のひらを合わせて擦り、手の甲は反対の手のひらで伸ばすように擦る。
  3. 指先・爪の間 反対の手のひらに指先を立て、爪の間を掻くように擦る。最も洗い残しが多い場所である。
  4. 指の間 両手の指を組んで付け根まで擦る。
  5. 親指と手首 反対の手で親指を握ってねじり、手首も同様にねじり洗いする。親指は最も洗い忘れる指である。ここまで約 30 秒。
  6. すすぐ 流水で約 20 秒、泡が完全になくなるまで流す。
  7. 繰り返す 汚染リスクの高い場面では1〜6をもう一度行う(2度洗い)。
  8. 乾かす 使い捨てのペーパータオルで完全に拭く。共用の布タオルは菌の受け渡し場所になるので置かない。
  9. アルコール 乾いた手に噴霧し、乾くまで擦り込む。

2度洗いの根拠

トイレの後、生の魚介や肉を触った後、清掃やゴミ処理の後、調理場に入る前など、手に多くの菌やウイルスが付いていると考えられる場面では2度洗いを行う。1度目は、皮脂、魚の血や脂、ぬめりといった「大きな汚れ」を落とす工程である。これらが残っている間、石鹸の成分はシワの奥に届く前に汚れに吸われてしまう。汚れが除かれて初めて、2度目の石鹸がシワの奥、爪の間、指紋の溝に潜む菌やウイルスに直接到達する。1分間を1回で洗うより、30 秒を2回に分けて間に流水を挟む方が、浮いた汚れを一度捨てる分だけ除去率が高い。ノロウイルスはアルコールが効きにくいため、この物理的な「2度流す」が主たる防御になる。

タイミングと身支度

手を洗うのは、調理場に入るとき、生の魚介・肉・卵を触った後、トイレの後、顔・髪・鼻・マスクを触った後、金銭を扱った後、携帯電話を触った後、ゴミや段ボールや床に触れた後、清掃の後、そして次の作業が清潔工程に移るとき(4.6節)である。携帯電話は現代の調理場で最も見落とされる汚染源で、トイレにも持ち込まれ一日中握られる。調理中は触らない。爪は指先と同じ長さまで切り、マニキュアやつけ爪は剥がれて異物になり、凹凸に菌が付くので禁止する。指輪、腕時計、ブレスレットは外す。指輪の下は洗えず、常に湿っていて、菌の密度が最も高い場所の一つである。結婚指輪も例外にしない。

手袋の衛生 ― 手袋は手ではない

素手で握る理由と各国の規制は第6章で扱い、ここでは衛生面の原則だけを述べる。手袋は着用者を守る道具であって、食品を守る道具ではない。手袋の表面に付いた菌は手袋の上で死なず、本人は手が汚れた感覚がないので洗わない。結果として、汚れた手袋が何時間も食品の上を渡り歩く。使うなら、着ける前に手を洗い、作業が変わるごと、生ものを触った後、トイレの後、顔を触った後、破れたときに必ず新品に替え、外すときは外側に触れず裏返し、外した後にも手を洗う。「手袋をしているから手洗いは省ける」は、衛生上は逆である。

4.3 消毒の科学 ― アルコール・塩素・熱

アルコールは約 70%で最も効く

消毒用アルコール(エタノール)は、菌の細胞膜の脂質を溶かし、内部のタンパク質を変性させて殺す。効き目は濃度に比例しない。約 70%前後(おおむね 60〜90%)で最も強く、100%に近づくほど弱くなる。タンパク質の変性には水が必要で、水をほとんど含まないアルコールは菌を脱水するだけで変性が進みにくいからである。高濃度では菌の表面のタンパク質が先に固まって殻になり、内部に浸透しにくくなるためとも説明される。70%前後では適度な水分がアルコールの浸透と変性を助け、内部のタンパク質を確実に壊す。水分は蒸発を遅らせ、菌と接触している時間を稼ぐ働きもある。

