
第VI部 技術と道具
第17章
おろす・切る・握る・巻く
一尾の魚をおろしてサクにし、一切れのネタに切り、シャリと合わせて握る。寿司の味の大半は、この手の仕事で決まります。この章では、おろし方・切り付け・握り・巻物の手順を、「なぜそうするのか」という理由と一緒に学びます。
この章で学ぶこと
- 水洗いからサク取りまでの順序と、途中で手と道具を洗い直す理由を説明できる
- 引き切りで切ると切り口が潰れず、旨味が流れ出にくい理由を説明できる
- 外硬内軟のシャリ玉の形と、手数を少なくする三つの理由を説明できる
- 海苔の表裏と巻きすの向きを守り、軍艦と巻物を衛生的に作れる
17.1 魚をおろす
おろす順序は、どの魚も同じ考え方です。まず水洗いで鱗・頭・内臓・血合いを取り除いて洗い、次に骨に沿って身を外し、最後にサクにします。大事なのは、水洗いまでが「汚れた工程」、サク取りからが「きれいな工程」だということです。魚の表面や腸の中には菌がたくさんいます。それを客の口に入る身に移さないために、工程の境目でまな板・包丁・手を洗い直します(第3章)。
水洗いでは、内臓を出すときに刃先を浅く入れます。内臓を傷つけると、腸の中の菌や胆汁(苦い消化液)が身に付くからです。中骨に沿って残る血合い(背骨の下にある腎臓の血の塊)は、膜を破って流水で残らず洗い流します。血合いは菌の栄養になり、残すと臭みと傷みの出発点になります。
三枚おろし・五枚おろし・開き
三枚おろしは、魚を上の身・下の身・中骨の三枚に分ける基本のおろし方です。要点は一つ、刃をいつも中骨に触れさせながら進めることです。骨から離れると身が骨に残り、骨に刺さると刃が止まります。
- 切れ目を入れる 背びれと腹びれの際に沿って、皮に浅く切れ目を入れます。背と腹のどちらから始めるかは、店や魚によって違います。
- 中骨の上を滑らせる 刃先を中骨に当て、骨の感触を確かめながら背骨まで届かせます。
- 身を外す 尾の付け根に刃を通し、背骨の上に刃を寝かせて頭の方へ引きます。裏返して反対側も同じ順で外します。
- 骨を見る 中骨に残った身の量が、おろし方の成績表です。
ヒラメやカレイのような平たい魚は、五枚おろしで表の身二枚・裏の身二枚・中骨に分けます。ひれの付け根に沿った細長い筋肉がエンガワで、脂と歯ごたえがあります。穴子やアジは、背から包丁を入れて腹の皮一枚でつなげたまま開く背開きにもします。腹から開くのが腹開きで、鰻は関東が背開き、関西が腹開きとよく言われます。
17.2 サク取りと出刃の使い方
三枚にした身を、切り付けができる長方形の塊にする作業がサク取りです。まず腹骨を、刃を寝かせて骨の曲がりに合わせて薄くすき取ります。次に、身の真ん中に一列に並ぶ血合い骨を取ります。鯛やブリなど大きな魚は列の両側に刃を入れて切り離し、背と腹の二本のサクにします。アジやサバは骨抜きで頭の方向へ斜めに抜きます。最後に皮を引きます。包丁は動かさず、皮の方を引くのが基本です(骨抜きと皮引きは第9章)。
おろしに使う出刃(厚く重い片刃の包丁。第16章)は、場所によって役目が違います。刃元(手元の厚い部分)は頭を落とし、太い骨を断ちます。刃先は皮を切り、骨の上を滑り、腹骨をすきます。峰(刃の反対側の背)は鱗を逆立てたり、骨を叩いたりします。どの場面でも、原則は力ではなく刃を引くことです。力を入れると刃が骨に食い込み、身を削り、刃先が欠けます。おろす速さは力では決まりません。刃先で骨の形を感じ取れているかで決まります。
17.3 切り付け ― 引いて切る
サクから一切れのネタを切り出すことを切り付けといいます。原則は引き切りです。柳刃(刃渡りの長い片刃の包丁。第16章)の刃元をサクに当て、手前に引きながら、切っ先までの長い刃を使って一回の動きで切り離します。押したり、のこぎりのように前後に動かしたりはしません。
なぜ引くのか。切れない包丁でトマトを押して切ると、実が潰れて汁が広がります。よく切れる包丁ですっと引けば、切り口はきれいで汁もほとんど出ません。魚も同じです。押して切ると刃が身を押し潰してから入るので、切り口の細胞が壊れて中の液が流れ出します。この液をドリップといい、旨味の成分と水分そのものです。引き切りなら刃が滑りながら小さな力で入るので、壊れる細胞は刃が通ったごく薄い層だけで済みます。うまく引き切れた切り口は、面と面が交わる線がピンと立って光ります。これを「角(かど)が立つ」といいます。
