
第I部 食の安全
第4章
冷蔵庫と温度の管理
魚は冷蔵庫に入れておけば安全、というわけではありません。何℃で、どこに、どの順で置き、何分外に出していたか。冷蔵庫の使い方ひとつで、同じ魚が安全にも危険にもなります。この章では、温度と時間と在庫の管理を、店の一日の流れに沿って学びます。
この章で学ぶこと
- 生の魚介を10℃以下に保つ理由と、品温と庫内温度の違いを説明できる
- 小出しにする、切り置きをしない、すぐ冷蔵庫へ戻す、を実行できる
- 先入れ先出し(古いものを手前、新しいものを奥)と日付の書き方を、仕込み品や自家製の調味料まで含めて実行できる
- 消費期限と賞味期限の違いと、納品・テイクアウト・記録の基本を説明できる
4.1 なぜ「10℃以下」なのか
日本の食品衛生法では、生で食べる切り身やむき身の魚介類(生食用鮮魚介類)は10℃以下で保存すると決められています。冷凍品は −15℃以下です。
この10℃には歴史があります。1990年代の日本では、刺身や寿司などの魚介類が原因の腸炎ビブリオ(第2章)の食中毒がたくさん起きていました。腸炎ビブリオは10℃以下で増え方が大きく鈍り、4℃以下ではほぼ止まります。2001年に、生食用鮮魚介類を10℃以下で保存することなどの基準が決められてから、この食中毒は大きく減りました。10℃は、日本が苦い経験から学んだ数字です。
ただし10℃は法律の最低線です。生の魚は0〜4℃で保つのが理想で、冷蔵庫やネタケースは5℃以下を目標にする店が多くあります。反対に、菌がよく増える10〜60℃は危険温度帯です(第1章)。夏の台所に置きっぱなしにした弁当が傷むのは、この温度帯に長くあったからです。
4.2 品温を測る
冷蔵庫の表示が3℃でも、中の魚が3℃とは限りません。庫内温度は冷蔵庫の中の空気の温度、品温は食材そのものの温度です。冷蔵庫に入れたばかりのペットボトルの水がすぐには冷たくならないのと同じで、入れたばかりの魚の芯は、しばらく10℃を超えていることがあります。空気は熱を伝えにくく、魚は水のかたまりで冷えにくいからです。守るべきなのは品温です。芯温計(食材に刺して中の温度を測る温度計)で測ります。
冷蔵庫の使い方
業務用の冷蔵庫は、冷たい空気をファンで回して冷やします。詰め込みすぎると風の通り道がふさがり、冷えない場所ができます。吹き出し口の前に物を置かず、中身は7割程度までを目安にします。扉は、何を取るか決めてから開け、すぐ閉めます。
温かいものをそのまま入れると、庫内全体の温度が上がり、隣の魚の品温まで上げてしまいます。かといって「冷めるまで室温に置く」のは、危険温度帯に長く置くことです。正しいのは急冷(浅いバットに薄く広げ、氷水に当てるなどして短い時間で冷やすこと)です。厚生労働省の大量調理施設衛生管理マニュアルは、加熱した食品を冷ますとき、30分以内に中心温度を20℃付近(または60分以内に10℃付近)まで下げるよう求めています。
4.3 小出しにし、切り置きをしない
室温のまな板に置いた瞬間から、魚の温度は上がり始めます。薄く切った身ほど早く温まり、菌が付いているのはその表面です。だから仕込みは小出しが基本です。冷蔵庫から出すのは今から手を付ける分だけにし、仕込み終わったものから順に戻します。作業台に長く置くときは、氷を敷いたバットを重ねた上に置きます。ただし氷を身に直接当てたり、溶けた水に身を浸けたりしてはいけません。真水を吸った身は白く水っぽくなり、旨味が流れ出します(第9章)。
仕込みが終わったら、すぐ冷蔵庫へ入れます。「あとですぐ使うから」と調理台の端に1時間置く、というのが事故の典型です。加熱したものも同じです。芽胞(第1章)を作る菌は加熱を生き残り、冷めていく途中で増えます。煮穴子やツメを鍋のまま一晩室温に置いてはいけません。
切り置きは最も危険
営業中のつけ場で最も危険なのは、混む時間に備えて、まな板の上に何十貫分ものネタを先に切って並べておくことです。切った瞬間から、ネタは室温と照明にさらされて温まり、乾き、菌が増え始めます。衛生と味を同時に捨てる行為です。切るのは注文を受けてから、1貫ずつが原則です。忙しさへの備えは、サクの下ごしらえとネタケースの並べ方で行います。
ネタケース(カウンターに置く冷蔵のガラスケース)も万能ではありません。設定が5℃前後でも、ガラス面や照明の近く、よく開け閉めする側は温度が上がりやすくなります。入れるのは数時間のうちに出る分だけにし、営業が終わったら空にして冷蔵庫へ戻します。
