
第II部 シャリ
第7章
合わせ酢とシャリ切り
炊き上がった米は、合わせ酢を打ち、切り混ぜ、人肌まで冷ましたとき、はじめて「シャリ」になります。この章では、酢・塩・砂糖の選び方と配合の考え方、飯台でのシャリ切りの手順、そしてできたシャリを何時間まで使ってよいかを学びます。シャリは味の土台であると同時に、寿司の安全の土台でもあります。
この章で学ぶこと
- 酢の種類と酸度の意味を知り、酢を替えるときに量を計算し直せる
- 合わせ酢の酢・塩・砂糖の役割と、配合の考え方を説明できる
- シャリ切りの手順と、一つ一つの動作の理由を説明できる
- シャリを人肌に保つ理由と、保温時間の上限を決めて捨てる理由を説明できる
7.1 酢の種類と酸度
酢は、酒(アルコール)を酢酸菌という菌が発酵させてできる、酢酸を含む調味料です。米酢なら、米から酒を造り、その酒を酢酸菌が酢に変えます。原料と造り方の違いが、そのまま酢の個性になります。
酸度を読む
酢のラベルにある酸度は、酢 100 ml に含まれる酸を酢酸に換算した重さ(g)です。酸度 4.5% なら、100 ml の中に 4.5 g の酸があります。日本の市販の酢は 4.2〜4.5% 程度が一般的ですが、業務用には酸度 10〜15% の高酸度の酢もあります。
酢を替えるときは、必ず酸度を見て、酸の量が同じになるように計算し直します。たとえば、酸度 4.5% の酢 200 ml を酸度 5% の酢に替えるなら、200 × 4.5 ÷ 5 = 180 ml で同じ酸の量になります。
| 種類 | 原料 | 性格 | 主な使い道 |
|---|---|---|---|
| 米酢 | 米 | まろやか。ほのかな甘みと旨味 | 白いシャリの基本。白身・貝に合う |
| 穀物酢 | 米・小麦・トウモロコシなど | 軽く、すっきり | 合わせ酢の土台、ブレンド |
| アルコール酢 | 醸造アルコール | 旨味は少なく、酸味が鋭い | キレを出す。脂の強い青魚を締める |
| 赤酢(粕酢) | 長く寝かせた酒粕 | 褐色。コクと旨味がある | 江戸前のシャリ。マグロ・光り物・穴子 |
赤酢は、日本酒を搾った後の酒粕を 1〜3 年、長いものは 5 年以上寝かせてから造る酢で、粕酢ともいいます。寝かせているあいだに酒粕のアミノ酸と糖が結びついて褐色になり、甘い香りと旨味が生まれます。味噌や醤油が茶色くなるのと同じ変化です。酸味がまろやかに感じられ、コクがあるので、江戸前の赤酢のシャリは砂糖を使わない配合が伝統とされます。
アルコール酢は「殺菌力が強い」と言われることがありますが、酢が菌を抑える力は、主に酸度で決まります。同じ酸度なら、アルコール酢だけが特別に強いわけではありません。
7.2 合わせ酢 ― 酢・塩・砂糖の役割
合わせ酢(すし酢)は、酢・塩・砂糖を合わせたものです。三つとも、味のためだけに入っているのではありません。
酢 ― 酸味と、菌を増えにくくする働き
酢は酸味と香りで米の甘みを引き立てます。同時に、シャリを酸性にして菌を増えにくくします。合わせ酢を打ったシャリの pH(酸性の強さを表す数字。小さいほど酸性が強い)は、おおむね 4.0〜4.5 です。ただし、酢は菌を殺すのではありません。増えにくくするだけです(これを静菌といいます)。時間がたてば安全ではなくなります(第5章)。
塩 ― 味の輪郭
塩はシャリの味に輪郭を作ります。青菜に塩を振ると水が出てくるように、塩には水を引き出す力(浸透圧)があります。握った寿司の中では、塩を含んだシャリがネタの余分な水分をわずかに引き出し、ネタの味を締めるとされます。米粒の表面を引き締めるとも言われますが、炊いた米でははっきり確かめられていません。
砂糖 ― しっとり感と照り
砂糖は水を抱え込む性質があり、シャリの乾燥を防ぎます。また、冷めたご飯が硬くなる変化(老化。7.4 で説明します)を遅らせ、表面に照りを出し、酸味のカドを丸めます。入れすぎるとシャリの甘さが前に出て、ネタの味を覆ってしまいます。
配合の考え方
合わせ酢の配合に、ただ一つの正解はありません。米 1 升(約 1.5 kg、炊き上がり約 3.3 kg)に対して、酢 180〜220 ml、塩 30〜45 g、砂糖 0〜120 g という幅の中で、店ごとに決まります。
| 様式 | 酢 | 塩 | 砂糖 | 性格 |
|---|---|---|---|---|