筋の向きと厚み
マグロのサクに見える白い筋は、筋肉の層と層をつなぐ膜です。包丁はこの筋に対して直角か斜めに交わる向きで入れます。筋が細かく断ち切られ、口に残りません。筋と平行に切ると、長い筋が丸ごと残っていつまでも噛み切れません。
厚みの基準は、ネタとシャリが口の中で同時になくなることです。脂の強いネタは薄く、身の締まった白身はそぎ切り(刃を寝かせて斜めに削ぐ切り方)で薄く広く、脂の少ない赤身はやや厚めにします。
| ネタ | 切り方 | 厚みの目安 | 理由 |
|---|---|---|---|
| マグロ赤身 | 平造り(刃を立てて引く) | 6〜8mm | 脂が少なく、厚くても溶ける |
| 中トロ・大トロ | 平造り | 4〜6mm | 脂が溶ける時間をシャリに合わせる |
| 鯛・ヒラメ | そぎ切り | 3〜4mm | 身が締まっているので薄く広く |
| イカ | 細かい隠し包丁 | 4〜6mm | 繊維を断って噛み切りやすく |
ネタの表に入れる浅い切れ目を飾り包丁、裏(シャリ側)に入れる見えない切れ目を隠し包丁といいます。硬い繊維を断って歯切れをよくし、煮切り醤油も絡みやすくなります。深さは身の三分の一から半分までです。
温度戻しと切り置き
冷蔵庫から出したばかりのネタは冷たすぎて、甘みや旨味を感じにくく、トロの脂も溶けきりません。そこで、握る直前に切った一切れを数十秒から 1〜2 分置き、表面だけを少し戻します。これが温度戻しです。切り置き(何人分ものネタを先に切って並べておくこと)とはまったく違います。切り置きは、ネタを室温にさらして菌に増える時間を与えます(第4章)。サクは冷蔵庫に置いたまま、戻すのは直前の一切れだけ。営業前にサクを常温に出して「温度を戻しておく」のは、切り置きと同じ誤りです。
17.4 握る
握りの目的は、ネタとシャリを口の中で同時にほどけさせることです。そのためのシャリ玉の形を外硬内軟(がいこうないなん)といいます。外側の米粒は軽くくっついて薄い壁を作り、箸で持っても崩れません。内側の米粒は押し付けられておらず、粒の間に空気を含んでいます。口に入れて舌で押すと、外の壁が破れ、中の粒が一粒ずつほどけます。締めるのは外側だけで、中は締めない。これが握りの本質です。強く握りすぎると中の空気が押し出されて団子になり、締めが足りないと持ち上げたとたんに崩れます。
一貫のシャリの量は、おおむね 10〜20g の幅に入ります。おまかせの店では 10〜13g と小さく、回転寿司や持ち帰りでは 16〜20g と大きめです。基準はネタとの釣り合いで、ネタとシャリの重さがほぼ同じか、ネタがやや重いくらいで一体感が出ます。
手返しと手数
手返しは、左手の上でネタとシャリを合わせ、返して形を整えるまでの手の動きです(右利きの場合)。
| 手返し | 手数の目安 | 特徴 |
|---|---|---|
| 本手返し | 5〜6 手 | 六つの面がすべて整い、形が最も美しい。習得に時間がかかる |
| 小手返し | 3〜4 手 | 速く、動きが自然。いま最も多くの職人が使う |
| 立て返し | 4〜5 手 | シャリが土台になり、大きなネタ・やわらかいネタが崩れない |
どの手返しでも、職人は手数(手を動かす回数)を減らそうとします。理由は三つです。第一に体温。体温は約 36℃、手のひらの表面も 30℃前後あり、手の中にある時間が長いほどネタの脂が溶け出して艶が消えます。第二にシャリの温度。人肌(35〜37℃)に合わせたシャリが、狙った温度から外れていきます。第三に衛生。手が食材に触れる回数が増えるほど、手から菌が移る機会が増えます。手酢(第5章)は助けになりますが、手数そのものを減らすのがいちばん確実です。
握りの手順(小手返しの例)
- 手酢 指先を手酢に浸し、手のひらに薄く広げます。光る程度が目安で、濡らしすぎるとシャリが崩れます。
- シャリを取る 一貫分を取り、手の中で軽く俵の形にまとめます。ここではまだ握りません。
- ネタとわさび 左手の指の付け根にネタを置き(表になる面を下)、中央にわさびを付けます。
