
第IV部 ネタ
第10章
マグロ
マグロは寿司店の看板で、多くの店で仕入れ額がいちばん大きいネタです。同じ「中トロ」の札でも、マグロの種類が違えば別の食べ物になります。この章では、マグロを「選ぶ・保つ・仕込む・握る」の順に、なぜそうするのかとあわせて学びます。
この章で学ぶこと
- 主なマグロの種類と、生と冷凍、天然と養殖の違いを説明できる
- 部位と筋の走り方を知り、サクの良し悪しを見分けられる
- マグロの色が変わる理由と、色を保つ保管のしかたを説明できる
- ヅケ・炙り・切り付け・握りの温度を理由とともに使い分け、妊娠中の客に水銀の目安を伝えられる
10.1 マグロの種類
寿司に使うマグロはサバ科マグロ属の魚で、主なものは6種類です(表10-1)。種類によって大きさ、脂、身の色、値段が大きく違います。
クロマグロ(本マグロ)は全長3 m・400 kgを超えることもある最大のマグロで、大トロ・中トロ・赤身の味の差が最も大きい種類です。南半球にすむミナミマグロ(インドマグロ)は脂が乗るのが一般に日本の夏とされ、クロマグロの脂が抜ける時期を埋めてくれます。関東の寿司店の「本日のマグロ」は、目が大きく赤身の色が濃いメバチであることがよくあります。
| 種類 | 脂が乗る時期 | 身の特徴 | 主な使い方 |
|---|---|---|---|
| クロマグロ | 冬(12〜2月) | 濃い赤。酸味と鉄分。大トロの脂が最も厚い | 最高値。トロ・赤身とも最上級 |
| ミナミマグロ | 日本の夏 | 脂が甘くまろやか。酸味は弱い | 高値。冷凍・蓄養が中心 |
| メバチ | 秋〜初冬(近海の生) | 濃い赤。やわらかい。トロは中トロまで | 赤身の主力 |
| キハダ | 春〜初夏(近海の生) | 明るい赤。締まって脂が少ない | 赤身・ヅケ。缶詰の原料にも |
| ビンナガ | 冬 | 白っぽい桃色。やわらかい | ビントロ。缶詰の原料にも |
| コシナガ | 夏 | 薄い赤。血合いが少ない | 主に産地で消費 |
種類を偽って高い種類として売ることは法令違反です。水銀の目安も種類で違うので(10.7)、正しい表示は客の安全にもつながります。
天然・養殖・蓄養
マグロの養殖には、天然の幼魚や若魚を生け簀で太らせる蓄養と、卵から育てる完全養殖があります。どちらも脂の多い餌を与え続けるので、季節に関係なく、天然なら赤身になる背中側にまで霜降りの脂が入ります。ねっとりした脂は魅力ですが、何貫も続くとくどくなりやすいので、トロは薄めに切り、赤身は天然のメバチやキハダを別に用意するなど、天然とは扱いを変えます。養殖が劣るのではなく、扱い方が違うのです。
生と冷凍 ―「生が上」ではない
遠洋のマグロ漁船は、釣ったマグロを船の上で処理し、−60℃前後の超低温で凍らせて持ち帰ります。この温度では色の変化や脂の酸化がほとんど進まず、1年以上たっても色と味がほぼ変わりません。アニサキスなどの寄生虫は−20℃以下で24時間以上の冷凍で死ぬので(第2章・第9章)、こうして凍らせたマグロに寄生虫の心配は事実上ありません。
一方、一度も凍らせていない「生マグロ」は氷詰めで運ばれ、店に届くまで数日かかることもあります。釣り上げるときに長く暴れたマグロは、体温が上がって身が白っぽく濁り、酸っぱくやわらかくなる身焼けを起こすこともあります。船の上ですぐ凍らせたマグロのほうが、何日も氷詰めで運ばれた生より状態が良いことは普通にあります(解凍のしかたは第9章)。