この原理から使い方が導かれる。濡れた手や器具に噴霧しても効かない。表面の水で薄まり、有効濃度を下回るからである。必ず水気を拭いてから使い、噴霧後は乾くまで擦る。ノロウイルスなど膜を持たないウイルスには効きにくく、芽胞には無効である。引火性があるので、炙りのバーナーやコンロの火の近くで噴霧しない。残留しないため食品に触れる面にそのまま使え、器具やまな板には洗浄・すすぎ・水切りの後の仕上げに向く。

次亜塩素酸ナトリウム ― 濃度と用途

次亜塩素酸ナトリウムは塩素系漂白剤の主成分で、強い酸化力で菌の細胞やウイルスのタンパク質を壊す。ノロウイルスに確実に効く数少ない薬剤であり、安価で、ダスターの漂白にも使える。用途ごとの濃度は器具・調理台・ダスターに 200ppm(0.02%)、嘔吐物や便に 1000ppm(0.1%)である。ppmは百万分率で、1%=10,000ppm。市販の原液は5〜6%なので、200ppm は約 250 倍、1000ppm は約 50 倍に薄める(表4-1)。

強力だが欠点が多い。金属を腐食するので、鋼の包丁やステンレスの台に長く触れさせず、使った後は飲用に適する水で十分にすすぐ。有機物で失活するので、汚れが残ったものに使っても菌に届かない。光と熱で分解するため、薄めた液はその日のうちに使い切り、原液は冷暗所に置く。手指には刺激が強く使わない。最も重要なのは、酸性のもの(酸性洗剤、クエン酸、酢)と混ぜると有毒な塩素ガスが出ることである。

表4-1 次亜塩素酸ナトリウムの濃度と用途(原液濃度5%の製品の場合。原液濃度は必ず製品表示で確認する)
用途濃度作り方の例使い方
まな板・器具・調理台・ダスター200ppm(0.02%)水3Lに原液 12mL(約 250 倍)洗浄後に5分以上浸すか拭き、飲用に適する水ですすぐ
野菜・果物の殺菌100〜200ppm水3Lに原液6〜12mL200ppm なら5分、100ppm なら 10 分浸し、流水で十分にすすぐ
嘔吐物・便1000ppm(0.1%)水3Lに原液 60mL(約 50 倍)ペーパーで覆って注ぎ、外から内へ集めて袋に密閉。周囲は 200ppm で拭く

熱湯消毒 ― 80℃以上で5分以上

熱はタンパク質を変性させて菌を殺す。器具やまな板の熱湯消毒の条件は80℃以上の湯に5分以上(厚生労働省の大量調理施設衛生管理マニュアル)である。「熱湯をさっと回しかける」は表面温度が一瞬上がるだけで、この条件を満たさない。ダスターは 100℃で5分以上の煮沸でもよい。ただし芽胞は 100℃でも死なない。最大の落とし穴は 4.1 節の順番である。洗剤でタンパク汚れを完全に落とす前に熱湯をかけると、汚れが凝固して菌を内部に閉じ込め、守る。魚を扱った直後のまな板には血と筋肉のタンパク質が薄く広がっており、そこに熱湯をかければ表面に「ゆで卵の薄膜」を作るのと同じで、以後は洗剤でも落ちにくい。必ず、洗剤 → すすぎ → 熱湯である。

表4-2 調理場で使う消毒法の比較
方法条件強み弱み・注意
アルコールエタノール約 70%。乾いた面に噴霧し、乾くまで擦る速効、残留なし、金属に使えるノロウイルスに弱い、芽胞に無効、水で薄まる、引火
次亜塩素酸ナトリウム200ppm で5分以上/1000ppmノロウイルスに有効、安価、漂白有機物で失活、金属腐食、酸と混合禁止、光で分解、手指不可
熱湯80℃以上で5分以上浸す残留なし、木のまな板に使える先に汚れを落とす、芽胞に無効、やけど
煮沸100℃で5分以上ダスター・布巾芽胞に無効
乾燥風を当てて完全に乾かす増殖を止め、消毒の効果を持たせる殺菌ではない。ノロウイルスは乾燥に強い

