
第III部 魚を知る
第8章
魚の鮮度と熟成のきほん
魚は締めたあとも、身の中で変わり続けます。硬くなり、やがてほどけて旨味が増し、最後は腐ります。この章では、よい魚の見分け方と締め方、そして「熟成」と「腐敗」の違いを、身近なことばで説明します。
この章で学ぶこと
- 丸の魚とサクの鮮度を、目・鰓・腹・匂い・ドリップなどから見分けられる
- 活け締め・神経締め・血抜きが、なぜ魚の味と日持ちをよくするのかを説明できる
- 熟成と腐敗の違いを「主役はだれか」で説明し、熟成を安全に行う条件を言える
- 天然と養殖の違いと、旬が産卵と関係する理由を説明できる
8.1 よい魚を見分ける ― 目利き
魚の傷みは、血と菌の多い場所(鰓・内臓・体表のぬめり)と、水分が抜けると変化が見える場所(目)から始まります。だから目利き(魚のよしあしを見分けること)では、まず鰓と腹と目を見ます。ひとつのサインだけで決めず、いくつかを合わせて判断します。
| 見る所 | 新しい魚 | 傷んできた魚 |
|---|---|---|
| 目 | 澄んで黒目がはっきりし、張り出している | 白く濁る、落ちくぼむ |
| 鰓 | 鮮やかな赤で、海の匂い | 茶色から灰色。ぬめりが濁って臭う |
| 体表 | ツヤがあり、ぬめりは薄く透明 | 色があせ、ぬめりが白く濁って糸を引く |
| 腹 | 張りがあって硬い | 柔らかい、へこむ、裂けている |
| 匂い | 海の香り | 生臭い、酸っぱい、鼻をツンと刺す |
| 手ざわり | 押すとすぐ戻る。頭と尾を持つと水平に張る | 押した跡が残る。持つと垂れ下がる |
ただし、氷に直接触れていた魚は、新しくても目が白く濁ることがあります(氷焼け)。目だけで決めないのはこのためです。
切り身やサク(刺身や握り用に切り分けた身のかたまり)のように丸の姿を見られないときは、切り口で判断します。第一にドリップ(身から出た液)です。透明で少しなら問題なく、赤く濁って多ければ、時間が経ったか解凍に失敗した魚です。第二に色です。白身は透明感のあるもの、赤身は鮮やかな赤から深い赤のものを選びます。脂の黄ばみは脂の酸化、赤身の茶色は身の赤い色素に含まれる鉄の酸化です(第10章)。第三に血合い(身の中ほどを走る色の濃い部分)です。鮮やかな赤から暗い赤、黒へと変わり、境目がぼやけたものは古い魚です。第四に、断面にツヤがあり、筋と筋の間が割れていないことです。
8.2 締め方で魚の「その後」が決まる
魚の品質は、水揚げのときにほとんど決まります。どう死んだかで、筋肉に残る「エネルギーのもと」の量が変わるからです。これはあとで旨味のもとになり、身が硬くなるのを遅らせる働きもします。暴れさせずに締めるほど、多く残ります。
- 野締め
- 網や釣りで揚げた魚を、そのまま空気中や氷の中で死なせること。魚は暴れてエネルギーを使い果たすので、旨味が出にくく、早く硬くなり、傷みも早くなります。
- 活け締め
- 生きている魚の脳をすばやく壊し、暴れる時間をなくす締め方。目の後ろに手鉤や刃物を打ち込み、続いて脳と背骨の神経のつなぎ目(延髄)を切ります。
- 神経締め
- 活け締めのあと、背骨の中の神経(脊髄)に細いワイヤーを通して壊すこと。脳を壊しても体はしばらくぴくぴく動いてエネルギーを使うので、それを止めます。硬くなるのを遅らせて「時間を稼ぐ」技術で、味を直接よくするものではありません。
- 血抜き
- 締めると同時に鰓の付け根と尾の付け根を切り、心臓が動いているうちに海水の中で血を出すこと。心臓が止まると血は抜けないので、締めてから数分以内が勝負です。
- 氷締め
- アジやイワシなどの小さな魚を、氷と海水を混ぜた0℃前後の水に生きたまま入れ、すばやく冷やして死なせること。野締めよりはるかによい方法です。
血を抜く理由は三つあります。血は菌の栄養になり、腐るのを早めます。血に含まれる鉄は脂の酸化を早め、生臭さのもとになります。残った血は黒ずみ、見た目を悪くします。
届いた魚の頭に穴があり、鰓の付け根に切れ目があれば活け締め、尾の付け根にも切れ目があれば血抜きも済んでいます。反対に、口と鰓蓋が大きく開き、鱗がはがれ、身が反っている魚は暴れて死んだ魚です。寝かせずに、その日のうちに使い切るか加熱に回します。
8.3 死後硬直・熟成・腐敗 ― 魚の中で起きること
死後硬直 ― 硬いが、旨味はまだ少ない