4.4 先入れ先出し ― 古いものを手前、新しいものを奥
日本寿司協会が冷蔵庫の基本の中でもとくに大切にしているのが、先入れ先出し(さきいれさきだし。先に入れたものから先に使うこと)です。
人は、冷蔵庫を開けると手前にあるものから取ります。新しく届いた魚を手前に置けば、奥の古いものはいつまでも使われずに残り、気づいたときには期限を過ぎて傷んでいます。だから置き方は一つです。古いものを手前、新しいものを奥。スーパーの牛乳売り場でも、日付の古いものが手前に並び、新しいものは奥から補充されています。冷蔵庫も同じです。
- 手前に寄せる 納品や仕込みのたびに、まず奥に残っているものを手前に出します。
- 新しいものは奥へ 新しく入れるものは、その奥に置きます。古いものの手前に置きません。
- 日付を書く すべての容器に「品名・日付・担当」を書きます。マスキングテープに書いて貼るだけで十分です。日付のないものは、新しいか古いかを判断できません。
- 手前から使う 使うときは手前から取ります。期限を過ぎたものは迷わず捨てます。
先入れ先出しは、仕入れた魚だけの決まりではありません。仕込み済みのネタ(締めたコハダ、ヅケ、茹でた海老)にも、自家製の調味料(ツメ、煮切り、ガリ、合わせ酢)にも同じように使います。「酢や醤油が入っているから腐らない」は誤りです。ツメは糖とゼラチン質が多くカビや酵母が育ちますし、煮切りは使うたびに刷毛から菌が入ります。ガリにもカビは生えます。
上の段と下の段
もう一つの決まりは高さです。生の魚介は下の段、加熱済みのものやそのまま食べるものは上の段に置きます(図4-1)。生の魚から出る汁(ドリップ)には菌が含まれることがあり、汁は下へ落ちるからです。容器は蓋付きにし、蓋がなければラップで覆います。
4.5 消費期限と賞味期限
日本の食品の表示には、二種類の期限があります。消費期限は「安全に食べられる期限」で、弁当、刺身、寿司など傷みやすい食品に付きます。賞味期限は「おいしく食べられる期限」で、調味料、缶詰、乾物など日持ちする食品に付き、過ぎてもすぐに食べられなくなるわけではありません。
消費期限を過ぎたものは使わずに捨てます。「火を通せば大丈夫」「においは変わっていない」は通用しません。黄色ブドウ球菌の毒素のように加熱で壊れないものがあり(第2章)、菌が増えてもにおいが変わらない段階があるからです。どちらの期限も、開けていない状態で、表示どおりに保存した場合のものです。開けたら開けた日を書きます。
ツメ、煮切り、締めた魚のような自家製のものには、誰も期限を書いてくれません。期限は店で決めて書き、守ります。酸や塩が強く、加熱してあり、密閉できるものほど長くもち、加熱していない生のもの(切り付けたネタやヅケ)は当日限りに近くなります。迷ったら短くします。
4.6 納品と段ボール
食材の衛生は、店の扉の前から始まります。届いたものはその場で、温度・鮮度・包装・異物の四つを確かめます。冷蔵品は品温を測って10℃以下(店の基準としては5℃以下が望ましい)、冷凍品は −15℃以下かを確かめます。袋の中でドリップが凍りついていたら、途中で一度解けて再び凍った疑いがあります。基準から外れたものは受け取りません。
そして、段ボールは厨房に入れません。理由は二つです。第一に虫です。段ボールの波形の隙間はゴキブリの卵や成虫の隠れ家になり、倉庫やトラックから店へ運ばれてきます。第二に汚れです。段ボールの底は、トラックの荷台、市場の床、店の前の地面に置かれてきました。床に置いた箱を調理台に乗せれば、床の菌を調理台に移すことになります。段ボールは搬入口で開け、中身を店の清潔な容器に移し、箱は厨房に入れずに処分します。
食材を床に直接置くこともしません。スノコ(床から荷物を離すための台)やラックで高さを取ります。米国の基準は床から15cm以上での保管を求め、厚生労働省の大量調理施設衛生管理マニュアルは、食品の取り扱いを床から60cm以上の高さで行うよう定めています。
4.7 テイクアウト
持ち帰りの寿司は、客の手に渡った瞬間から、温度の管理が店の手を離れます。だから渡す前にできることをすべて行います。
- 10℃以下を保つ 保冷剤を入れ、保冷バッグを使います。保冷剤は上に置きます。冷たい空気は下へ沈むので、上の保冷剤は中身全体を冷やしますが、底に置くと底しか冷えません。保冷剤は冷えたものを冷たく保つ道具なので、詰める前にネタと器を冷やしておきます。