| 江戸前・赤酢 | 赤酢 180〜220 ml | 35〜45 g | なし | コクと塩味。マグロ・光り物に |
| 関東・白酢 | 米酢 180 ml | 30〜35 g | 30〜60 g | 酸と甘みのバランス。幅広いネタに |
| 関西・押し寿司 | 米酢 180〜200 ml | 30〜40 g | 80〜120 g | 甘く柔らかい。時間をおいても硬くなりにくい |
配合はネタとの相性で決めます。脂の強いネタが多い店は酸と塩を立て、白身や貝が中心の店は酸を穏やかにします。配合はグラムと ml で記録し、毎回同じ秤で量ります。「大さじ」「カップ」は、塩の粒の大きさで重さが変わるので使いません。
合わせ酢の仕込みと保存
塩と砂糖を酢に溶かします。温めるなら弱火で 50〜60℃ 程度までにし、沸騰させてはいけません。酢酸は飛びやすく、煮立てると酸味と香りが抜けてしまいます。常温で一晩置いて溶かす店も多くあります。1 日以上置くと酸味のカドが取れてなじみます。保存はガラス・ホーロー・樹脂の容器で、涼しい場所に置き、仕込んだ日付を書きます。アルミ・鉄・銅の容器は酸で傷み、金属が溶け出すので使いません。昆布や出汁を加えたものは傷みやすいので冷蔵し、1 週間以内に使い切ります。
7.3 飯台とシャリ切り
飯台(はんだい。半切り、すし桶ともいう)は、炊いた米に合わせ酢を合わせて冷ますための、浅く広い木の桶です。サワラやヒノキで作られます。木は細い管が束になった、スポンジのようなつくりをしていて、湿っているときは余分な水分を吸い、乾くと吐き出します。これを調湿作用といいます。米から出る蒸気と、米が吸いきれなかった水分を木が吸うので、シャリの粒が立ちます。プラスチックや金属の容器では水の行き場がなく、底の米がベタつきます。
使う前は水で濡らし、固く絞った布巾で拭いて、湿った状態にします。乾いたままだと、木が米の水分と酢を一気に吸い、米が木肌に張り付きます。使った後は、米粒が固まる前に湯とタワシで洗います。洗剤は木にしみ込んでにおいが残るので使いません。水気を拭き、風通しのよい日陰で完全に乾かします。湿ったまましまうとカビが生えます。新しい飯台は、水と酢を同じ量ずつ入れて 2〜3 時間置き、木のアクとにおいを抜いてから使います。
シャリ切りの手順
- 準備 飯台を濡らして拭き、合わせ酢を量っておきます。しゃもじ、うちわ、清潔な布巾を手元にそろえます。
- 熱いうちに飯台へ 蒸らし終えた米を、しゃもじで釜の底から大きくすくい、潰さないように飯台へ移します(第6章)。
- 薄く広げる 米を山にせず、飯台全体に手早く広げます。山にすると、まん中に熱と蒸気がこもってベタつき、外側だけが乾きます。薄く広げれば蒸気がむらなく逃げ、酢もむらなくしみ込みます。
- 熱いうちに酢を打つ 米が熱いうち(80℃ 以上が目安)に、合わせ酢をしゃもじで受けながら全体に回しかけます。一か所にどっと注ぎません。熱い米は表面から盛んに水分が蒸発していて、水が抜けたぶんだけ酢が入る余地があります。そのうえ、温度が高いほど酢は速くしみ込みます。冷めた米に打った酢は表面を濡らすだけで、水っぽく酸の浮いたシャリになります。
- 切る。こねない しゃもじを立てて、米に切り込むように入れ、底から返します。押さえつけたり、練ったりしてはいけません。炊いた米の表面は柔らかく、潰れると中の粘るデンプンが外へ出て糊になり、米粒どうしがくっついて団子になります。こうなると口の中でほどけません。酢が全体に回れば終わりです。
- うちわで扇ぐ 酢が回ったら、うちわで強く扇いで余分な蒸気と熱を飛ばし、しゃもじで返して裏側にも風を当てます。表面の水分が一気に飛ぶことで、表面が引き締まって照り(テリ)が出るとされます。また、熱い状態が長く続くと酢酸が飛んでぼやけた味になりますが、手早く冷ませば酸味と香りが残ります。湯気が見えなくなるまで、1〜2 分が目安です。冷やしすぎてはいけません。
- 布巾をかけて落ち着かせる 人肌近くまで下がったら飯台の中央に寄せ、固く絞った濡れ布巾をかけて 5〜10 分置きます。表面と中の温度と水分がそろい、酢が落ち着きます。そのあと、おひつや保温器に移します。
7.4 人肌と「外は締まり、中はふんわり」
シャリは人肌、約 35〜37℃ で握るのが基本です。理由は二つあります。
