
第V部 調味料と薬味
第14章
醤油・煮切り・ツメ・出汁
握りの味は、ネタとシャリだけでは決まりません。最後に刷毛で塗る煮切りやツメ、玉子焼きや煮物を支える出汁が、一貫の仕上がりを大きく左右します。この章では、醤油の種類、煮切りとツメを作る理由と手順、昆布と鰹節から出汁を引く温度、そしてうま味が重なると強くなる仕組みを学びます。
この章で学ぶこと
- 醤油の主な五種類を挙げ、薄口醤油の塩分が濃口より高いことを説明できる
- 煮切りを作る目的と、ツメに照りととろみが出る理由を説明できる
- 昆布と鰹節で出汁を引く温度と時間を言い、その理由を説明できる
- うま味の相乗効果と、みりん・酒に含まれる塩分の違いを仕事に生かせる
14.1 醤油 ― 発酵がつくる調味料
醤油は、大豆と小麦と塩を原料に、微生物の力で時間をかけて造る調味料です。大豆と小麦に麹菌(こうじきん。日本の発酵食品に欠かせないカビの仲間)を付けて麹を作り、食塩水と合わせて諸味(もろみ)にします。諸味の中では、麹の酵素が大豆のタンパク質をアミノ酸に、小麦のデンプンを糖に分解し、乳酸菌と酵母が酸や香りを作ります。半年から一年以上熟成させた諸味を搾り、加熱(火入れ)して味と香りを整え、保存性を高めたものが、ふだん使う醤油です。
醤油のうま味の正体は、熟成の間に生まれたグルタミン酸などのアミノ酸です。色は、アミノ酸と糖が結びついて茶色くなるメイラード反応によるもので、パンの焼き色と同じ仲間の変化です。
五つの種類と塩分
日本の醤油は、主に表14-1 の五種類に分けられます。いちばん多い誤解は「薄口醤油は塩分が薄い」というものです。薄口醤油は、色を淡く仕上げるために発酵と熟成をゆっくり進める必要があり、そのために塩を多く使います。「薄口」は色が薄いという意味で、塩分は濃口より約 1 割多いのです。反対に、再仕込み醤油は色も味も濃いのに、塩分は低めです。色の濃さと塩分の高さは一致しません。
| 種類 | 特徴 | 塩分の目安 | 寿司屋での使い方 |
|---|---|---|---|
| 濃口 | 大豆と小麦がほぼ同量。全国の標準 | 約 16% | 煮切り・ツメ・ヅケの土台 |
| 薄口 | 色は淡いが、塩分は濃口より高い | 約 18% | 色を付けたくない煮物など。量に注意 |
| たまり | 原料はほぼ大豆だけ。とろりと濃厚(中部地方) | 約 16〜17% | 脂の多いネタに少量 |
| 再仕込み | 食塩水の代わりに醤油で仕込む。色も味も濃い | 約 12〜14% | 少量で効く。塩分は低め |
| 白 | 小麦が主体。琥珀色で甘い香り(愛知) | 約 18% | 白身や玉子の色を汚さない |
表の塩分は一般的な目安で、製品によって差があります。醤油が変われば、同じ量を塗っても口に入る塩の量が変わります。醤油の銘柄を変えたら、煮切りの配合も見直します。
14.2 煮切り ― なぜ醤油を煮るのか
煮切りは、醤油に酒とみりんを加えて火にかけ、アルコールを飛ばした寿司用の醤油です。出汁や昆布を加える店も多くあります。お客さんが小皿の醤油に付ける代わりに、職人が刷毛で握りに塗って出します。
煮切る三つの理由
第一の理由は、アルコールを飛ばすことです。酒やみりんには約 14〜15%、醤油にも 2〜3% のアルコールが含まれています。アルコールは約 78℃と水より低い温度で沸騰し、気体になりやすいので、口に入れた瞬間に鼻へ抜け、魚の繊細な香りを覆い隠してしまいます。強い香りが弱い香りを感じにくくするこの働きをマスキングと呼びます。香水の強い人が隣に座ると、料理の香りが分からなくなるのと同じです。
第二の理由は、カドを取ることです。生の醤油の鋭い塩味が、加熱と、みりんの甘み、出汁のうま味で丸くなります。第三の理由は、塗る量を職人が決められることです。お客さんが自分で付けると付けすぎてシャリが崩れ、塩分も多くなります。
作り方の目安
配合は店の個性ですが、濃口醤油 4〜5 に対して酒 1、みりん 1 前後が一つの目安です。先に酒とみりんを沸かしてアルコールを飛ばし、醤油を加えたら、鍋肌に小さな泡がふつふつ立つ程度の火で数分保って火を止めます。醤油を入れてから強く沸かしてはいけません。醤油の香りも飛びやすいうえ、塩は蒸発しないので、水分だけが減って香りのない塩辛い液になります。塗る量はネタで変え、赤身にはしっかり、白身にはごく軽く塗ります。貝やイカは、塩や柑橘で出すこともあります。
保存と刷毛の衛生