魚が死ぬと、筋肉のエネルギーのもとは少しずつ減っていきます。これが尽きると、筋肉は縮んだまま固まり、魚は板のように硬くなります。これが死後硬直です。腐ったのではなく、どの魚にも起きる自然な変化です。暴れて死んだ魚ほど早く始まり、一般に小さな魚ほど早く、大きな魚ほど遅く来ます。
硬直中の身はコリコリと歯ごたえがあり、鮮度は最高ですが、旨味はまだ少なく、味は淡い状態です。寿司ではネタの旨味がシャリに負けないことが大切なので、多くの魚は硬直が解けてから使います。硬直中におろすと身が反って縮み、身割れも起きやすいので、丸のまま硬直させ、解けてからおろすのが基本です。
熟成 ― 魚自身の酵素が旨味を作る
やがて、身の中にもともとある酵素(身を少しずつ分解する、はさみのような働きをするもの)が筋肉の骨組みを切り、身はほどけて柔らかくなります。このころ、筋肉に残っていたエネルギーのもとは、酵素の働きでイノシン酸に変わっています。鰹節(鰹を煮て干し固めた出汁の材料)の旨味として知られる成分です。酵素はさらにタンパク質を分解し、甘味やコクのもとになるアミノ酸を増やします。こうして旨味が増し、身がねっとりしてくる時間が、職人のいう「寝かせる」、つまり熟成です。ただし、イノシン酸もやがて分解され、最後は苦味のある成分に変わります。旨味がいちばん多く残っている時間が食べ頃です。
腐敗 ― 外から付いた菌が主役
熟成と腐敗は別々に起きるものではなく、同じ時間の流れの上で、熟成の先に腐敗があります。違いは主役です。熟成の主役は魚自身の酵素で、旨味を作ります。腐敗の主役は、魚の表面や鰓、内臓に付いていた菌です。菌は酵素が作ったアミノ酸などを餌にして増え、嫌な臭いの成分やぬめりを作ります。海の魚の生臭さの主な原因も、身にもともとある臭いのない成分を、菌が臭いのある成分に変えたものです。
つまり、「鮮度がよい=おいしい」でも、「古い=熟成」でもありません。締めたばかりの魚は旨味が少なく、管理せずに置いた魚はただ腐っていきます。熟成とは、低温と衛生で菌を抑えながら、酵素に旨味を作らせる「管理された時間」のことです。
8.4 熟成の正しいやり方と、腐敗の見分け方
熟成は、「魚自身の酵素には働いてもらい、外から付いた菌には増えてもらわない」という綱渡りです。困ったことに、魚を腐らせる菌の多くは0℃近くでも増えられます。冷やすだけでは足りず、熟成を始める前に菌の数を減らしておくことが大切です。
温度は0〜4℃、できれば0〜2℃です。温度が上がるほど菌は速く増え、10℃では0℃の数倍の速さで腐敗が進みます。家庭用冷蔵庫の冷蔵室(3〜6℃)では高すぎます。魚を氷に直接触れさせると、その部分が冷えすぎて傷みます(氷焼け)。氷の融け水に浸けると、塩分のない水が身に入って水っぽくなり、菌の培地にもなります。真空包装は、空気のない所で増え、低い温度でも増えられる菌がいるため、3℃以下で保管します。
- 内臓と鰓を先に除く 腐敗は消化の酵素と菌の多い内臓から始まり、鰓は菌が最初に増える場所です。仕入れた日のうちに除き、背骨に沿った血合いもかき出します。
- 冷たい水で短く洗う 長く水に浸けません(理由は第9章)。
- 水気を完全に拭く 腹の中までペーパーで拭きます。いちばん手を抜かれやすい工程で、濡れたまま包むと翌日には表面がぬめります。
- 素手で身に触れない 人の手には黄色ブドウ球菌がいます(第2章)。おろした身は、清潔な器具かペーパー越しに扱います。
- 包んで冷やし、札を付ける ペーパーで包み、ラップで乾燥を防いで0〜2℃に入れます。日付、魚種、締め方、予定の日数を札に書きます。
- 毎日見て、ペーパーを替える 濡れたペーパーは菌の培地です。少なくとも1日1回、初日は数時間おきに替えます。
| 魚 | 目安 | 理由と注意 |
|---|---|---|
| マダイ・ヒラメ・スズキなど白身の大型魚 | 2〜5日 | 旨味が長く保たれ、脂が少なく酸化しにくい |
| ブリ・カンパチ・シマアジ | 2〜4日 | 脂が酸化しやすい。血合いが黒ずんだら切り上げる |
| アジ・サバ・イワシなど青魚 | 当日〜翌日 | 旨味が早く抜けるとされ、ヒスタミンの心配もある。塩と酢で締める(第9章・第11章) |
| イカ・エビ | 当日〜翌日 | イカは寝かせても旨味が増えにくい。エビは頭の酵素で身が溶け、黒くなるので、頭を外して保存する |
| 貝 | 生きたまま保存し、開けたら当日 | 死んだ貝は急速に傷む |
| 見る所 | 熟成が進んだ(まだ使える) | 腐敗の始まり |
|---|---|---|
| 匂い | 海の香りが弱まり、ほのかに甘い | 酸っぱい、ツンとする、鼻につく生臭さ |