10.2 部位と筋
マグロは解体すると、背側と腹側をそれぞれ頭の方から「上・中・下」に分けます。赤身は背側の中心部、トロは腹側の皮に近い部分にあり、頭に近い腹側ほど脂が厚くなります(図10-1)。
| 部位 | 場所 | 特徴と使い方 |
|---|---|---|
| 赤身(天身) | 背側の中心部。天身は背のいちばん高い所の芯 | 脂が少なく鉄分と酸味がある。筋がほとんどない。握り・ヅケに最上 |
| 中トロ | 背側の皮に近い所、腹中など | 脂と赤身のバランスがよく、最も万人向け |
| 大トロ | 腹側の頭寄りの皮の下。カマトロは胸びれの付け根付近 | 脂が最も厚い霜降り。筋も太く多い(蛇腹)。薄めに切る、炙る |
| 中落ち | 中骨のまわりの身をこそげたもの | 骨まわりの旨味。軍艦、巻物、ネギトロ |
| 脳天・ほほ | 頭の身 | 脳天は脂があり筋のない希少な部位。ほほは繊維が粗く焼き物向き |
| 血合い | 背と腹の境に沿った暗い赤の帯 | 最も傷みやすい。生では使わず加熱料理に |
筋の見方
身に白く走る筋は、筋肉のかたまり同士をつなぐ膜で、主な成分はコラーゲンです。尾に近いほど筋の間隔は狭く、筋そのものも太く硬くなります。頭寄りの背の芯(天身)には筋がほとんどなく、大トロには脂と筋の層が交互に重なった「蛇腹」があります。サクを選ぶときは、筋の間隔が広くそろっているか(狭く詰まっていれば尾寄り)、色が均一で暗い斑点や茶色い縁がないか、切り口がしっとり光って乾いていないかを見ます。
10.3 色が変わる理由
マグロの赤は血の色ではなく、筋肉の中にあるミオグロビンという色素の色です。筋肉の中に酸素をためておく色素で、休みなく泳ぐマグロの筋肉にたくさん含まれています。
切りたての身や真空パックから出した直後の身は、暗い赤紫色です。空気に触れると色素が酸素と結びつき、20〜30分ほどで鮮やかな赤に変わります。ここまでは元に戻れる変化です。ところが時間がたつと、色素の中の鉄が酸化して茶色くなります。鉄が「さびた」ような状態で、これをメト化(褐変)といいます。いったんメト化した身は、元の赤には戻りません。
メト化は、温度が高いほど、空気に触れる面が広いほど、光に当たるほど、時間がたつほど速く進みます。冷蔵(0〜4℃)でも、表面は1〜3日で茶色くなり始めます。ですから色を守る方法は次の4つです。
- 低温に保つ 冷蔵庫のいちばん冷える場所(0〜2℃)に置きます。
- 空気を断つ 水気をペーパーで取り、ラップを密着させるか真空にします。
- 光を避ける 明るいネタケースに長く並べません。
- 切り口を減らす 切り付けは注文ごとに行います。
使い残しのサクは、翌日、表面の茶色い層を薄く削ってから使い、削った身はヅケや加熱料理に回します。
10.4 熟成と季節
冷凍マグロは、解凍した直後は旨味が少なく、味が平らなことがよくあります。凍っている間、旨味をつくる変化が止まっていたからです。解凍したらペーパーで包んで0〜2℃の冷蔵庫に1〜3日置くと、旨味が増え、身がしっとりして、色も落ち着きます。ペーパーは毎日替えます。
生の大型クロマグロは、サクにせずブロックのまま数日から1週間以上寝かせる店が多くあります。切り口が増えるほど乾燥とメト化が進むからです。血合いは早めに外さないと、隣の身に匂いが移ります。温度と衛生の管理がなければ、それは熟成ではなく腐敗です(第8章)。
