
第I部 食の安全
第3章
手洗い・消毒・まな板
第2章で見た食中毒の菌やウイルスの多くは、手、まな板、ダスター(ふきん)を通って食品に移ります。「とりあえず熱湯」「とりあえずアルコール」は、順番や濃さを間違えると効きません。何を、どの順で、なぜそうするのかを押さえましょう。
この章で学ぶこと
- 洗浄と消毒の違いと、「洗ってから消毒する」理由を説明できる
- 正しい手洗いの手順と、2度洗いが必要な場面を説明できる
- アルコール・次亜塩素酸ナトリウム・熱湯を、濃さ・温度・注意点とともに使い分けられる
- まな板・ダスター・スポンジを清潔に保ち、交差汚染と異物混入を防げる
3.1 洗浄と消毒は別の仕事
洗浄は、洗剤と水とこする力で汚れを落とすことです。消毒は、残った菌を熱や薬剤で殺したり、害のない数まで減らしたりすることです。この二つは順番を入れ替えられません。
理由は三つあります。第一に、汚れは菌の隠れ家です。魚の血や脂の膜の下にいる菌には、アルコールも塩素も届きません。第二に、汚れは消毒剤を使い切ってしまいます。塩素系の消毒剤はタンパク質に出会うと反応して消え、菌に届く前に効き目がなくなります。第三に、熱はタンパク質を固めます。卵を落とした皿にいきなり熱湯をかけると、卵が固まってこびりつきます。魚の血が残ったまな板に熱湯をかけても同じことが起こり、固まった汚れが中の菌を包んで守ってしまいます。
ですから器具の手入れは、いつも①洗剤で洗う → ②水ですすぐ → ③消毒する → ④完全に乾かすの順です。④も欠かせません。菌は水がなければ増えません。濡れたまま置くと、消毒の後に残ったわずかな菌が、20〜30分に1回分かれて増えるとすれば一晩で百万倍にもなります。
3.2 手洗い
石鹸は菌を「浮かせて流す」
菌は手の皮脂の中や、しわ、爪の下、指の間に潜んでいます。水だけでは、脂に守られた菌は落ちません。石鹸は脂と水の両方になじむ性質を持ち、脂ごと菌を包んで水に浮かせます。殺すのではなく、浮かせて流すのです。だから泡でこする時間と、流す水の両方が要ります。厚生労働省の手引きでは、こする時間は約30秒、すすぎは約20秒です。
- 濡らして泡立てる 流水で手首まで濡らし、液体石鹸をよく泡立てます。固形石鹸は表面に菌が残るので使いません。
- 手のひらと手の甲 手のひらを合わせてこすり、手の甲は反対の手のひらで伸ばすようにこすります。
- 指先と爪の間 反対の手のひらに指先を立て、爪の間をかくようにこすります。いちばん洗い残しが多い所です。
- 指の間 両手の指を組み、付け根までこすります。
- 親指と手首 親指を反対の手で握ってねじるように洗い、手首も同じように洗います。ここまでで約30秒です。
- すすぐ 流水で約20秒、泡がなくなるまで流します。
- 拭いて、アルコール 使い捨てのペーパータオルで水気を拭き取り、乾いた手にアルコールをすり込みます。共用の布タオルは菌の受け渡し場所になるので置きません。
2度洗い
トイレの後、生の魚介や肉に触った後、ゴミの処理や掃除の後、調理場に入るときなど、手に多くの菌やウイルスが付いていると考えられる場面では、手順1〜6をもう一度繰り返します。これを2度洗いといいます。1度目で皮脂や魚の血、ぬめりといった大きな汚れを落とし、2度目で石鹸をしわの奥や爪の間の菌に届けます。汚れが残ると、石鹸が奥まで届かないからです。アルコールが効きにくいノロウイルス(第2章)には、この「2度流す」がいちばんの守りになります。
洗うときと身支度