一つ目は、冷めると硬くなるからです。炊いて柔らかくなったデンプンは、時間がたつと、もとの硬い状態に戻っていきます。これを老化といいます。老化がいちばん速く進むのは 0〜4℃、つまり冷蔵庫の温度です。冷蔵庫に入れたご飯が翌日ボソボソになるのはこのためです。人肌に保つと、この老化がゆっくりになります。一度硬くなったシャリを温め直しても、酢が飛び、表面だけがベタついて、シャリとしては元に戻りません。
二つ目は、ネタの脂を口の中で溶かすためです。マグロのトロの脂は、口の中の温度より低い温度で溶けます(目安は 24〜30℃ とされます)。冷たいシャリでは脂が溶けきらず、人肌のシャリと一緒に口に入れると、脂が溶けて旨味と香りが広がります(第10章)。
外は締まり、中はふんわり
口の中でハラリとほどけるシャリ玉は、外側の米粒が適度にくっついて形を保つ「壁」を作り、内側の米粒どうしは押し固められず、あいだに空気を含んでいます。これを外硬内軟(がいこうないなん)といいます。
この形は握りの手わざ(第17章)だけで作るものではありません。こねて糊のようになったシャリは、どれだけ軽く握っても団子になります。また、冷めて硬いシャリは形を作るのに力が要り、その力が中の空気を潰します。粒の立ったシャリを、人肌で握る。ここでシャリ切りと握りがつながります。
7.5 保温と廃棄
落ち着いたシャリは、木のおひつか電気の保温器(シャリウォーマー)に移します。保温器は 35〜40℃ に設定することが多く、高すぎると乾き、低すぎると老化が進むので、温度計で実際の温度を確かめます。
ここで忘れてはいけないことがあります。35〜40℃ は、菌が増えやすい危険温度帯(10〜60℃、第1章)のまん中です。寿司は、温度で菌を抑えることをあきらめ、代わりに酢の酸と時間で抑えている食べ物です(第5章)。酢飯は菌が増えにくいだけで、増えなくなるわけではありません。だから、次のことを店の決まりにします。
- 合わせ酢を打った時刻を記録する。
- 保温時間の上限を決める。日本の店の多くは 2〜4 時間を目安にしています。暑い厨房では短くします。
- 上限を過ぎたシャリは、残っていても捨てる。翌日に回さない。温め直さない。冷蔵庫に入れて翌日に握らない。
- 大量に炊いて長く保温するより、小分けに炊く。そのほうが味も安全も上です。
この章のまとめ
- 酢の酸度は 100 ml 中の酸の重さ(g)。日本の市販品は 4.2〜4.5% 程度、欧米は 5〜7% が多い。酢を替えたら酸の量が同じになるよう計算し直す。酢の菌を抑える力は種類より酸度で決まる。
- 赤酢(粕酢)は長く寝かせた酒粕から造り、コクがあるので江戸前では砂糖を使わない配合が伝統とされる。1804 年に半田で始まった粕酢が、江戸の握り寿司を支えた。
- 合わせ酢の酢は酸味と静菌、塩は味の輪郭、砂糖はしっとり感・照り・老化を遅らせる働き。配合は米 1 升に酢 180〜220 ml、塩 30〜45 g、砂糖 0〜120 g の幅で、重さで量って記録する。
- 飯台は使う前に濡らして拭き、使った後は洗剤を使わずに洗って完全に乾かす。シャリ切りは、薄く広げ、熱いうちに酢を打ち、切ってこねず、扇いで人肌まで冷ます。
- 人肌(35〜37℃)は老化を遅らせ、ネタの脂を溶かす温度。外は締まり中はふんわりした「外硬内軟」のシャリ玉は、シャリ切りの段階から作られる。
- 人肌は危険温度帯の中にある。合わせ酢を打った時刻を記録し、保温時間の上限を決めて、過ぎたシャリは捨てる。
確認問題
問1 シャリの保温と管理について、正しいものはどれか。
a 酢飯は酸性なので、常温で一日置いても安全である
b 冷めて硬くなったシャリは、温め直せば元のシャリに戻る
c 酢飯は菌が増えにくいが、増えなくなるわけではないので、保温時間の上限を決め、過ぎたら捨てる
d 保温器に入れておけば、何時間たっても安全である
e 冷蔵庫で保管すれば、翌日もおいしく握れる
答え:c
人肌(35〜37℃)は危険温度帯(10〜60℃)の中にあります。酢飯は酢の酸で菌が増えにくくなっていますが、止まるわけではありません。合わせ酢を打った時刻を記録し、保温時間の上限(多くの店で 2〜4 時間)を決めて、過ぎたシャリは捨てます。b は誤りで、温め直すと酢が飛び、表面がベタついて、シャリとしては戻りません。e も誤りで、冷蔵庫の温度(0〜4℃)は老化が最も速く進み、シャリはボソボソになります。