太平洋のクロマグロは春から夏に産卵し、そのために体の脂を使い切ります。夏のクロマグロは脂が抜けて身が締まり、鉄分の風味と酸味が前に出ます。これを夏マグロといいます。値は下がりますが、さっぱりした赤身は醤油の旨味を吸わせるヅケによく合います。冬は餌をよく食べて脂を蓄え、中トロ・大トロが取れる季節です。
10.5 ヅケと炙り
ヅケ
ヅケは、マグロを醤油の地に漬ける仕事です。冷蔵庫のない江戸時代には保存の知恵でしたが(第18章)、今は赤身の酸味と醤油の旨味を合わせるために行います。漬け地には、醤油に酒やみりんを合わせて火を入れ、アルコールを飛ばした煮切り醤油を使います(第14章)。
大事なのは、漬ける前に湯霜をすることです。湯霜とは、サクの表面に熱湯をかけてすぐ氷水に取り、表面だけを白く固める処理です。固まった表面が薄い膜になり、漬け地が中へしみ込みすぎるのを防ぎます。湯霜をせずに漬けると、塩分が芯まで入って中まで塩辛くなり、色も黒ずみます。湯霜をすれば、外側は醤油の色と旨味をまとい、中は赤身の色と酸味が残ります。
- サクを整える 赤身を握り2〜3貫分の幅のサクにし、水気をペーパーで押さえます。
- 湯霜 沸騰した湯をサク全体にかけます(または3〜5秒くぐらせます)。表面が白くなったらすぐ氷水に取り、10〜20秒で引き上げて水気を完全に拭きます。
- 漬ける 冷ました煮切り醤油に沈め、冷蔵庫に入れます。目安はサクで2〜3時間から半日、切り身なら10〜30分です。
- 引き上げる 汁気を拭き、ペーパーで包んで冷蔵します。漬け地は使い回さず、その日のうちに捨てます。
湯霜は殺菌や寄生虫対策のためのものではありません。数秒の湯霜では中心の温度は上がらず、寄生虫も死にません。
炙り
大トロやカマトロのように脂の強い部位は、炙ると表面の脂が溶けて口の中ですぐ広がり、焼き目の香ばしさが脂のくどさをやわらげます。強い火で短時間、表面だけを変えるのが原則で、中まで温めると脂が流れ出て身が縮みます。
10.6 切り付けと握り
筋への包丁
大トロの蛇腹や筋の多い部分は、包丁の刃を筋に対して垂直か斜めに交差させ、筋を短く断ち切ります。筋に沿って平行に切ると、一本の長い筋がネタに残り、噛んでも切れません。筋は口の温度では溶けませんが、短く断てば脂と一緒に口から消えます。これが「口溶け」の正体です。筋が詰まった尾に近い部分は、ネギトロや巻物に回します。
厚みは「シャリと一緒に消える」ように
トロは赤身より薄く切ります。脂の強いトロを厚く切ると、シャリが先に口の中からなくなり、脂のかたまりだけが残るからです。赤身は脂が少なくやわらかいので、やや厚めに切っても溶け、厚みのぶん酸味と鉄分の味がシャリに負けません。切り付けは、柳刃を手前に一息で引く引き切りで行い、切り口をつぶさないようにします(第17章)。
シャリと手の温度
マグロの脂は、冷蔵の温度から少しずつやわらかくなり、24〜30℃付近までに溶けきるとされます(部位や個体で幅があります)。シャリが人肌(約35℃前後)なら、口に入れたときに脂が溶けて舌に広がります。冷蔵庫から出したような冷たいシャリでは、脂が溶けきらないうちに飲み込むことになり、ろうのように舌に残ります。
同じ理由で、職人の手の温度も問題になります。手は脂が溶ける温度より温かいので、トロを長く持つと脂が手に移り、ネタのつやが消えます。脂の強いネタを握るときは、冷たい手水や氷水で手を冷やし、手数を少なく数秒で握り終えます。指先で温度を感じながら加減できることは、素手で握る理由の一つでもあります(第5章)。