4.4 まな板

木製まな板 ― 刃当たりの良さと、傷の中の菌

寿司職人がヒノキ、イチョウ、ホオ、ヤナギなど木のまな板を使うのは、刃当たりが柔らかいからである。刃先が木の繊維にわずかに沈んで滑らず、刃が欠けにくく、研いだ切れ味が長持ちする。ネタを引き切るときの手応えも正確に伝わる。食味のためには木に代わるものはない。しかし衛生面では、木は水を吸い、傷が残る。刃跡は一本一本が細い溝で、そこに魚の血と水分が入り、表面を拭いても溝の奥は濡れたままになる。栄養・水分・温度が揃った溝は「細菌の巣」であり、翌朝まで放置すれば、翌日のサク取りで切り口の全面に菌を塗ることになる。木製まな板の管理は、定期的な削り直し(傷と黒ずみを削って新しい面を出す)と毎日の完全乾燥の二本柱である。十分に乾いた木の表面では菌が生き残りにくいことを示す研究もある。木は乾けば味方、湿っていれば敵である。

  1. 水で流す 魚を扱った後は、まず常温の水で血と汚れを流す。いきなり熱湯をかけない。
  2. 洗剤とたわし 木目に沿ってたわしで擦り、刃跡の中の汚れを掻き出す。
  3. すすぎ、熱湯 洗剤を流水で流し、汚れを落とした後に 80℃以上の熱湯をかけるか浸す。塩素は木を傷めて臭いが残るので、木には熱湯を基本とする。
  4. 立てて乾かす まな板立てに立て、両面に風が当たる状態で一晩完全に乾かす。平置きは裏面が乾かず黒ずみ(カビ)の原因になる。直射日光に長く当てると反るので、風通しで乾かす。
  5. 削り直す 刃跡が深くなり、黒ずみ、乾きが遅くなったら、カンナや専門業者で削る。使用頻度によるが数か月に一度が目安である。

樹脂製・ゴム製と色分け

ポリエチレンなどの樹脂製は吸水せず、次亜塩素酸ナトリウムで漂白殺菌でき、色分けしやすい。一方で刃当たりが硬く切れ味を奪い、深い刃跡の中に菌が残る点は木と同じで、傷だらけの樹脂製まな板は木製より不衛生になりうる。表面が毛羽立ち、傷に汚れが染みて落ちなくなったら交換する。合成ゴム製は刃当たりが木に近く、吸水せず、熱にもある程度耐え、業務用として木と樹脂の中間の選択になる。まな板は少なくとも、水洗い用(丸の魚のウロコ・エラ・内臓)、サク取り・切り付け用、野菜用、加熱済み食品用、アレルギー対応用に分ける。樹脂製なら色で、木製なら置き場所と印で区別し、用途を越えて使うときは 4.6 節のリセットを通す。

4.5 ダスター・スポンジ・包丁

ダスター(ふきん)

湿ったダスターは、食品の汁(栄養)と水分と室温が揃った、調理場で最も菌が増えやすい物の一つである。これでまな板を拭き、手を拭き、皿を拭けば、菌を場内に配って回ることになる。規則は三つ。第一に用途別に分ける。まな板・包丁用、手拭き用、調理台用、器用、床用を色や柄で区別し、兼用しない。手拭きは使い捨てのペーパータオルに置き換えるのが最も確実である。第二に洗浄後、次亜塩素酸ナトリウム液に浸け置きして漂白殺菌する。営業後に洗剤で揉み洗いして汚れを落とし、200ppm の液に浸す。漂白は見た目のためではなく殺菌そのものである。煮沸(100℃で5分以上)でもよい。第三に完全に乾燥させる。絞って干し、翌朝カラカラに乾いた状態で使い始める。湿ったまま丸めて置かれたダスターは、翌朝には洗う前より菌が多い。営業中も、汚れたダスターは清潔なものと交換し、使用済みは専用の容器に入れる。