煮切りは塩分が高いので、すぐには腐りません。それでも出汁を加えたものは菌の栄養が増えるので、冷蔵が原則です。容器に仕込んだ日付を書き(第4章)、出汁入りは 3〜4 日、出汁なしでも 1〜2 週間を目安に使い切ります。見落とされやすいのが刷毛です。ネタに触れた刷毛を容器に戻すので、刷毛は生の魚の菌を煮切りへ運ぶ道具にもなります。営業中は小さな容器に小出しにし、残りは営業の終わりに捨てます。刷毛は毎日洗剤で洗い、熱湯をかけて完全に乾かします(第3章)。毛が抜けると異物混入になるので、毛の状態も確かめます。
14.3 ツメ ― 煮汁を煮詰めたたれ
ツメ(煮詰め)は、穴子やハマグリ、シャコを煮た煮汁に、砂糖・みりん・醤油を加えて煮詰めた、黒く照りのあるたれです。煮切りが「醤油を加熱して軽くする」ものなら、ツメは「魚の煮汁を煮詰めて濃くする」ものです。穴子の煮方は第13章で扱います。
照りととろみの正体
ツメの香ばしさと黒い色は、醤油の色と同じメイラード反応によるものです。穴子から溶け出したアミノ酸と、砂糖やみりんの糖が、煮詰める間に結びつきます。とろみと照りを生むのはゼラチンです。穴子の皮や骨のコラーゲン(体を支えるタンパク質)は、煮ると水に溶けるゼラチンに変わって煮汁に溶け出し、糖と一緒に煮詰められて、なめらかに光る膜になります。煮魚の煮汁が冷えて固まる「煮こごり」も、同じゼラチンの働きです。だから、砂糖と醤油だけを煮詰めても、本物のツメの照りにはなりません。
ツメは焦げやすいので、弱火から中火で、木べらで鍋底を絶えず動かしながら煮詰めます。いちばん多い失敗は、熱いうちに「ちょうどよい濃さ」まで煮詰めてしまうことです。ゼラチンと糖は冷めると一気に固くなるので、熱いうちに「まだ少しゆるい」と感じるところで止めます。塗るときは湯煎で温めてゆるめます。
継ぎ足しは毎日の火入れが前提
継ぎ足しのツメが成り立つのは、毎日火を入れているからです。穴子のタンパク質とゼラチンは菌の格好の栄養です。営業の終わりに必ず沸騰するまで火を入れ、粗熱を取って冷蔵します。常温に置きっぱなしにしてはいけません。菌の中には熱に強い殻(芽胞)を作って加熱を生き延びるものがいるので、火入れと冷蔵の両方が必要です。容器には最後に火を入れた日付を書き、刷毛はツメ専用にし、営業中は小鍋に小出しにします。
14.4 出汁 ― 昆布と鰹節の温度
寿司屋の出汁は、煮切り、玉子焼き、吸い物、煮物の土台です。昆布と鰹節では、引くのに向いた温度がまったく違います。
昆布 ― 約 60℃で 1 時間
昆布のうま味の成分はグルタミン酸(アミノ酸の一つで、うま味のもと)です。表面の白い粉(マンニトール)は甘みのある味の一部なので、洗い流さず、固く絞った布巾で砂を拭く程度にします。昆布は約 60℃に保って 1 時間引くと、雑味を出さずにうま味をよく引き出せます。時間がなければ 70℃前後で 30 分が目安です。沸騰させてはいけません。高温では昆布のヌメリの成分(アルギン酸)が溶け出して出汁が粘って濁り、えぐみや磯臭さまで出てしまいます。前の日に水 1 L に昆布 10〜20 g を浸け、冷蔵庫で一晩(約 10 時間)置く水出しは、最も雑味が少なく、仕込みの流れにも合います。
鰹節 ― 85〜90℃で 1〜2 分
鰹節のうま味の成分はイノシン酸(魚や肉に多い、もう一つのうま味のもと)です。一番出汁は、昆布を引き上げた出汁を 85〜90℃まで上げて火を止め、鰹節を入れて 1〜2 分置き、静かに濾します。絞ってはいけません。イノシン酸は熱い湯にすぐ溶け出すので、短い時間で十分です。長く煮ると、血合いの酸味や渋み、生臭さが溶け出し、鰹節の香りは湯気とともに逃げていきます。うま味と香りだけを取り出し、雑味が出る前に止めるのが一番出汁の技術です。
| 素材 | うま味の成分 | 温度と時間 | 条件を外すと |
|---|---|---|---|
| 昆布 | グルタミン酸 | 約 60℃で 1 時間。または冷蔵庫で水出し一晩 | 沸騰させるとヌメリ・えぐみ・磯臭さが出る |
| 鰹節 | イノシン酸 | 85〜90℃の湯に 1〜2 分。絞らずに濾す | 長く煮ると酸味・渋み・生臭さが出て、香りが飛ぶ |
| 干し椎茸 | グアニル酸 | 5℃前後の冷水で一晩戻し、戻し汁ごと加熱 | 熱湯で戻すと、うま味が十分に生まれない |
14.5 うま味と相乗効果
味の基本は、甘味・塩味・酸味・苦味・うま味の五つで、これを五味と呼びます。うま味は日本の研究から生まれた考え方で、海外でも umami という言葉がそのまま通じます。
うま味は掛け算で強くなる