- 時間を書いて伝える 作った時刻と「○時間以内にお召し上がりください」を書き、口でも伝えます。法律で表示が必要かどうかは売り方によって違いますが(第19章)、必要がなくても書いて渡します。
- 季節で時間を変える 米国には、冷蔵できない状態なら2時間以内、気温が32℃を超えるなら1時間以内という一般的な目安があります。夏や遠くへの持ち帰りでは生ものを減らし、断る基準も先に決めておきます。
4.8 記録とHACCP
HACCP(ハサップ。食中毒の原因になりそうな危険を工程ごとに洗い出し、とくに大事な工程を決めて管理し、記録する方法)は、世界の食品衛生の標準です。日本でも2021年6月から、原則としてすべての食品等事業者にHACCPに沿った衛生管理が求められています。個人の寿司店も例外ではありません。
とはいえ、小さな店に分厚い計画書が求められるわけではありません。「HACCPの考え方を取り入れた衛生管理」として、業界団体が作った手引書に沿って、計画を作る、実行する、記録して残すの三つを行います。寿司店で記録したいのは、たとえば次のようなものです。
- 冷蔵庫・冷凍庫・ネタケースの温度(開店前と閉店後など、決めた時刻に)
- 納品のときの品温と、検品の結果
- シャリを炊いた時刻、酢を合わせた時刻、捨てた時刻(第7章)
- 仕込み品と自家製の調味料の仕込み日と期限、従業員の体調と手洗い
記録には二つの役目があります。一つは証拠です。事故や疑いが起きたとき、記録があれば原因を探せ、店が正しく管理していたことを示せます。もう一つは気づきです。毎日温度を書いていると「閉店後の温度がいつもより1℃高い」といった変化に気づき、冷蔵庫の故障を事故の前に見つけられます。職人の技は人それぞれですが、衛生は全員が同じやり方でできるように決めて、書いておくことができます。
この章のまとめ
- 生食用の魚介は法律で10℃以下(冷凍品は −15℃以下)。生の魚は0〜4℃が理想です。危険温度帯は10〜60℃。管理するのは庫内温度ではなく品温です。
- 温かいものは急冷してから冷蔵庫へ入れます。仕込みは小出しにし、終わったらすぐ戻します。つけ場での切り置きはしません。
- 先入れ先出し:古いものを手前、新しいものを奥。すべての容器に品名・日付・担当を書き、仕込み品や自家製の調味料にも同じ決まりを使います。生の魚介は下の段、加熱済みは上の段です。
- 消費期限は安全の期限で、過ぎたら捨てます。賞味期限はおいしさの目安です。どちらも開けていない状態での期限なので、開けたら開けた日を書きます。
- 納品は温度・鮮度・包装・異物を確かめます。段ボールは厨房に入れず、食材を床に置きません。
- 持ち帰りは保冷剤を上に置いて10℃以下を保ち、作った時刻と「○時間以内」を伝えます。温度などを記録し、HACCPの考え方で衛生を管理します。
確認問題
問1 冷蔵庫に新しいサクを入れるときの置き方として、正しいものはどれですか。
a 新しいサクを手前に置き、古いものは奥へ送る
b 残っている古いものを手前に出してから、新しいサクを奥に置く。容器には品名・日付・担当を書く
c どれが古いかは見れば分かるので、日付は書かなくてよい
d 酢や醤油を使った自家製の調味料は腐らないので、日付を書かずに奥へしまう
e よく使うものから手前に置き、新しいか古いかは気にしない
答え:b
人は手前のものから取るので、古いものを手前、新しいものを奥に置きます(先入れ先出し)。a は向きが逆で、奥の古いものが残り続けます。c は日付がなければ新旧を判断できません。d のツメや煮切りにもカビや菌は育つので、日付を書いて同じ決まりで管理します。e では古いものがいつまでも残ります。
問2 冷蔵庫の使い方として、正しいものはどれですか。
a 煮穴子や玉子焼きは、生の魚の下の段に置く
b 生の魚介は下の段に、加熱済みやそのまま食べるものは上の段に置く
c 煮たツメは、冷めるまで鍋のまま一晩室温に置いてから冷蔵庫に入れる
d 冷蔵庫の表示が3℃なら、入れたばかりの魚もすぐに3℃になっている
e 冷蔵庫は、隙間なくぎっしり詰めたほうがよく冷える
答え:b
生の魚のドリップは下へ落ちるので、生の魚介は下の段、加熱済みは上の段に置きます。a はその逆で、加熱済みの食品に菌が落ちます。c は危険温度帯に長く置くことになるので、浅いバットに広げて急冷します。d は庫内温度と品温を取り違えています。e は風の通り道がふさがり、冷えない場所ができます。