スポンジ

スポンジは多孔質(無数の穴が空いた構造)で、穴の中に食品のカスと水分を抱え込む。表面を流しても内部は洗えないため、調理場で最も菌の密度が高い物の一つであり、これで洗った器具には菌が塗り直される。原則は、営業終了後に揉み洗いして内部の汚れを押し出し、熱湯または次亜塩素酸ナトリウム希釈液で殺菌し、水気を固く絞って完全に乾燥させること、そして頻繁に新品に交換することである。へたったスポンジは殺菌しても穴の奥が乾かない。魚の仕込みに使うものと器を洗うものは分け、生の魚介に触れた流しのスポンジは特に短い周期で替える。

包丁

包丁は柄と刃の継ぎ目(口金の周り)に汚れと水が溜まる。使ったらすぐ洗剤で洗い、すすぎ、乾いた清潔な布で拭く。鋼の包丁は塩素で錆びるので、消毒は熱湯かアルコールで行う。ウロコ・内臓を扱った出刃をそのままサク取りに持ち込まない。研ぎと保管は第22章で扱う。

4.6 交差汚染と「リセット」

交差汚染(クロスコンタミネーション)とは、汚染度の高いものから低いものへ、器具・手・ダスター・水しぶき・置き場所を介して微生物が移ることである。食中毒の多くは原因食品そのものではなく、この移動で起きる。第3章の腸炎ビブリオがまな板を経てきゅうりから発症した例、カンピロバクターが鶏肉から野菜に移った例が典型である。

工程には汚染度の序列がある

寿司屋の仕事を汚染度で並べると、はっきりした序列がある。最も汚いのは水洗い(ウロコ落とし、エラと内臓の除去、血の洗い流し)で、魚の体表・エラ・腸内の菌が水しぶきとともに周囲に飛ぶ。サク取りと切り付けは、おろした清潔な身だけを扱う清潔工程であり、そこで出た身はもう洗えない。つけ場での握りは、客の口に入る直前の最も清潔であるべき工程である。原則は、仕事はこの序列に沿って一方向に流れ、器具と手は汚染度の高い側から低い側へ戻らないことである(図4-1)。水洗い用のまな板・包丁・ダスターでサクを扱ってはならず、水洗いの流しの横で切り付けをしてはならない。

納品 段ボール・床 外の汚れ 水洗い ウロコ・エラ 内臓・血 リセット 洗浄→熱湯 →アルコール サク取り 清潔な器具 身は洗えない つけ場・握り 最も清潔 手酢・酢飯 汚染度が高い 清潔 器具・手・ダスターは左から右へしか動かさない。 右へ進むときは必ずリセットを通し、左へは戻らない。 器具を一式ずつ分けられる店は「分離」、分けられない店は「リセット」で同じ結果を作る。
図4-1 工程の汚染度の序列と一方向の流れ。分離かリセットか、どちらかを必ず行う。

分けるか、リセットするか

対策は二つしかない。器具と場所を分けるか、工程が変わるときに完全なリセットを行うかである。広い調理場なら、水洗い場とサク取り台を離し、まな板と包丁を一式ずつ用意する。狭い店で同じまな板を使わざるを得ないなら、水洗いからサク取りに移る前に、まな板・包丁・手・周囲の台とダスターのすべてを洗剤で洗浄 → すすぎ → 熱湯 → 水気を切ってアルコールの順でリセットし、手を2度洗いし、ダスターを清潔なものに替える。「水で流しただけ」「アルコールを噴いただけ」はリセットではない。汚れの残ったアルコールは効かず、洗わずにかけた熱湯は汚れを固める。これまでの節の原則がすべてここに集まる。

生と加熱済み、床と調理台

生の魚介と、加熱済みの食品(煮穴子、玉子焼き、茹でた海老、酢飯)は、器具も置き場所も分ける。加熱済みの食品はもう火を通さないので、生の魚から菌が移ればそれがそのまま客の口に入る。冷蔵庫でも加熱済みは上段、生の魚は下段に置き、ドリップが落ちても加熱済みにかからないようにする。床は調理場で最も汚い面であり、靴底、排水、ネズミや虫の通り道である。床に置いたもの(箱、ボウル、袋)は調理台に上げない。床に落ちたものを拾った手は洗う。しゃがんで冷蔵庫の下段から物を取ったら、立ち上がって手を洗ってから次の作業に移る。納品の段ボールとスノコの扱いは第5章で詳述する。