昆布のグルタミン酸と鰹節のイノシン酸を一緒に味わうと、うま味が足し算ではなく、掛け算のように強くなります。これをうま味の相乗効果と呼びます。二つを1 対 1 に近い比率で合わせると、同じ量を片方だけで味わったときの7〜8 倍の強さに感じることが、実験で示されています。昆布と鰹節の合わせ出汁は、この原理そのものです。
寿司の仕事にも、この原理が生きています。白身の昆布締め(第9章・第11章)は、魚のイノシン酸に昆布のグルタミン酸を移して、淡白な白身のうま味を大きく強める技術です。握りに塗る煮切りもグルタミン酸を多く含み、ネタのイノシン酸と口の中で出会います。少量の煮切りで足りるのはこのためで、塗りすぎると塩味が勝って、うま味の輪郭がぼやけてしまいます。
14.6 塩・砂糖・みりん・酒
塩は、寿司屋では粒の大きさで使い分けます。粒が大きくしっとりした粗塩は、ゆっくり溶けて時間をかけて水分を引き出すとされ、コハダやサバの塩締め(第9章)に好んで使われます。粗塩を炒ってサラサラにした焼き塩は、すぐに溶けるので、提供の直前に白身や貝、イカにごく少量振る「塩で食べさせる」握りに向きます。少しの塩が甘みを引き立てる働き(対比効果)を使った食べ方で、スイカに塩を振ると甘く感じるのと同じ理屈です。
砂糖は甘みを付けるだけでなく、水分を抱え込んで菌が使える水を減らし、メイラード反応の材料になって照りと色を生みます。結晶の大きいざらめはゆっくり溶けるので、ツメのように長く煮詰めるものに向きます。
本みりんは、もち米と米麹を焼酎などの中で糖化・熟成させたお酒で、砂糖より甘さが穏やかで、照りとコクが出ます。ただし、名前が似ていても中身の違う製品があります(表14-3)。とくに市販の「料理酒」の多くは塩を加えてあり、煮切りやツメに使うと思った以上に塩辛くなります。調味料は、使う前にラベルで塩がどれだけ入っているかを確かめるのが基本です。
| 種類 | 中身 | 気をつけること |
|---|---|---|
| 本みりん | アルコール約 14%、糖分約 40〜45% | 照りとコクが出る。アルコールは加熱で飛ばす |
| みりん風調味料 | 糖類などで似せたもの。アルコール 1% 未満 | 香りとコクは本みりんに及ばない |
| 発酵調味料(みりんタイプ) | 本みりんに近い造りで、塩を約 1.5〜2% 加えたもの | 塩分を配合に入れて計算する |
| 料理酒 | 多くは塩を約 2% 加えてある | 煮切りやツメが塩辛くなる |
| 清酒 | 塩分はゼロ。香りがよい | 煮切りやツメに向く |
この章のまとめ
- 醤油は麹と諸味で造る発酵の調味料で、主に五種類あります。薄口は色が薄くても塩分は濃口より高く、再仕込みは色が濃くても塩分は低めです。醤油を変えたら煮切りの配合も見直します。
- 煮切りは、アルコールを飛ばして魚の香りのマスキングを防ぎ、カドを取るものです。醤油を入れてから強く沸かすと、香りが抜けて塩辛くなります。刷毛は菌の運び手なので、小出し・毎日の洗浄・日付の記入を守ります。
- ツメの色と香りはメイラード反応、照りととろみは穴子のゼラチンと糖によるものです。熱いうちは少しゆるめで止めます。継ぎ足しは、毎日の火入れと冷蔵が前提です。
- 昆布は約 60℃で 1 時間(沸騰させない)、鰹節は 85〜90℃で 1〜2 分、絞らずに濾します。
- グルタミン酸とイノシン酸を 1 対 1 に近い比率で合わせると、うま味は 7〜8 倍に感じます。合わせ出汁、昆布締め、ネタと煮切りの出会いは、すべてこの応用です。
- 料理酒や発酵調味料には塩が入っているので、ラベルで確かめます。醤油・煮切り・ツメには小麦が含まれます。
確認問題
問1 煮切りを作る主な目的として、正しいものはどれか。
a 醤油を加熱殺菌して、常温で長く保存できるようにするため
b アルコールを飛ばして魚の香りを隠さないようにし、醤油のカドを取るため
c 長く煮詰めて、とろみと照りを出すため
d 醤油の塩分を蒸発させて、減塩にするため
e 醤油の色を薄くして、ネタの色を見せるため
答え:b
酒・みりん・醤油に含まれるアルコールは鼻に抜けやすく、魚の繊細な香りを覆い隠します(マスキング)。加熱でアルコールを飛ばし、みりんや出汁で醤油のカドを取るのが煮切りの目的です。a:煮切り、とくに出汁入りは冷蔵が原則です。c:煮詰めてとろみと照りを出すのはツメです。d:塩は蒸発しないので、煮詰めるほど塩分は濃くなります。e:色を薄くすることは目的ではありません。