手を洗うのは、調理場に入るとき、生の魚介・肉・卵、顔・髪・鼻・マスク、お金や携帯電話、ゴミ・段ボール・床に触れた後、トイレの後、そして次の作業が清潔な工程に変わるとき(3.5節)です。爪は指先と同じ長さに切り、マニキュアやつけ爪はしません。指輪、腕時計、ブレスレットは外します。指輪の下は洗えず、いつも湿っていて菌が多い場所です。手袋の考え方は第5章で扱います。
3.3 アルコール・次亜塩素酸ナトリウム・熱湯
アルコールは約70%
消毒用アルコール(エタノール)は、菌の膜を溶かし、中のタンパク質を壊して殺します。効き目は濃いほど強いわけではなく、約70%前後(おおむね60〜90%)でいちばんよく効きます。タンパク質を壊すには水が少し必要で、100%に近いアルコールは菌から水を奪うだけで、かえって効きにくくなるからです。
濡れた手や器具には効きません。表面の水で薄まるので、必ず水気を拭いてから吹き付け、乾くまですり込みます。ノロウイルスには効きにくく、芽胞(一部の菌が作る、熱や薬に強い殻をかぶった休眠の姿。第1章)にも効きません。そして燃えやすいので、炙りのバーナーやコンロの近くで吹き付けません。
次亜塩素酸ナトリウム ― 濃さと「まぜるな危険」
次亜塩素酸ナトリウムは、塩素系漂白剤の主な成分です。ノロウイルスにも確かに効く数少ない消毒剤で、ダスターの漂白にも使えます。濃さはppm(ピーピーエム。百万分のいくつかを表す単位。1%=10,000ppm)で表し、器具・調理台・ダスターには200ppm、嘔吐物や便の処理には1000ppmに薄めます。市販の原液は5〜6%のものが多く、200ppmなら約250倍、1000ppmなら約50倍に薄めます(表3-1)。
金属をさびさせるので、包丁やステンレスに長く触れさせず、使った後は飲める水でよくすすぎます。光と熱で分解するので、薄めた液はその日のうちに使い切ります。手指には使いません。そして、酸性のものと混ぜると有毒な塩素ガスが出ます。
| 使う場所 | 濃さ | 作り方と使い方の例 |
|---|---|---|
| まな板・器具・調理台・ダスター | 200ppm(0.02%) | 水3Lに原液12mL(約250倍)。洗った後に5分以上浸すか拭き、飲める水ですすぐ |
| 嘔吐物・便とその周り | 1000ppm(0.1%) | 水3Lに原液60mL(約50倍)。ペーパーで覆ってから注ぎ、外側から内側へ集めて袋に密閉する |
熱湯は80℃以上で5分以上
器具やまな板の熱湯消毒は、80℃以上の湯に5分以上が基準です(厚生労働省の大量調理施設衛生管理マニュアル)。熱湯をさっと回しかけるだけでは足りません。また、芽胞は100℃でも死にません。そして何より、洗剤で汚れを落としてから熱湯です(3.1節)。
3.4 まな板・ダスター・スポンジ・包丁
木のまな板
寿司職人がヒノキやイチョウなど木のまな板を使うのは、刃当たり(包丁の刃が板に当たるときの感触)がやわらかいからです。刃が欠けにくく、切れ味が長持ちします。けれども木は水を吸い、刃の跡が残ります。刃跡の細い溝に魚の血と水が入ると、表面を拭いても奥は濡れたままで、菌の巣になります。木のまな板は、毎日完全に乾かすこととときどき削り直すことの二本立てで守ります。
- 水で流す まず常温の水で血と汚れを流します。いきなり熱湯をかけません。
- 洗剤とたわし 木目に沿ってたわしでこすり、刃跡の中の汚れをかき出します。
- すすいで熱湯 洗剤を流してから、80℃以上の熱湯で5分以上消毒します(さっと回しかけるだけでは足りません。3.3節)。塩素は木を傷めてにおいが残るので、木には熱湯が基本です。