4.7 異物混入の防止

異物混入は食中毒ではないが、客の信頼を一瞬で失わせ、金属やガラスは怪我をさせる。飲食店で最も多い異物は毛髪と虫であり、対策もこの二つが柱になる。

毛髪

人の髪は1日に 50〜100 本抜ける。帽子をかぶっていても、襟や肩に落ちた髪が作業中に食品に落ちる。対策は、髪を完全に覆う帽子やネットの着用(前髪と襟足も入れる)、入室前に粘着ローラーで作業着の肩・背中・腕を取ること、調理中に髪や顔を触らないこと、ひげも覆うか剃ることである。作業着は調理場専用とし、通勤着のまま入らない。

虫

ハエ、ゴキブリ、小さな甲虫は、窓・換気口・排水口・納品物から入る。窓と換気口に防虫ネットを張り、出入口にはエアカーテンや自動ドアを設け、開けっ放しにしない。段ボールを調理場に持ち込まない。段ボールの波の隙間はゴキブリの卵と成虫の格好の住処であり、倉庫や配送車から虫をそのまま運び込む。納品物はバックヤードで店の容器に移し、段ボールは即日搬出する。照明に集まる虫のために捕虫器を外周に置き、排水口とグリストラップは虫の発生源なので毎日清掃する。

金属片・ガラス・絆創膏

包丁の刃は使用前後に刃こぼれを確認し、欠けていれば欠片を探す。金属たわしは繊維が切れて混入するので食品に触れる器具に使わない。ホチキスの針、缶の切り口、ピーラーの刃にも注意する。照明には飛散防止カバーを付け、調理場でグラスが割れたら周囲の露出した食品を廃棄する。輪ゴムやラップの切れ端は使用後その場で捨てる。手指の傷に貼る絆創膏は、混入しても見つけやすい青色を使う。自然の食品に青はほとんどないからである。金属探知機に反応する金属片入りのものもある。貼った数を作業開始時に数え、終了時に残っているか確認し、上から手袋をする。客にとっての「異物」にはウロコと小骨も含まれ、技術の問題だが毛髪と同じ失望を生む。

4.8 清掃の計画とゴミ・排水・害獣

清掃は「汚れたらやる」ではなく、「いつ、誰が、何を、どうやって」を決めた計画で行い、チェック表に記録する(表4-3)。記録は保健所への説明資料にもなる。

表4-3 清掃の頻度の例
頻度対象
毎日(営業中)まな板と包丁のリセット、調理台のアルコール、ダスターの交換、床のこぼれ、ゴミ袋の交換
毎日(閉店後)まな板の洗浄・熱湯・立て乾燥、ダスターとスポンジの殺菌・乾燥、流し・排水口・グリストラップの網、冷蔵庫の取っ手とドア、床の洗浄、生ゴミの搬出
毎週冷蔵庫内の棚と壁の洗浄、冷蔵庫のパッキン、換気フードのフィルター、壁と棚の拭き取り、グリストラップの分解清掃、害虫の痕跡点検
毎月冷蔵庫・冷凍庫の霜取りと内部の全面洗浄、照明器具と防虫ネットの清掃、排水管の洗浄、消毒剤と洗剤の在庫と原液の期限確認

ゴミと排水

生ゴミは菌と虫とネズミの餌である。蓋付きの容器に入れ、袋の口を縛り、営業中も満杯にしない。夏は生ゴミを冷蔵するか、営業終了ごとに搬出する。ゴミ置き場は調理場から離し、床と壁を洗える構造にする。排水溝とグリストラップ(油脂分離槽)はヌメリと悪臭と虫の発生源であり、毎日ブラシで洗い、週に一度は分解して清掃する。排水口の網に溜まった残渣を放置すると、そこから小バエが湧く。