わさびと醤油も部位で変えます。わさびの辛味は脂に溶けやすいので、トロにはやや多めにすると脂が切れます。醤油は、赤身には多めが合い、トロは脂が醤油をはじくので少なめにします。ヅケには醤油を付けません。
10.7 安全と表示 ― ヒスタミンと水銀
マグロはヒスタミンのもとになる成分(ヒスチジン)が多く、温度の管理を誤ると細菌がヒスタミンをつくります。常温では速く進み、冷蔵の温度でも長く置けばできることがあります。
水銀と妊娠中の客
マグロは食物連鎖の上のほうにいる魚なので、メチル水銀という物質を体にためています。おなかの赤ちゃんは影響を受けやすいため、日本の厚生労働省は妊娠中の人に向けて、マグロの種類ごとに目安を示しています。
| 種類 | 目安 |
|---|---|
| クロマグロ・メバチ | 1回約80 gとして週1回まで |
| ミナミマグロ | 週2回まで |
| キハダ・ビンナガ・メジマグロ・ツナ缶 | ふつうに食べる量なら、特に制限はない |
メジマグロはクロマグロの若い魚です。妊娠中の客に「これは何マグロですか」と聞かれたら、正しく答えられなければなりません。また妊娠中の人には、冷蔵庫の中でも増えるリステリア菌の心配もあるため、職人の側から生ものをすすめないのが基本です。
この章のまとめ
- 主なマグロはクロマグロ・ミナミマグロ・メバチ・キハダ・ビンナガ・コシナガの6種で、脂・色・値段が大きく違う。種類を偽って売るのは法令違反。
- 養殖・蓄養のマグロは季節を問わず全身に脂が入るので、薄めに切るなど天然と扱いを変える。−60℃前後の超低温冷凍のマグロは色と味がほぼ変わらず、寄生虫の心配も事実上ない。「生が上」ではない。
- 筋は尾に近いほど強く、間隔が狭い。包丁は筋に対して垂直か斜めに入れて短く断つ。
- マグロの赤は色素(ミオグロビン)の色。時間がたつと色素の鉄が酸化して茶色くなり(メト化)、元に戻らない。低温・空気を断つ・光を避ける・切り口を減らすことで防ぐ。色は鮮度そのものではない。
- 解凍後は0〜2℃で1〜3日寝かせると旨味が増す。夏マグロはヅケに向く。ヅケは湯霜で表面を固めてから煮切り醤油に漬ける。
- トロは赤身より薄く切り、シャリは人肌にする。脂の強いネタは手を冷やして手早く握る。妊娠中の人はクロマグロ・メバチを1回約80 gで週1回まで。
確認問題
問1 冷蔵庫に3日置いたマグロのサクの表面が茶色くなっていた。正しい説明はどれか。
a マグロの色素が酸素とくっつきすぎた状態で、冷蔵庫でもう一晩置けば赤に戻る
b 真空パックから出した直後と同じ状態で、空気に触れれば20〜30分で鮮やかな赤に戻る
c 色素の中の鉄が酸化した変化(メト化)で、元の赤には戻らない。表面を薄く削り、削った身はヅケや加熱料理に回す
d 一酸化炭素処理をしたマグロに特有の色である
e 茶色いのは血合いの血が回っただけなので、水で洗えば落ちる
答え:c
茶色くなるのは、色素の中の鉄が酸化するメト化で、元の赤には戻りません(a は誤り。「酸素とくっつきすぎる」のではありません)。b は真空パックから出した直後の暗い赤紫色の説明で、こちらは空気に触れれば赤くなります。d の一酸化炭素処理は、逆に何日たっても鮮やかな桜色のまま変わらないのが特徴です。e のように身を水で洗うと水っぽくなるうえ、色も戻りません。