| 表面 | 乾いて少し張る、またはねっとり | 糸を引くぬめり、白い膜 |
| 色 | 白身は透明感が減って乳白色に | 白身が灰色や黄色っぽい。赤身が茶色。血合いが黒く崩れる |
| ドリップ | 透明から薄い赤で、少し | 白く濁る、粘る、量が多い |
| 弾力 | 押すとゆっくり戻る | 跡が残る、指が沈む、崩れる |
| 味(最後の確認) | 旨味と甘味が強い | 苦味、酸味、舌がピリピリする |
8.5 天然と養殖、そして旬
天然と養殖
養殖の魚は、生簀(海に作った囲い)の中であまり泳がず、脂の多い餌を毎日食べて育ちます。そのため季節に関係なく全身に脂が乗り、身は白っぽくなります。天然の魚は餌を求めて泳ぎ続け、脂は産卵前の時期に腹側を中心に乗り、産卵後は抜けます。
養殖には、一年中、同じ大きさ・同じ脂の魚を、決まった日に決まった値段で仕入れられるという利点があります。活け締めや神経締めをして出荷されることが多く、野締めの天然魚より状態がよいことも少なくありません。また、配合飼料(魚粉などを固めた餌)で育った養殖魚は、アニサキスを運ぶオキアミ(エビに似た小さな生き物)や小魚を食べないので、寄生虫の心配がきわめて低くなります(第2章)。ただし、天然の稚魚を海で育てたものや、生の餌で育てたものは別です。
「天然が上、養殖が下」ではありません。産卵後で痩せた天然魚より、よく管理された養殖魚のほうがネタとして優れることは珍しくありません。大切なのは、その魚の脂に合わせて、切る厚さやシャリとの合わせ方を変えることです。
旬
旬とは、その魚の脂と味がいちばんよくなる時期です。多くの魚では、旬は産卵の前にあります。卵や白子を作るために餌をたくさん食べ、栄養を脂として蓄えるからです。産卵が始まると栄養は卵や白子に回り、身は痩せて水っぽくなります。また、冬に向けて水温が下がると魚は脂を蓄えます。寒ブリ、寒ヒラメ、寒サバのように「寒」の付く魚がおいしいのはこのためです。
旬には三つの段階があります。出始めの「走り」は脂は少なめでも香りと歯ごたえがよく、「盛り」は味がいちばんよく値段もいちばん高く、終わりの「名残」は脂は残るものの身が緩み始めます。旬は海の水温で動き、同じ魚でも北と南で1〜2か月ずれることがあります。主なネタの旬は付録Cにまとめましたが、自分の店が仕入れる海の旬は、自分で確かめてください。
この章のまとめ
- 鮮度は、傷み始める鰓・腹・体表のぬめりと目で見る。鰓は鮮やかな赤、腹は硬く、ぬめりは透明。氷焼けで目が濁ることもあるので、ひとつのサインで決めない。サクはドリップ・色・血合い・断面で見る。
- 活け締めは暴れさせずに締めて筋肉のエネルギーを残し、神経締めは身が硬くなるのを遅らせる。血抜きは心臓が動いているうちに行う。暴れて死んだ魚は寝かせず、その日のうちに使う。
- 死後硬直の身は硬く、鮮度は最高でも旨味は少ない。硬直が解けると、魚自身の酵素がイノシン酸やアミノ酸を作り、旨味が増す。これが熟成である。
- 熟成の主役は魚自身の酵素、腐敗の主役は外から付いた菌。熟成は0〜4℃(できれば0〜2℃)で、内臓・鰓・血の除去、水気の拭き取り、素手で触らないことが条件。匂い・ぬめり・色・ドリップ・弾力・味で腐敗を見分け、迷ったら生で出さない。
- 白身の大型魚は熟成に向き、青魚・イカ・エビ・貝は向かない。暑い国で冷蔵が途中で切れた魚は熟成しない。
- 養殖は脂と供給が安定し、配合飼料で育った魚は寄生虫の心配がきわめて低い。旬は多くの魚で産卵の前にあり、「走り・盛り・名残」がある。
確認問題
問1 魚の熟成と腐敗について、正しいものはどれか。
a 熟成の主役は外から付いた菌で、菌が増えるほど旨味が増す。
b 死後硬直中の魚は、旨味がいちばん多い食べ頃である。
c 熟成は、魚自身の酵素が旨味を作る変化であり、0〜4℃の低温と衛生管理のもとで行う。
d 青魚は脂が多いので、白身より長く寝かせるほどおいしくなる。
e 嫌な臭いが出ていなければ、ヒスタミンの心配はない。
答え:c
熟成の主役は魚自身の酵素で、腐敗の主役は外から付いた菌です(a は誤り)。死後硬直中の身は鮮度は最高ですが、旨味はまだ少ない状態です(b は誤り)。青魚は旨味が早く抜けるとされ、脂が酸化しやすく、ヒスタミンの心配もあるので、当日から翌日までに使うか、塩と酢で締めます(d は誤り)。ヒスタミンは臭いが出る前に危険な量に達することがあり、加熱しても壊れません(e は誤り)。