- 立てて乾かす 両面に風が当たるように立てて、一晩で完全に乾かします。寝かせて置くと裏が乾かず、黒ずみ(カビ)の原因になります。直射日光に長く当てると反ります。
- 削り直す 刃跡が深くなり、黒ずみ、乾きが遅くなったら、かんなや専門の業者で削ります。数か月に一度が目安です。
樹脂のまな板と使い分け
樹脂(プラスチック)のまな板は水を吸わず、次亜塩素酸ナトリウムで漂白でき、色で分けやすい道具です。ただし傷だらけになると、溝の中に菌が残るのは木と同じです。表面が毛羽立ち、汚れが落ちなくなったら替えます。まな板は少なくとも、水洗い用(ウロコ・エラ・内臓を扱う)、サク取り・切り付け用、野菜用、加熱済みの食品用、アレルギー対応用に分けます。
ダスター・スポンジ・包丁
湿ったダスターは、食品の汁と水と室温がそろった、調理場でいちばん菌が増えやすい物の一つです。これで何でも拭けば、菌を配って回ることになります。決まりは三つです。第一に、用途ごとに分けます(まな板・包丁用、調理台用、器用、床用など)。手を拭くのは使い捨てのペーパータオルにするのが確実です。第二に、営業後に洗剤でもみ洗いしてから、200ppmの次亜塩素酸ナトリウムに浸けるか、100℃で5分以上煮沸します。第三に、完全に乾かします。湿ったまま丸めて置いたダスターは、翌朝には洗う前より菌が増えています。
スポンジは小さな穴に食べかすと水を抱え込みます。営業後にもみ洗いし、熱湯か次亜塩素酸ナトリウムで殺菌し、固く絞って乾かし、へたったら早めに替えます。包丁は柄と刃の継ぎ目に汚れがたまります。使ったらすぐ洗ってすすぎ、乾いた布で拭きます。鋼の包丁は塩素でさびるので、消毒は熱湯かアルコールで行います(第16章)。
3.5 交差汚染を断つ
交差汚染とは、汚れたものから清潔なものへ、手・器具・ダスター・水しぶき・置き場所を通して菌が移ることです。食中毒の多くは、原因の食品そのものより、この移動で起こります。魚を切ったのと同じまな板で切ったきゅうりから、腸炎ビブリオ(第2章)の食中毒が起きた例が繰り返し報告されています。
仕事には「汚れの順番」がある
寿司屋の仕事を汚れの度合いで並べると、はっきりした順番があります(図3-1)。いちばん汚れているのは、納品の段ボールや床、そして水洗い(ウロコを落とし、エラと内臓を取り、血を洗う仕事)です。魚の表面や内臓の菌が、水しぶきと一緒に周りへ飛びます。サク取りと切り付けは、おろした身だけを扱う清潔な工程で、ここで切った身はもう洗えません。つけ場(カウンターの内側で握る場所)は、客の口に入る直前の、いちばん清潔であるべき場所です。原則は、仕事はこの順に一方向に流し、手と器具は汚れた側へ戻らないことです。
分けるか、リセットするか
対策は二つしかありません。器具と場所を分けるか、工程が変わるときに完全にリセットするかです。狭い店で同じまな板を使うなら、水洗いからサク取りに移る前に、まな板・包丁・周りの台を洗剤で洗う → すすぐ → 熱湯 → 水気を切ってアルコールの順でリセットし、手を2度洗いし、ダスターを清潔なものに替えます。「水で流しただけ」「アルコールを吹いただけ」はリセットではありません。
生の魚介と、加熱済みの食品(煮穴子、玉子焼き、茹でた海老など)も、器具と置き場所を分けます。加熱済みの食品はもう火を通さないので、移った菌がそのまま客の口に入ります。冷蔵庫の中での置き方は第4章で学びます。床に置いた箱やボウルは調理台に上げず、床に落ちた物を拾った手は洗います。
3.6 異物を入れない
異物は客の信頼を一瞬で失わせ、金属やガラスはけがをさせます。