ネズミ・ゴキブリ

ネズミは直径2cm ほどの隙間から入り(小型のハツカネズミはさらに狭い隙間も通る)、糞尿でサルモネラなどを広げ、袋や電線をかじる。ゴキブリは排水管と段ボールと湿った暗所から入り、体表に菌を付けて食品の上を歩く。対策の順番は、侵入口を塞ぐ(配管の隙間、ドア下、換気口)、餌を断つ(食品の密閉、生ゴミの搬出、床のこぼれの清掃)、水を断つ(夜間は流しとダスターを乾かす)、痕跡を見る(糞、かじり跡、卵鞘、夜間の目撃)である。痕跡があれば、自己流の殺虫剤散布で食品を汚染する前に専門業者に依頼する。消毒剤・殺虫剤は食品と別の場所に施錠して保管し、食品容器に移し替えない。

この章のまとめ

  • 洗浄(汚れを落とす)と消毒(菌を殺す)は別の仕事で、順番は洗浄 → すすぎ → 消毒 → 乾燥。汚れが残ると消毒剤は失活し、熱はタンパク汚れを固めて菌を守る。
  • 手洗いは石鹸で約 30 秒擦り約 20 秒すすぐ。汚染リスクの高い場面は2度洗い。1度目で皮脂と汚れを落とし、2度目で石鹸をシワの奥の菌に届ける。
  • アルコールは約 70%前後が最も効く。タンパク質の変性には水が必要で、100%近いと効きが落ちる。濡れた手には効かず、ノロウイルスと芽胞には弱い。
  • 次亜塩素酸ナトリウムは器具 200ppm、嘔吐物 1000ppm。金属を腐食し、有機物で失活し、酸と混ぜると塩素ガスが出る。
  • 熱湯消毒は 80℃以上5分以上。必ず洗剤でタンパク汚れを落としてから。
  • 木製まな板は吸水し刃跡が細菌の巣になる。削り直しと毎日の完全乾燥。ダスターは用途別・次亜塩素酸で漂白殺菌・完全乾燥。スポンジは揉み洗い・殺菌・固く絞って乾燥・頻繁に交換。
  • 水洗いは汚染工程、サク取りは清潔工程。器具を分けるか、洗浄・熱湯・アルコールでリセットする。生と加熱済み、床と調理台を分ける。
  • 異物対策の柱は毛髪(帽子・ネット・粘着ローラー)と虫(防虫ネット・段ボール持ち込み禁止)。絆創膏は青色。清掃は日・週・月の計画で記録する。

確認問題

問1 消毒用アルコールに関する記述として正しいものはどれか。
a 濃度が高いほど殺菌力が強いので、100%に近いものが最良である
b 濡れた手に噴霧すれば水と混ざって浸透が良くなる
c 約 70%前後が最も強い。タンパク質の変性に適度な水が必要で、高濃度では効きが落ちるためである
d ノロウイルスに最も確実に効く薬剤である
e 芽胞を作る菌にも有効なので、煮物の鍋の消毒に適する

答え:c

約 70%前後(おおむね 60〜90%)が最も効く。タンパク質の変性には水が必要で、100%近いアルコールは菌を脱水するだけで変性が進みにくい(表面だけが固まって内部に届かないとも説明される)。適度な水分は蒸発も遅らせる。a は誤り。b は水で薄まって有効濃度を下回るので誤り。d はノロウイルスが膜を持たずアルコールが効きにくいため誤りで、確実なのは次亜塩素酸ナトリウムと熱である。e はアルコールが芽胞に無効なので誤り。

問2 狭い調理場で、水洗いとサク取りに同じまな板を使わざるを得ないときの正しい対応はどれか。
a 流水で表面を流してからサクを置く
b アルコールを噴霧してからサクを置く
c 洗剤で洗浄・すすぎ・熱湯・アルコールの順でまな板と包丁をリセットし、手を2度洗いし、ダスターを替えてから移る
d 水洗い用のダスターでよく拭いてからサクを置く
e まな板を裏返して裏面でサク取りをする

答え:c

水洗いは汚染度の高い工程、サク取りは清潔工程であり、器具を分けられないときは工程間に完全なリセット(洗浄・熱湯・アルコール)を行う。a は血や脂が残り、b は汚れの上でアルコールが効かず、d は水洗い用のダスターが菌を塗り広げ、e は水しぶきが裏面にも飛んでいるため、いずれもリセットにならない。