- シャリをのせる シャリをのせ、親指で真ん中を軽く押してくぼみを作ります。間の空気が抜けて、ネタとシャリがくっつきます。
- 返して整える 手の中で転がしてネタを上にし、両脇・手前・奥を軽く締め、ネタの上をなでて密着させます。向きを変えて反対側も整えます。
わさびをネタとシャリの間に挟むのは、香りと辛味を閉じ込めるためです。菌を増えにくくする働きは補助にすぎず、手洗いと温度の管理の代わりにはなりません(第15章)。練習では速さより先に、毎回同じ量・同じ形・同じ力で握れる正確さを身につけます。握ったら、10 秒以内に客の口に入るのが理想です。
17.5 軍艦と巻物
軍艦は、シャリ玉のまわりに帯状の海苔を巻き、イクラやウニのような形の定まらないネタをのせる握りです。海苔は幅 3〜3.5cm の帯(全形を六つに切ったものが目安)にし、ザラザラした面を内側にして巻きます。海苔はシャリの水分を吸ってすぐ湿り始めるので、軍艦は巻いたらすぐネタをのせ、すぐ出すものです。
巻きす(竹ひごを糸で編んだ道具)は、平らでなめらかな面を上にし、糸の結び目を奥にして使います。海苔には、艶のある表とザラザラした裏があり、巻物では裏をシャリ側(内側)にします。ザラザラした面がシャリをつかんで崩れにくくすると説明され、艶のある表が外に出て見た目もよくなります(第15章)。海苔は全形(約 21×19cm)が太巻き一本分、半分に切った半切が細巻き一本分です。
細巻きは、半切の海苔に具を一種類だけ巻く基本の巻物で、鉄火(マグロ)、かっぱ(きゅうり)、干瓢、新香(漬物)が代表です。シャリ約 80g を、奥の端に 1.5〜2cm の余白を残して広げます。シャリは押し付けず、米粒を置いていくように広げます。押し付けると米粒が潰れ、海苔も水分を吸ってしんなりします。具をやや手前に一直線に置き、一気に巻いて、巻きすの上から軽く締めます。全形で何種類もの具を巻くのが太巻き、シャリを外側にして巻くのが裏巻きで、裏巻きは巻きすをラップで包んで使います。
巻物は巻いたらすぐに切ります。細巻きは六切れ、太巻きは八切れが基本です。一切れごとに濡れ布巾で刃を拭き、引き切りで切ります。海苔は乾いた手で袋から出します。濡れた手で触ると湿って破れ、手の水分と一緒に菌も移ります。巻きすの隙間に残った米粒は菌の栄養になるので、営業後は洗ってブラシでかき出し、完全に乾かします。巻物も、注文ごとに巻き、巻いたら切り、切ったら出します。
この章のまとめ
- おろしの順序は、水洗い→骨に沿って身を外す→サク取り。水洗いまでが汚れた工程、サク取りからがきれいな工程で、境目でまな板・包丁・手を洗い直します。
- 三枚おろしは刃をいつも中骨に触れさせて進めます。ヒラメ・カレイは五枚おろしにします。出刃は力ではなく、刃を引いて使います。
- 切り付けは一回で引く引き切り。細胞を押し潰さず、旨味を含むドリップを流しません。筋には交わる向きで刃を入れ、厚みは「ネタとシャリが同時になくなる」ように決めます。
- 温度戻しは一切れだけを握る直前に。サクを常温に出しておくのは、切り置きと同じ誤りです。
- シャリ玉は外硬内軟、量は 10〜20g の幅でネタとの釣り合いで決めます。手数を減らすのは、体温・シャリの温度・衛生のためです。
- 軍艦と巻物は、海苔のザラザラした裏をシャリ側に、巻きすは平らな面を上にします。海苔は乾いた手で扱い、巻いたらすぐ切って、すぐ出します。
確認問題
問1 握りの手数(手を動かす回数)をできるだけ少なくする理由として、正しいものはどれか。
a 手数が多いほどシャリの中に空気が増え、握りが崩れやすくなるから
b 手の温度でネタの脂が溶け、シャリの温度が狙いから外れ、手から菌が移る機会も増えるから
c 手酢が菌を殺すので衛生上の問題はないが、見た目が悪くなるから
d 手数を少なくすると、シャリを中まで強く締められるから
e 体温はネタに伝わらないが、客を待たせないため
答え:b
職人の体温は約 36℃、手のひらの表面も 30℃前後あり、手の中にある時間が長いほどネタの脂が溶け、人肌に合わせたシャリの温度も変わります。手が触れる回数が増えれば、手から菌が移る機会も増えます。a は逆で、手数が多いほど中まで押されて団子になります。c の手酢は菌を殺すものではなく、増えにくくする補助です。d の「中まで強く締める」は外硬内軟に反します。