- 髪の毛 人の髪は1日に50〜100本抜けます。前髪と襟足まで入る帽子やネットをかぶり、調理場に入る前に粘着ローラーで肩・背中・腕の毛を取ります。作業着は調理場専用にします。
- 虫 窓と換気口に防虫ネットを張り、出入口を開けっぱなしにしません。段ボールは虫のすみかになるので調理場に入れません(第4章)。排水口は毎日掃除します。
- 金属・ガラス 包丁は使う前と後に刃こぼれを確かめ、欠けていれば欠片を探します。金属たわしは細い繊維が切れて混ざるので、食品に触れる器具には使いません。グラスが割れたら、近くにあった覆いのない食品は捨てます。
- 絆創膏 指の傷には青色の絆創膏を使います。自然の食べ物にはほとんど青い色がないので、落ちてもすぐ見つかります。
この章のまとめ
- 洗浄(汚れを落とす)と消毒(菌を減らす)は別の仕事です。順番は「洗剤で洗う → すすぐ → 消毒 → 乾かす」。汚れの上の消毒は効かず、先にかけた熱湯は汚れを固めて菌を守ります。
- 手洗いは石鹸で約30秒こすり、約20秒すすぎます。汚れの多い場面では2度洗い。爪は短く切り、指輪や時計は外します。
- アルコールは約70%前後で、乾いた面に使います。ノロウイルスと芽胞には効きにくい。次亜塩素酸ナトリウムは器具に200ppm、嘔吐物に1000ppmで、酸性のものと混ぜません。熱湯は80℃以上で5分以上です。
- 木のまな板は毎日完全に乾かし、ときどき削り直します。ダスターは用途別に分け、漂白殺菌か煮沸をして乾かします。スポンジもこまめに殺菌し、早めに替えます。
- 水洗いは汚れた工程、サク取りは清潔な工程です。器具を分けるか、工程の変わり目でリセットします。生の魚介と加熱済みの食品も分けます。
- 異物は、帽子・ネット・粘着ローラー、防虫ネット、段ボールを入れないこと、刃こぼれの確認、青い絆創膏で防ぎます。
確認問題
問1 魚をおろした後の木のまな板の手入れとして、正しい順番はどれですか。
a 熱湯をかける → 洗剤で洗う → 立てて乾かす
b 水で流す → 洗剤とたわしで洗う → すすいで80℃以上の熱湯で5分以上消毒する → 立てて乾かす
c アルコールを吹き付ける → 水で流す → 寝かせて乾かす
d 次亜塩素酸ナトリウムの原液をかける → そのまま一晩置く
e 水で流す → 濡れたまま布をかけてしまう
答え:b
器具の手入れは「洗う → すすぐ → 消毒 → 乾かす」の順です。a のように汚れを落とす前に熱湯をかけると、血のタンパク質が固まって菌を包んで守ります。c は汚れの上や濡れた面ではアルコールが効かず、寝かせると裏が乾きません。d は原液では濃すぎ、木を傷めてにおいが残り、すすいでもいません。e は濡れたままなので、残った菌が一晩で増えます。
問2 消毒剤の使い方として、正しいものはどれですか。
a アルコールは100%に近いほどよく効く
b アルコールは濡れた手に吹き付けると、よくなじんで効き目が上がる
c ノロウイルスには、アルコールがいちばん確実に効く
d 次亜塩素酸ナトリウムは、酢などの酸性のものと混ぜると有毒な塩素ガスが出る
e 次亜塩素酸ナトリウムを汚れたまな板にそのままかければ、洗剤で洗う必要はない
答え:d
塩素系の消毒剤と酸性のものが混ざると塩素ガスが出ます。酢を多く使う寿司屋ではとくに注意が要ります。a は誤りで、アルコールは約70%前後がいちばんよく効きます。b は表面の水で薄まって効き目が落ちます。c はノロウイルスにはアルコールが効きにくく、次亜塩素酸ナトリウムや加熱が確実です。e は汚れが残っていると次亜塩素酸ナトリウムが反応して消え、菌に届きません。

